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風景描写について

ぼけっと風景描写書くとやばいです。どうやら風景描写はしっかり集中して書いた方がいいです。

誰が何を見てるのか?が大事です。

教室の様子なんて興味ないんですよ。綺麗な海なんて書かなくていいんですよ。じゃなくて、その主人公は、あるいは三人称視点は何を見てるのか?を考えて書くべきかと思います。


波打ち際には節の強い枯れた茎が寄せている。あれはきっと海水を吸っている。この魚の生臭さを孕んだ潮の匂いをあの植物の死骸は吸い込んでいるに違いない。だからサンダルに着けたくない。家には決して持ち帰りたくない。だから私は浜で止まって近づかなかったのに彼女は「綺麗」と叫んで駆けだした。揺蕩う死んだ茎の塩漬けから視線をあげると、沈む夕日を後光にした彼女のシルエットがいて、表情の読めないくらいシルエットなのに確かにキャッキャ笑っていて、言う通り綺麗だったから、私も綺麗な海に向かってしまう。


海なんて見なくていいんですよ。もっと細かいところを描写しましょう。「なぜそこを見るのか?」と読者が考えられるように。きれいな海よりも死んだ植物の塩漬けに注目する奴。それがキャラクターです。

『海に行って「きれいだ」と思わずつぶやく人の講演会』クソイベント間違いなし!!!海が綺麗みたいなことを伝えようとしないでおきましょう。そうならないように、もっと独特な視点で、斬新な切り口で、私達らしい着眼点で風景描写は書くべきです。

でも私も書いてて忘れてしまうので『視点!』って度々唱えることにします。この風景は誰の視点なのか?どういう感情や示唆を持つのか?

つまり「主人公はこの風景の何に注目するのか?」三人称視点なら「この物語テーマなら読者に何を見せるべきなのか?」ですね。キャラクターや物語、その時々の主体が何かをしっかり意識すべきだなと感じます。

なぜ風景描写かと言うと、会話や感情は主体がはっきりしてるので安定し易い感じがします。もちろんもっとできる場合も多いです。でも割と大丈夫。

以上が企画でたくさん読んでて感じたことです。

えっ?ということは『海に行って「きれいだ」と思わずつぶやく人の講演会』みたいな物語があったのか?

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