留学生ミリウス視点で、浴衣姿の先生と偶然出逢った夏祭り。
*
「あれ……? あなたは……」
初めて訪れた日本の夏。友人たちに連れられてやってきた祭りの縁日で、俺はその人と出会った。
「たしか留学生の……ええと。ミリウス君!」
「はい」
「どうしたの、一人? 誰か一緒じゃないの??」
辺りを確認する彼女は、留学先の高校の教員で。クラスも、授業も、何も接点はなかったけれど、その姿は焼き付くように覚えていた。
「そっか。はぐれちゃったかぁ~、しょうがないよね。この人混みじゃ」
スマホも繋がんないし……と、連絡手段を確認する彼女は、ミリウスが初めてこの街を訪れたときもそうして端末を眺めていた。
朝、学校への道筋がわからなくて。ただ駅前で立ち尽くしていたその時に、偶然声をかけてきたのが彼女だった。
『その制服、うちの学校よね? どうしたの?』
外国語が特に使えるわけでもない。海外に留学した経験があるわけでもない。
何の接点もないけれど、ただ『困ってそうな人間がいる』、その事実だけで声をかけてきてくれた……その人。
「とりあえず友達にメッセージだけ送って、どこかで待ってよっか」
そう言って彼女は、またしても俺に付き合ってくれた。
「あの……いいんですか、誰か、一緒に来た人は……」
自業自得で友人とはぐれた自分のために、彼女の時間を奪ってしまうのは心苦しかった。
「いいのいいの! どうせ一緒に来た友達には振られたし」
そう言って彼女は朗らかに笑う。
けれどその言葉に、ズキリと俺の胸は痛んだ。
なぜなら彼女は――――センセイは、いつもと全く違う『姿』をしていたから。
今夜会場を訪れる多くの女性が着ているのと同じような浴衣を着て、髪には揺れるエキゾチックな髪飾りをつけていた。
伝統的で、魅力的なその姿。それはきっと……誰かにその姿を見てもらいたかったからだろう。
賑やかな通りを歩く数多の恋人たちを背に、ぐっと拳を握りしめる。
「センセイは……とても綺麗です。とても、美しい」
「!? と、突然どうしたの……?」
「それがわからないなんて……。その男は、きっと馬鹿だ」
自分なら絶対に、離しはしないのに――――……。
そんなことを思ってしまった自分に気づいて、遅れて咄嗟に口を覆う。
「あ……ありがと。でもきっと勘違いしてるような……? 友達っていうのはそのまま女友達なんだけど……」
一緒に来た友人が、偶然十数年ぶりに会う友人たちと再会したので、旧友水入らずで話してもらいたいと、一人抜けてきたのだと彼女は言った。
「ま、一人でも美味しいものがあればそれで楽しいし? こうして生徒がトラブルに巻き込まれてないか見回りにもなるし?」
白い歯を見せて笑う彼女は、本当に心の底から『それでいい』と、文句もなく満足そうに微笑っていた。
「ほら、あっちで待ちましょ。人通りも少ないし、もうすぐ花火もよく見えるはずよ」
彼女の言うとおり、その静かな場所からは天高く打ち上がる花火の零れる光がよく見えて。
その光に照らされて、真昼のように浮かび上がる彼女の横顔が、とても美しかった。
夜の光を目一杯取り込んで輝く瞳に、なだらかに通る小さな鼻筋。艶やかな唇が何かを紡ぎ出すたび、どきりと胸が高鳴った。
「ね、綺麗でしょ?」
やっとの思いで頷いたのは、自分の胸の内を見透かされたと思ったからだ。
彼女は――綺麗だ。この国で出会った誰より、綺麗だった。
それは見た目だけの話でなく、人柄が、話す言葉が、見せる表情が、すべて何もかもが美しく、視線が惹きつけられとまらない。
学校にいても、遥か遠く、窓ガラスの向こうにその姿を見つけても。
見つけてしまったからには――――もう視線を外せない。ずっと、その姿を見ていたい。
そんな彼女が、いま、自分の隣にいる。
(………………)
浴衣に合わせて結い上げた黒髪から、ほつれた髪が緩やかにうなじにかかっていた。
普段は見えない細い首筋に、しっとりと汗ばんだ肌に花火の明かりが反射して、きらきらとそこだけが輝いていた。
しゃらりと揺れる髪飾りがはるか眼下で揺れ動き――――彼女の小ささを思い知る。
自分の目には、日本の同級生たちと同じようにしか見えない彼女が、手の届かない――――届くことの許されない『大人』だなんて。
「………………」
花火の瞬きに、その轟音に。体の内側まで響くその振動に紛れて、彼女をこのまま攫って行けたらいいのに……。
そんな夢に、酔いそうになる。
パラパラと降り注ぐ光の雨に、天に釘付けになった彼女の指にそっと手を伸ばす。
ほんの少し。ほんの、小指だけ。
そっと触れると、彼女の大きな瞳がこちらを向いた。
「どうしたの?」
「………人が、増えてきたので」
「あぁ!」
迷子の生徒が不安を感じていると思ったのだろう。
彼女は俺の手を取って、ぐっと掲げて、『これで大丈夫!』と笑って見せる。
その、まるで異性として意識されていない純粋な笑みに、もどかしさと焦がれるような愛しさを込めながら、俺はその小さな手のひらを握り返す。
「あの……連絡先を聞いてもいいですか」
「いいけど……どうして?」
「無事に帰ったと、あなたに連絡がしたいので」
もし友人が迎えに来たあと。彼女にそう報告がしたかった。
報告をして、それをきっかけに。彼女にもっと、たくさんの言葉を贈ろう。
感謝と、愛しさと、自分が感じたあらゆる想いを。
そうしていつか――――この国を離れるときに。
彼女と、もっと確かな繋がりをもてるように。
「はい、登録完了っと」
何も知らない彼女が見せる純粋な笑みに、同じように笑みを刻む。
この出会いが、いつか永遠のものにならんことを。
それだけを願いながら、今日という夏の夜を焼き付ける。