ハーメルンの笛吹き集団

私は人付き合いが苦手なのです。
相手の心情とか空気とか読むのがあんまり得意じゃないし、社会性も社交性もあまりない。

でもそれは、何か人付き合いが苦手なことを説明する免罪符のような気がして。
友達とご飯に行ったりとか、買い物に行ったりとか。
この何かノルにノレナイ感情に対する説明が欲しい。
誰か教えてくれると嬉しいのですが。



今週は、友達に誘われて10人ちょっとでヘルシンキに買い物へ。
中央駅のコンコースで待ち合わせ。
待ち合わせ時間ちょうどに行くと、薄着のフランス人が既に着いていて。
最近、フランス人はあんまり寒さを感じないんじゃないかと考えてる。
いつも薄着だもん。もしかしたら痩せ我慢なのかもしれないな。

十数分後、買い物旅の始まりだ。
集団、ましてや多国籍集団を率いていくほどの能力もないので、一番後ろから着いていった。

名前は忘れたけど、隣の奴に「ウェアーイズアワーディスティネーション?」と聞く。
予想通り答えは「わからない」と。う〜ん、想定どおりの展開。
騒ぎながら操られているゾンビのように、意味もなく大通りを練り歩いた。

ふと気になって、集団の一番前に割り込む。
左にいきそうな雰囲気だったから、右に行った。
そしたら従順に着いていく。
まるで子鴨の行軍のよう。

そのままどこかへ行ってしまうような、そんな気がした。


皆必死でしたがもう騒ぐことすら遅いほどたくさんの子供達は行ってしまっていました。
すぐに町の人たちは捜索を始め何日も何日も長い事かかって捜したのですが、でも子供達のゆくえは誰にもわかりませんでした。
いまではもう子供達の行方を知ることもなくあの男の事も夢の中の出来事のように遠い昔の話になってしまっていますが、町では時折山のほうから楽しそうな子供達の笑い声や歌声が聞こえる時があるそうです。

————ハーメルンの笛吹き男より


自分が何かをするときに、特に目標とか目的を持つことはない。
けれど、目標とか目的がない集団に属すのは、心の底から嫌なのだ。

自分はぼっちが1番性に合っているというのはすごく感じている。
それは自分の性格からも自明のことではあるけれど、何か自分のプライドが邪魔をしている感じがして。
でも集団に何か合わなくて、痩せ我慢をして。

レストランに行くと相手の注文したものが羨ましく思えてくるというのは人間のさが。
だけれど、だからと言ってその料理を注文したらしたで、またなんか違うな…となる。

どっちも疲れてしまうから、私の理想は集団と自分の間で都合のいい関係性が作りたい。

相手の料理から”ひとくち”もらえるような人生がいい。

4件のコメント

  • 騒ぎながら操られているゾンビのように、意味もなく大通りを練り歩いた。

     ここの表現すごく好きです。

     自分の中味と外の状況がうまくマッチしていてなんだかとても落ち着きます。

     
    ※※※

     「理想は集団と自分の間で都合のいい関係性が作りたい。」

     なんかゲームの主人公みたいですね。各地を旅していろんな人とか国を助けるタイプの。

     願ってるのなら……いや目標があるのならあとは足を前に進めばいつかつきますよ。

     その過程がどうであれ
  • 励まされました…!
    読んでくれてどうもありがとうございます!
  • ハーメルンの笛吹き男は、たしかグリム童話だと思ったのですが、

    私も昔ハーメルンの笛吹き男をテーマにした詩を高校生の時に書いたのを思い出しました。

    子供達は何処に連れてかれたのでしょう。

    少し、センチメンタルな気分になります。

    人の気持ち、私も分からない時があります。
  • 共感してくれてありがとうございます!!

    センチメンタルな気分になりますよね。
    ハーメルンの笛吹き男に連れ去られた子供達のように、このまま生きていると何か手元から大切なものが離れていってしまうような気がして、焦燥感に日々かられています。
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