どうもこんばんわ、元底辺歌い手だった事もある川中島ケイです。
『元バンドマン』って書くと例え底辺でもカッコ良いイメージあるのに『元底辺歌い手』って書くと一気にカッコ悪いよなあと感じるのは私自身が『歌い手』という存在に劣等意識のようなものがあるからなのかどうなのか。
元バンドマンで元歌い手です、どっちも底辺ですが。
と書いてみて『底辺』が付くからどっちにしてもダサいんだなと気付いたw
さてさて、そんな私が実体験を元にした9000文字弱の短編
『いつだって耳を澄まして聴こえるのは君の歌』投稿いたしました。
https://kakuyomu.jp/works/16818093093085466391 この作品は私がボーカロイド曲で一番好きだった曲、クワガタP様の「フラッシュバックサウンド」という曲をモチーフに書き上げました。
https://www.youtube.com/watch?v=PJJ6BW006AM※作品内で実在の楽曲や歌詞を用いるのは厳密には著作権に抵触すると聞いた覚えがありましたので、作品内では「サウンド」を「ソング」に変えて登場しております。でもそれもマズいのかな……詳しい方、教えていただけると助かります。
今から10年少し前、歌い手というものをやっておりました。と言っても所詮は素人の下手糞な歌だし、仕事の隙間で時間を見つけてやっているだけのものだから上達もしないしせいぜい幾つかの動画が1000再生を越えられた程度。
で、いつの間にか得られない評価よりも心折られるような批評に耐えきれなくなって、ひっそりとアカウントも動画も削除して辞めたのですが。
それでも、時間的制約でバンドも出来ないけれど日々鬱屈した感情を吐き出す場所も無かった当時の私にとっては唯一の息を吐き出せる場所で、自分が此処に立っている事を証明できる手段だったわけで。大切な日々だったんだよなぁと今でも感じています。
そしてそんな私の歌声は多くの人に響くことは無かったけれど、でも誰にも届かないわけでもなかったわけで。たった数人、数十人だとしても聴いてくれる人が居て、同じように歌う事で何かを表現したいとか誰かと共感し合いたいとか考える仲間が居て、言葉を尽くして理解し合いたいと過ごした場所もあって。
最近この『小説を投稿する』という事を始めてから、同じだよなぁと思い出すことが多くなったのです。
自分の声が出来る事なら多くの人に届いて欲しいけれど、それを叶えられないとしても誰かと何かを共有・共感して理解し合えるとしたら、そのために書いているんじゃないかなって。前は『歌』というものがそのための手段だったものが『文章』に変わっただけなんじゃないかなって。
そんな事を考えながら書き上げました、ほぼ実話です(3,4話目は脚色している部分がありますが)
あ、ちなみに作品内にも表記しましたが登場する人名は全てフィクションですので誤解など無きようにお願いいたします。登場人物名が全部、誰とも1文字も被らないのはどうしても無理でしたので適当に付けた名前ですので。
ご意見、ご感想など戴けると大変嬉しく思います。ことに「音楽ジャンルものを文章で表現する」という点についてが今年、試してみたい大きな事ですのでそこについてなどご指摘があれば次回作に活かせて助かります。