以前から言っていた番外編。
今回は、そう――カオスの町、名古屋。
『名古屋探訪記』
創作村には、さまざまな出身の者がいた。さすがネット社会だと思ったものだ。その中に一人、名古屋県民の男がいた。彼と一緒に行動したり、遊びに行ったりして交流を深めるにつれ、彼も自他ともに認める名古屋県の悪癖がいくつか浮き彫りになった。
その一、交通マナーが悪すぎる。
名古屋走りをご存じだろうか? そう、方向指示器を出さずに車線を変更するという、名古屋独自のルールである。それは時に他県の運転手も巻き込み、いつしか名古屋ナンバーを見ると警戒するという悪しき習慣を生んだ。
だが、名古屋人は「三河よりはマシ」と口を揃えて言う。他責せずにまず反省し、交通ルールを順守してから言ってほしいものだが、それは一旦脇に置こう。三河がどれほどのものか、私は興味が湧いた。
すると、奇跡の巡り合わせのように、創作村に三河出身の女がいた。
彼女と交流をしつつ独自に調査した結果、三河人には二つの運転マナーが存在する。「スピードの向こう側を目指しかねないスピード狂」と「交通ルールを守りまくる保守派、いや、穏便派」の二択である。中途半端はいない。このどちらかに傾いていた。そして彼女らもまたこう言う。「名古屋よりマシ」と。
その二、コメダに並ぶ。
逆詐欺で有名なあの喫茶店である。昔は煙草休憩に重宝したが、禁煙・分煙のあおりを受けた店も多い。それでも昔ながらのものを守っている店もある。
そして、名古屋県民、いや愛知県民というべきか。何故か並ぶのだ。名古屋の地下街に行ってみると良い。喫茶店という回転率の悪い店に普通に並ぶ。隣に別の喫茶店があろうとも並ぶのだ。あの美味くもなんともない、漆黒に煮えたぎった飲み物は彼らの血液なのだろう。
ちなみに、個人的には珈琲は美味しいとは思わない。しかし食べ物は美味しい。そして、ソファーが異様に心地よい。居心地の良さは、昭和感があるようなないような独特な佇まいに由来するのだろう。
その三、独自の文化形成。
偏見ではあるが、名古屋人は基本的に厚顔無恥も甚だしい。大阪人より面の皮が厚い。多分、神経が通っていないのだろう。だが、それくらいでないとあの文化は形成されなかったと思う。
有体に言えば、そこはカオスである。たとえば『天むす』は三重県津市の名物だが、「最初から名古屋が発祥ですが何か?」と言わんばかりに展開している。他にも「モーニングのルーツは名古屋ですが、なにか?」と言うが、その発祥はお隣の羽島市か一宮市である(諸説あり)。タピオカミルクティーが流行ればいち早く取り入れ、タピる。エビフリャーと言えば、海老フライを文化に取り入れるなど。ともかく、大須を歩けば、流行をオマージュしたものがたくさんある。
その四、食文化もカオス。
まず、味噌煮込みうどんには当たり前のようにごはんがつく。お好み焼きにご飯文化の炭水化物圏で育った身としては気にならないが、他県の者が来たら驚くだろう。さらに煮込んでいるため、山梨の「ほうとう」のように柔らかいと思うかもしれないが、麺は硬すぎてまた驚くはずだ。
余談ではあるが、シチューにご飯はありか、なしか? 昔、これと目玉焼き論争で戦いがあったのだが、今はこの火種は一旦しまおう。
他にも『あんかけスパゲッティ』というものがある。パスタではなく、スパゲッティである。おしゃれな響きにしては名古屋飯らしくない。定番は「ミラカン」。これは「ミラネーズ(肉系)」と「カントリー(野菜系)」を両方乗せた、肉と野菜がバランス良く入った欲張りな一皿である。ちなみに、カレーハウスCoco壱番屋は清州が発祥だが、チェーン展開するあんかけスパ専門店「パスタ・デ・ココ」も有名。
喫茶マウンテンの甘味スパも受け入れられている。個人的には食べなくても人生に損はないので、スルーで良い。試すなら、パスタを茹でた熱々のうちに冷たい生クリームと鯛焼きを絡め、サクランボを載せてみると良い。同じような味と感想になるだろう。
と、まあ、このようなカオスな町である。名古屋県民は口では「いや、名古屋なんて……」と謙遜するが、なんだかんだ名古屋が大好きだ。郷土愛に溢れている。そして何故か東京ではなく、大阪を仮想敵にする。ソースVS味噌の争いは、きのこたけのこ戦争のように終わりはないのだろう。
それでも、私は面白いと思うし、好きですよ名古屋。