今、表現の自由をめぐって、某作品のアニメ化が話題になっていますね。
私も、非常にざわざわしています。
考えてみれば、作品をアニメ化すること自体に、反対したいわけではありません。
アニメーションとして制作する意義がある、という評価もあるのでしょう。
それでも、私はこの作品が、障害者福祉への問題提起や啓発という意味を与えられ、「社会的に意義のある良い作品」として広く扱われていくことには、強い抵抗があります。
なぜこれほど抵抗を感じるのか。
今日、ようやく自分の中で答えが出ました。
作者が過去に公開していた、ハリー・ポッターの組み分け帽子を題材にしたパロディ漫画があります。
「スリザリン!」
「レイブンクロー!」
そして最後に、
「ハッフルパフ……特殊学級!」
とあの主人公を落とす漫画です。
私は、これを笑えませんでした。
あくまで私個人の立場ですが、私には支援学級に通う子どもがいます。
支援学級へ通うこと自体を、私は否定的に考えていません。その環境の方が、子どもが安心して学び、幸せに生きられる可能性が高いからです。支援級の先生方や発達支援施設の方々には、大変感謝しています。
だからこそ、「特殊学級」を、外れ枠や劣った行き先として笑いのオチに使い、それを何の疑問もなく公開できる感覚に、私は強い拒否感を持ちました。
その作者の作品が、障害者支援や福祉を語る文脈で評価され、広く普及していくことを、私は肯定的には受け止められません。
これは客観中立を装った批評ではありません。
支援学級に通う子どもの親としての、きわめて個人的な異議です。
もちろん、これはあくまで娯楽作品であり、作者自身が福祉啓発を掲げているわけではない、という見方もあると思います。私も、ただのエンタメとして流通することまで否定したいわけではありません。
けれど、作品の外側で「障害者福祉への問題提起」「社会的意義」といった評価を付与するのであれば、作者が障害をどのように笑いの対象にしてきたかも、私は切り離して考えられません。
ただ、この件は同時に、自分自身にも返ってきます。
自分にとって当然だった感覚が、誰かを傷つけてはいないか。
小説というフィクションの形であっても、私はときどき悩みます。