今日はとりあえず、これ読んで来てから聞いてもらいたい。
涼風紫音様の「小説書き、あるいは将来職業小説家になるかもしれないあなたへ」
https://kakuyomu.jp/works/7667601419923334991 読んだ?
オーケー、話をしよう。
こちらで触れられているのは非常に初歩的な部分である、小説の書き方のお約束。小説を書く者としての自覚の話。
そして何よりも「文体」という、物書きが自然に培うべき個性の話だ。
実はこの「文体」というのは、確立してしまえば大きな武器になる。これは数書くことだけでなく、数読まないと身にならない。
流行りの作品を片端から読んで、流行りの文体を身に付けて書いたとしても、それは一過性のものでしかない。
根本となる「己の武器」を手にしなくてはならない、そういう話だ。
お前如きが偉そうに、と思われるだろうが、まぁ聞いてくれ。
様々な作家……それこそ、過去の文豪達の文章を自らに取り込んでいくとだ、小手先の技術でその模倣ができる様になる。
例えば、太宰治風、みたいな文章を書ける様になるわけだ。これは何に役立つのかというと、文章のリズム感を勉強するのに使える。ひいては、己のリズム、己の文体を構築するための糧になる。
よく「書き方が分からないなら、ひたすら既存の作品を写し書きしろ」といわれるが、その正体がこれだと私は考えている。
絵を描く人が最初は模写から入る様に、物書きもそれを基礎に据えてもいい。
そこから自身の強力な武器となる「文体」が生まれてくるからだ。
そしてもう一つ、自身の創作の大きな柱を持っておくといい。
私であれば「日常の中の非日常、非日常の中の日常」だ。
私はこの柱にしては荒削りな丸太を抱え、振り回して創作をしている。
誰もが体験する日常と、その中に含まれる非日常。そういうものを書いている。
なので、それが刺さらない人には、ヤマのない退屈な話に見えると思う。
が、この丸太がブッ刺さると「この世界を眺めていたい」と思ってもらえる、そういう世界を書いている。
私は30年かけて、そういう世界を作ってきた。
取り止めもない話をしたが、私は某無双の孟獲が如く、丸太を振り回して今日もネタを頭の中で転がしている。
書くのをやめない、書き上がるまで辞めないというのは、物書きとして最低限の矜持であると心に刻みながら。