『マゾヒズムが消えた世界 ── 天国によく似た地獄にて』
この物語を書こうと思った理由は、主人公を絶望させたかったからである。
── 私は絶望エンドが好きだ。
物語の最後まで必死に走ってきた主人公が、ようやく何かを掴んだと思ったところで、それを綺麗に取り上げられる。
救いがないと言われればその通りなのだが、せっかく架空の人物なのだから、現実ではなかなかできない酷い目に遭ってもらうくらいは許されると思っている。
今回も、最初に考えたのは「どうすれば主人公を絶望させられるだろう」だった。
ところが、題材をマゾヒズムにした事で、早くも問題が発生した。
普通の主人公なら、苦痛を与えたり、我慢させたり、自由を奪ったりすれば、それなりに悲惨な顔をしてくれるはずである。
しかし、相手がマゾヒストだと喜ぶ可能性がある。
絶望させる為に追い詰めた結果、幸福指数が上昇してしまっては困る。
作者としても、こちらがせっかく用意した不幸を勝手に報酬へ変換されるのは面白くないし、何より絶望エンドの主人公として非常に扱いづらい。
では、マゾヒストから何を奪えば、本当に救いのない結末になるのだろう。
苦痛そのものを奪うだけでは足りない。
苦痛を禁止しても、禁止された事自体に何かを見出される可能性があるし、我慢させるという方法に至っては、もはやこちらから燃料を供給している様なものである。
色々考えた結果、もっと根本から処理する事にした。
── マゾヒズムそのものを取り上げればいい。
苦痛を感じなくするのではなく、苦痛を何かへ変換する部分を消してしまう。
痛かったけれどもう一度、苦しかったけれどもう少し、失敗したけれどまたやってみたい。
そういう妙な欲求が本人の中から発生しなくなれば、さすがのマゾヒストでもどうにもならない。
そう考えて、人類からマゾヒズムを消してみた。
ところが実際に消し始めると、思っていたより工事範囲が広かった。
最初は性癖を一つ撤去する程度の話だったのだが、苦痛を自分から選ぶ行為を探していくと、まず筋トレが引っかかった。
重い鉄を苦労して持ち上げ、どこかへ運ぶのかと思えば、その場で元の位置へ戻してしまう。
それを何度も繰り返し、翌日には身体が痛いと言いながら、数日後にはまた同じ場所へ行く。
文明は重労働から人間を解放する為に機械を発明してきたはずなのに、十分に豊かになった人類は、今度は会費を払って重労働を再現していた。
かなり怪しい。
登山も調べてみると危険だった。
長時間かけて高い場所まで登り、疲労し、寒さに耐え、ときには命まで危険に晒した末に山頂へ到着するのだが、そこで生活を始める訳ではなく、写真を撮って下りてくる。
それなら最初から麓にいればいいのではないかと思ったが、登山をする人にとっては、たぶんそういう話ではないのだろう。
少なくとも、登山人口を敵に回してまで合理性を主張する勇気は私にはない。
辛い料理まで来ると、さらに説明が難しくなった。
口へ入れた瞬間に痛みが発生し、汗や涙が出て、ときには鼻水まで追加されるのに、本人はそれを食事として楽しんでいる。
しかも、翌週には前回より辛い店を探したりする。
このあたりで、マゾヒズムという言葉の適用範囲を広げすぎている気もしてきたのだが、もう物語を書き始めていたので、そのまま進む事にした。
すると、今度は創作が引っかかった。
小説を書くという行為は、効率だけを考えるとなかなか厳しい。
何時間も考えて書いた文章を翌日に全部消し、また書き直し、完成したところで読まれる保証もなく、評価される保証は更にない。
それでも次の話を書き始める人間がいるのだから、治療対象を真面目に選別していくと、作者まで収容される可能性が出てきた。
恋愛も安全ではなかった。誰かを好きになれば、会えない、返事が来ない、気持ちが分からないと悩み、うまくいかなければ傷つき、別れた直後には「もう恋愛なんてしない」と言う。
それなのに、しばらくすると再発する。
こうして考えていくと、人間は苦痛を避けながら生きている様でいて、その一方で自分から面倒な場所へ入っていく妙な習性を持っている。
そして面白い事に、それぞれを「努力」「挑戦」「趣味」「恋愛」「創作」などと別々の名前で呼んでいる為、同じ仕組みが働いている様には見えにくい。
そこで、この物語では全部まとめて治療してみる事にした。
その結果として出来上がったのが、レイ・カミシロの暮らす世界である。犯罪は減り、過重労働はなくなり、危険な挑戦をする人もいない。
傷つく恋愛は早めに終わらせ、不快なものは避け、面倒な作業は効率化されている。
困った事に、かなり住みやすそうだった。
私はディストピアを書いているつもりだったのだが、途中まで設計してみると、現在より福利厚生の充実した社会が完成してしまった。
これでは主人公を絶望させるどころか、普通に長生きしてしまう。
そこで、エマ・ミカゲに唐辛子を食べてもらった。
エマには、特別な思想を持たせなかった。
世界から失われた人間性を取り戻そうとする革命家でもなければ、合理主義社会へ疑問を投げかける思想家でもなく、ただ辛いものが好きで、自分で小説を書き、上手くもないギターを弾き、ときどき雨に濡れて歩く女である。
本人に理由を尋ねても、それほど立派な答えは返ってこない。
その方がよかった。
「人間には無駄が必要なのよ」などとエマが語り始めたら、その瞬間に彼女は作者の思想を代弁する装置になってしまう。エマにはそんな仕事をさせず、唐辛子を食べて勝手に幸福指数を上げてもらう事にした。
その横に置いたのが、人生を損益計算できる男、レイである。
最初の彼は非常に優秀だった。
恋愛の満足度が下がれば損切りし、目的地へ向かうなら最短距離を選び、苦痛が発生すれば原因を取り除く。
旧人類が山へ登っていた記録を見ても、それを異常行動として正しく処理できる、安心して見ていられる主人公だった。
そこへ唐辛子を食わせた。
一口目で苦しんだのだから、本来ならそこで終わるはずだった。
しかし彼は二口目を欲しがり、その後は雨の中で傘を閉じ、転んで笑い、最終的には国家から逃げながら山へ登るところまで悪化した。
その結果が、《苦痛指数:91》《幸福指数:96》である。
治療が必要だった。
なので、治療した。
ここからが、この物語を書く上で一番考えたところだった。
レイを絶望させる為に、何を残して何を奪うのか。
エマの記憶を消してしまえば簡単だった。
雨の中を走った事も、山へ登った事も、唐辛子を食べた事も忘れさせれば、それなりに悲惨な結末にはできる。
ただ、それでは普通の悲劇だった。
感情を失わせる事も、人格そのものを壊してしまう事もできる。
でも、それでは「マゾヒズムを取り上げられたから絶望する」という、この物語でやりたかった事から少し離れてしまう。
だから、できるだけ残した。
レイはエマを覚えている。
雨も山も唐辛子も覚えていて、そのとき自分が幸福指数96を記録した事まで知っている。
知能も味覚も身体機能も正常で、美味しいものを食べれば、それが美味しいという事も理解できる。
その上で、「もう一回」だけをなくした。
もう一口食べたいと思わないし、もう一度エマに会いたいとも思わない。あの雨の中をもう一度歩きたいとも、幸福指数96だった時間へ戻りたいとも思わない。
これなら絶望するだろうと思った。
ところが、ここで最後の問題が発生した。
レイは絶望しなかった。
考えてみれば当然で、絶望する為には失ったものを惜しまなければならない。
以前の自分に戻りたい、もう一度あの時間を取り戻したいと願うからこそ、人間は喪失に絶望できる。
その「願う」部分まで治療してしまったのだから、彼には絶望する理由がない。
主人公を絶望させ様として書き始めた物語なのに、最終的には絶望する能力まで取り上げてしまった。
予定より、少し深く削りすぎたらしい。
ただ、私はこの終わり方が気に入っている。
レイは泣かないし、返してくれとも叫ばない。
国家を恨む事もなければ、エマを求める事もなく、本人は別に苦しんですらいない。
国家も悪くない。
医師も真面目に治療した。
治療後のエマは幸福指数99.7で、社会全体も以前より幸福になっている。
レイについても、幸福が測定できなくなり、自発的な欲求がほぼ消え、自分からトイレへ行かなくなった程度で、重篤な副作用との因果関係は一例しかない為、証明できない。
従って、治療成功率は100パーセントのままである。
絶望エンドとしては、かなり質が悪い。
もちろん、この物語を書いている途中で、当初予定していなかったものもいろいろ入ってきた。
無駄のある人生は案外悪くないとか、効率だけでは測れないものがあるとか、苦痛をなくす事と幸福になる事は本当に同じなのかとか、そういう話である。
ただ、それらを答えとして書いたつもりはない。
苦痛など、なくていいものはたくさんある。
理不尽な我慢や過重労働まで「人生には無駄が必要だから」と保存し始めたら、それはそれでかなり迷惑な社会になるし、三時間の会議を「人間らしい遠回り」と呼び始めた会社があれば、そこは遠慮なく効率化してほしい。
それでも、人間が「無駄」と呼んで捨て様としているものの中には、ときどき本人にしか価値の分からない何かが混ざっている。
レイにとって、それは唐辛子だったのかもしれないし、雨だったのかもしれない。
エマだったのかもしれないし、それらを「もう一度」と欲しがる自分自身だったのかもしれない。
この物語では、それを全部まとめて治療した。
治療は成功した。
レイは絶望していない。
だからたぶん、私が最初にやりたかった「主人公を絶望させる」という目的だけは、最後まで達成できなかったのだと思う。
その代わり、絶望する事さえできない主人公が残った。
結果としては、そちらの方がずっと酷かったのだと思う。
レイの今の境遇を想像すると、心が痛む。
だが、私は絶望エンドが好きなので、満足している。
最後までこの物語にお付き合いいただき、ありがとうございました。
レイには申し訳ないが、書いた本人はとても楽しかったです。
伏見トキナ