やっとかめです、アテクシです。
今回は質問をいただきましたので、臨時のキリンジ解釈として該当2曲について解説します。いつも通り、歌詞引用はしませんので元歌を聴いてね。
最初の質問は揚げ足鳥さんから、「毎度毎度クソ解釈ご苦労さん。いっつも気になるんだけど『クレイジーサマー』の歌詞で、砂を”かむ”が”つかむ”になってるんですけど、これ間違いですよね?」
という質問ですけど、派遣のおじさん、いかがでしょうか。
「こんなん思い込みからの言いがかりじゃない?」
そう言わずお願いします。実は私も引っかかるものがあるので。
「あー、しょうがないなー。
まず、慣用句”砂を噛(か)む”の本来の使い方は”砂を噛むような味気ないご飯”とか”砂を噛むようなつまらない日々”とかだよね。
だから意味としては、味気ない、つまらない、面白みがない、というようなことなんだけど、それでは『クレイジーサマー』の”思い”にはあてはまらないでしょ?」
確かに、曲の感じだと”つまらない”と言うよりも、もっと後悔のような気持ちでしょうか。本当は彼女と別れたくなかったのに、という。
「実は”砂を噛む”の最近の用法として、そういう”とっても悔しい”の意味での使われ方が出てきたんだよね。”負けて砂を噛む思いです”とかね。
”臍(ほぞ)を噛む”や”唇を噛む”のイメージが転化したのかもしれないけど、正式には誤用です。揚げ足鳥さんも誤用の意味で文句言ってるよね。
まぁ、言葉は時代に連れて変わっていくものだから、誤用でもいずれ定着しちまうかも知れないけどね」
だったら”砂を噛む思い”でも良いんじゃないですか?
「この”砂”は曲の割と初めの方で出てくるんだけど、この時点で”とっても悔しい”という感情は当てはまらないと思う。
ここで出てくる彼女の”幻”はもちろん捕らえられずに消えていくものであって、指の間から砂がこぼれ落ちていくような喪失感を感じていると思うんだよね。
だから”砂を噛む”より”掴(つか)む”の方が適切だと思います。
確かに後半で”どうかしてた”という後悔の気持ちは表現されているんだけど、まず喪失感があって次に後悔が来る。”後悔先に立たず”ってやつですな」
誰がうまいこと言えと……
「”掴む”の方の慣用句もあるにはあって、元は相撲から来てるみたいだけど、江戸時代の用法みたいだし、そこは目くじら立てる必要はないと思うよ」
なるほど、では次は『乳房の勾配』の歌詞についての質問で、あー、これも揚げ足鳥さんからです。「”脊髄(せきずい)”は背骨の中に通っている神経のことで指では直接触れられないはず、正しくは”脊椎(せきつい)”すなわち背骨では?」
「なんだこいつ?生半可な知識で喧嘩売ってんのか?」
まぁまぁ、疑問に思うほど良く研究されてる云うことで。
「じゃあ、逆に訊くけどさ、”素直な脊椎(せきつい)”って何?
”曲がった脊椎”とか“真っすぐな脊椎”とかは言うけど、素直って表現、しないよね。
背骨は椎骨の集まりで凹凸あるから皮膚の上からなぞっても特に滑らかでもないし。
素直ってのは行動や態度を形容する語だから、ここでは”反応”の形容だと考えられる。
そして反応と言えば神経、すなわち脊髄だ」
”脊髄の素直な反応”ということですか?
「脊髄反射ってあるでしょ?感覚神経からのシグナルが脊髄で直接運動神経に伝達されるやつ。
まるでそれみたいに体が勝手に反応しちゃうービクン、ビクンってのを称して”脊髄”の素直さと言っているわけ。
つまり体中あちらこちらでの”指遊び”に”脊髄”が素直に反応しちゃって、あちらこちらに皮脂やらなんやらを滲ませるという、淫靡の極致を表現したものなのだよ」
なんか、わかったようなそうでないような……
「しかも、歯→乳房→耳たぶ→頤(おとがい)と見て触れることのできる部位からの→脊髄、だから普通は脊椎と勘違いするよね。背中触ってるだけかって。
ところがどっこい、実はその奥のより深いエロ・ワールドが隠されていたという、高樹お兄さんお得意の騙しのテクニックです」
やっぱり良くわからない……
「いずれにしてもキリンジの歌では言葉がものすごく慎重に配置されてるから、違和感を感じたら何か秘密がある思った方が良いよ」
よろしかったでしょうか。
これまでのものを含めすべての解釈は個人的なものですので、お気に召さないことがありましても何卒ご容赦くださいませ。
その他の質問がございましたら、面談でのみ受け付けております。すみません。
では、いずれまたお会いいたしましょう。
アテクシ
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