これ(『善光寺縁起』)を読むと、
阿弥陀如来像を背負った百済国人一行は、
摂津国難波についた。
欽明天皇の御代、552年壬申10月13日の午後2時頃。(諸説あり)
その時代の内裏は、大和国山辺郡の磯城嶋金刺宮(奈良県桜井市金屋付近)にあった。
だから、日本人の設定では、
金刺氏は奈良の在来の日本人で?名もなき朝鮮人と善光寺を建てに長野に行ったと。
ただ、わたしは傅氏が傳田にして、金刺氏は金氏だったのを日本人ぽく金刺氏にした?と思う。
そうやって苦肉の策で日本人に紛れた臭い。
その金刺氏が神武天皇の子孫で、傳田氏もうっすらそうとすると?
阿蘇氏の中村氏、上島氏、光永氏の誰かが神武天皇の直系子孫だろう。
とすりゃ、中村氏に決まってる!!
光永氏とか詐欺だ!!