本当にそれだけ。でもまたすぐ消えるだろう。身辺整理も兼ねて、不出来と不首尾の始末は着けた。次は上手くやろう、と思い新たに物語を書き起こす。
筆を執ると気付くことは、オリジナリティのセンスは自分の裡にはなく、常に外部から摂取したものを腹の中で混ぜ合わせ、混沌無垢な作品擬きとして出力される。これはAIと変わらない挙動であろう、と私は思う。
それで良い。私は健康なのだ。オリジナリティを追求するが余り狂い死ぬこともなく、テーマ性や描写力に振り切って、肝心なものを全て投げ出してしまう不心得者になることもなく、私は私らしく、模倣を続ける。全ての創作は模倣なのだ。全ての作品は、再生産品なのだ。それは忌むべきことではなく、むしろ尊ぶべきなのだ。何故なら、自分の作品に活かしたいと思う心はまさしく愛であり、愛を持つが故に模倣が出来るのだから。
今日、私は人生の迷走を完全に脱却した。創作の途を殆ど外れ、ひたすら自分に見つけた大義に殉じる人生を歩むと決めた。決めてみると、もはや苦痛と思っていた刃は小石ほどの痛みすら与えない無害物と化していた。
俺は筆を手放し、若さの全てを現実に費やす。筆に生きるのは、老いさらばえてからで良い。
ただ時々、少し筆を手にしたくなれば、その時は温かい目で見て欲しい。
「宇宙提督のボヤキ」は不定期に更新する。全二〇〇万字に亘る長丁場を予定しており、これは現在非公開処分となっている「怪異鬼譚」シリーズの半分ほどである。しかも、「怪異鬼譚」は戦闘シーンが八割と言っていい構成であるが、「宇宙提督」は戦争が二割か、多くて三割程度の描写構成となる。つまり、八割ほどはドラマパートと言える。
とはいえ、どこまで予定通りになるかは分からない。脚本も筋書きも殆ど決まっているので、今のところの危惧は、”どこまで話が太るか”だ。なるべく無駄を少なくしているが、遊びも入れなければ到底面白くなる構成をしていない。
また、今のところ予定の二〇分の一までしか執筆が進行していないので、もしかすると尺が余ったり、あるいは伸びたりするかもしれない。いずれにしても、「怪異鬼譚」以外で、数年単位で付き合う作品に出会えたと思って、楽しみに書こうと思う。
音羽ラヴィ