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映画感想 秒速5センチメートル

あらすじ 主人公の貴樹が、思い出を糧に一歩踏み出す物語

感想
 この映画をみて感じたことは、エゴの押し付け合いで世界が回っているということ、そして物理的距離、時間的距離を越える行動と言葉を私は知らないということだ。

 お互いがお互いに対して、エゴを押し付け合っていた。言葉で確認することなく、ただの妄想を基準に判断していた。世界はやはりそう言ったすれ違いを主成分として進行している。

 物語の中心は、言葉で伝えるということだろう。言葉を交わした学生時代の二人は、少なくともその時までは、その関係性は尊い物だった。同様に、かつての恩師と生徒、本屋の同僚同士、館長と職員、館長と得意先の店員。全てにおいて、彼らは共に言葉を交わしていた。しかしどうだろう。今の貴樹を中心に、言葉を交わしていない関係性は、全てにおいて破綻を迎えていたではないか。もしも同様に、文通なりメールのやり取りを続けていたら。あの約束は果たされていたのではないだろうか。いや、そもそも遠距離だ。破綻を招く事象はいくらでもあるだろう。

 確かに映像は綺麗だった。丁寧すぎるくらいのガイドを伴い歩いている様だった。しかし、ハッピーでも、エンドでもない。どうしようもなく現実的で、何も終わっていなかった。彼らはこれからも歩み続ける。そう思わせるようなエンディングだった。

 また、この映画は過去の美化と現在への諦観を描いている様にも思う。過去の思い出は全て、綺麗に描かれていた。対して現在は、理想論の押し付けや、抱え込んだ末の自己欺瞞的な退職。場所を変えれば全てリセットできる、とでもいう様な。そんなことはありえない。心機一転やり直すことができたとしても、過去は消えない。その過去が今を形作っているからだ。劇中では、思い出ではなく日常だと言われていた。その通りだろう。過去、なんて私たちが勝手気ままに区切っているだけだ。そんなことよりも遥かに前から、私たちの一部だった、

 美しい思い出は、美しいままにしておくべきだ。現実はゲームではない。都合よく続きから再開し、理想のエンディングが待ち受けていることはない。主人公はこの体験を通して、そう学んだのではないだろうか。

 人は誰しも、美しい思い出を持つ。それは他人にとっては履いて捨てるような物だとしても、そのまま思い出として飾っておくべきだ。その美しさは自身にしか理解できない。触れると崩れ、塵になってしまう。私達は過去を歩けない。今を歩くしかない。ならせめて美しいものを美しいままで、共に歩んでいくしかないだろう。

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