孔子の時代、40歳ともなればもうかなり人生の完成形に近かったのかもしれない。
でも人生80年の現代、40歳はまだ折り返し地点。
自分の中に衝動も欲望も美学もある。
一方、40歳になると、すでに何かを築いてしまっている。
地位、家、会社、資産、婚姻、責任、部下、過去の判断。
だから惑っても、ただ逃げることができない。
すでに作ってしまった人生を、どう引き受け直すか。
昊天さんは39歳なのに「若様」と呼ばれ、同時に「もう四十だろう」と後継ぎを迫られる。
若すぎる/もう若くないを、都合よく両方押しつけられてきた。
その彼が「天」であることをやめ、「若様」という呼称を否定し、自らを「経営者」と定義した。
「経営者」という、極めて現実的で、かつ自分の足で立つ言葉を定義した。
これは、過去の因縁や周囲の期待を引き受け直した上での、彼なりの「不惑」の宣言だったのではないでしょうか。
彼のこの先が、幸多からんことを。