これは今日の日中翻訳の試験対策でやった宿題です。すごく面白かったので、みんなにもシェアしたいと思います。
やっぱり、小説だけじゃなく、芸術そのものも大きな脅威にさらされている、あるいは大きな影響を受けているんだな。
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まるで作曲家ガーシュインがそこにいるかのような体験だった。誰も座っていない自動演奏ピアノの鍵盤が激しく動く。1931年のニューヨークでの演奏の音源を、データに落として再現したという。タイムスリップしたような錯覚に陥った。
東京にあるスタインウェイで最新の自動演奏を聴かせてもらった。精緻(せいち)なタッチの再現に驚いていると「いまの技術はその先にあります」と支配人の広瀬泉さんが言う。
いまでは、自動演奏ピアノをネットにつなぐことである国での生演奏を、世界中どこでも同時に奏でられるようになった。鍵盤をたたく速度や深さのデータをピアノに送り演奏を再現しているという。
演奏家が弾くのと同じ型のピアノが家にあれば、論理的には、演奏会場と全く同じ音が聞こえることになる。こうした配信コンサートが、各国で開かれるようになった。そんな説明を聞き、ふと考えた。家の自動演奏ピアノで聴く音は、本物なのか、複製なのか。
近代以前の芸術は、その場、その瞬間だけに存在していた。だが、写真や映画といった複製技術の登場で、作品の唯一無二という特性は失われた。そして、何が真正かという問いは意味を持たなくなる――。1930年代、そう論じたのは、ドイツの思想家ヴァルター・ベンヤミンだった。
それから約1世紀。デジタル技術の進化で、「生演奏」すら生まれる時代になった。本物と複製との線引きはますますぼやけ、意味のないものになっていくのかもしれない。
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この文章を読んで、多くのことを考えさせられた。
一度は何か書こうとも思ったが、あれこれ思い巡らした末、やめてしまった。
たった一言で言い表すなら、AIも現代の新技術も、人類文明の頭上にぶら下がるダモクレスの剣なのかもしれない。