第8話 科野(しなの)の崩壊、静かなる鉄の音
隠し湯のほとりで二人の姫が背中を預け合っていたその頃、離れの暗がりでは、ウネがひとり、古びた火打石を弄んでいた。
カチ、カチ……。
闇の中に火花が散るたび、ウネの深く刻まれた皺が赤く浮かび上がる。
彼女の目は、二人の語らいを見ていた。アユラの揺らぎも、サラの戸惑いも、すべてお見通しだ。
(……罪なことだねぇ、火の神様よ)
ウネは小さく溜息をついた。
彼女は知っている。ヤマトタケルという男が背負う孤独の深さを。そして、彼がかつて榛名の森で少女と出会ったあの日、実はウネ自身も遠くからその光景を眺めていたのだ。
ウネにとって、サラは守るべき蝦夷の誇りであり、アユラは失った娘の面影。
二人がヤマトの王子に心を乱されるのは、かつて自分が歩んできた道に似ていた。
(愛してはならぬ者を愛し、守らねばならぬもののために剣を握る。……それが女の業(ごう)というものか。だがね、山はもう、待ってはくれないよ)
ウネは火打石を置き、重い腰を上げた。
彼女の耳には、普通の人間には聞こえない「山の軋み」が届いていた。
榛名の地下で、千五百年の眠りから覚めようとするマグマの咆哮。それは、ヤマトと榛名、どちらの正義も等しく灰にする、無情な幕引きの足音だった。
ウネが静かに向かった先は、ハルナ王が独り座す「鍛冶の広間」だった。
そこには、科野(しなの)から命からがら辿り着いた、血塗れの伝令兵が倒れ伏していた。
「……森将軍、崩御(ほうぎょ)……」
その一言が、広間の重い空気を凍りつかせた。
科野の王。ハルナ王の義兄であり、石の文明の守護者だった男が、ヤマトへの帰順を拒み、自ら築いた巨大な石室の中で最期を遂げたという。
ハルナ王は、鎚を握ったまま動かなかった。
炉の炎が、王の瞳を真っ赤に染め上げる。
「義兄上(あにうえ)も、逝ったか」
王の声は、驚くほど静かだった。だが、その拳は白くなるほど強く握られている。
親友であり、この地を共に守ってきた戦友。その死は、榛名王朝がこの地上で生き残るための「最後の盾」が失われたことを意味していた。
「……ウネよ」
「へい、王様」
「ヤマトは、もはや交渉の余地はない。タケルが剣を引いたのは、情けではない。……奴は、この山が自ら燃え上がるのを待っているのだ。美しく、完璧な形でこの地をヤマトの史(ふみ)に刻むために」
ウネは黙って頭を垂れた。
王の言葉の裏にある、絶望的なまでの「美学」を悟ったからだ。
「儀式の準備をせよ。……アユラとサラ、あの二人に、この山を眠らせる術(すべ)を、……あるいは全てを焼き尽くす術を教える時が来た」
ハルナ王が鎚を振り下ろすと、広間を揺るがすような一撃が鉄に刻まれた。
それは、時代の終わりを告げる弔鐘(かね)の音のようだった。
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