第7話  照葉の調べ、忍び寄る白き影(結び)

ヤマトの軍勢が霧の向こうへ消え、森に再び静寂が戻った。

だが、その静寂は以前のものとは違っていた。アコの胸の中に、消えない「さざなみ」を遺していったからだ。

その夜、アコとサラは、ひなたを寝かしつけた後、隠し湯のほとりで並んで座っていた。

立ち昇る湯気が月光を浴びて、淡く光っている。

「……ねえ、アユラ」

先に沈黙を破ったのはサラだった。彼女は膝を抱え、自分の鯨面(げいめん)を指先でなぞりながら、隣の巫女をじっと見つめた。

「あの男……ヤマトタケル。あんた、あいつを知っているんでしょ?」

アユラは、湯面に映る月を黙って見つめていた。その指先が、無意識に衣の裾をぎゅっと握りしめる。

「……昔、一度だけ。この森で、迷い子の少年と出会ったの」

「迷い子?」

「ええ。名前も知らない。ただ、あの日……私たちは、この森のどんぐりを分け合って食べた。彼は、寂しそうな目をしていたわ。ヤマトの王の息子という重荷を、まだ小さな背中で必死に支えているような……。今日、あの白い直垂(ひたたれ)を見た瞬間、背筋が凍った。あの子が、私の山を、民を、……私を殺しに来たのだと」

アユラの声が微かに震える。

巫女として育てられ、感情を殺してきた彼女が、初めて見せた「一人の女」の顔だった。

「……背中越しに、あいつの気配を感じた時ね、私、一瞬だけ戸惑っちゃった。罠を引く手が止まりそうになったの。……馬鹿よね。あいつはもう、私の知っている少年じゃないのに」

サラは、そんなアユラを突き放すことはしなかった。

むしろ、そっと自分の背中を、アユラの背中に預けるようにして寄り添った。

「馬鹿じゃないわよ。……私だって、そうだった」

「サラ……?」

「私の村を焼いたあいつらを、私は一生許さない。でも……今日、あいつが剣を引いた時のあの目は、……私の知っている『憎しみ』の目じゃなかった。あいつ、あんたのこと、ちゃんと覚えていたんじゃない?」

アユラがはっと息を呑む。

「背中と背中を合わせているみたいに、見えないけれど、そこにいることが分かっちゃう。……そういうの、あるのよ。理由なんてないけれど、魂が覚えてる感覚」

サラは月を見上げて、自嘲気味に笑った。

「皮肉よね。ヤマトと蝦夷。巫女と逃亡者。……私たちはこんなに違うのに、結局、同じ『孤独な男』に惑わされてる」

「……サラ、あなたは彼を憎んでいるのでは?」

「憎んでるわよ! 死ぬほどね。でも……今日、あいつが森の命を尊んで引いた姿を見て、少しだけ……ほんの少しだけ、あいつが守ろうとしている『新しい国』がどんなものか、見てみたくなっちゃったの」

二人の姫は、背中越しの体温を感じながら、それぞれの想いを夜風に預けた。

それは、敵対する者同士の会話ではなく、過酷な時代に翻弄される「二人の少女」の、痛切な連帯だった。

「アユラ、……もし、あいつがまた来たら。今度は二人で戦いましょう」

「ええ。……この森を、ひなたの未来を、守るために」

二人の絆が、月光の下で一つの太い綱となった。

それは「火」を操る技術以上に、ヤマトを退けるための、最も強く、しなやかな武器になるはずだった。

ヤマトの軍勢が霧の向こうへ消え、森に再び静寂が戻った。

だが、その静寂は以前のものとは違っていた。アコの胸の中に、消えない「さざなみ」を遺していったからだ。

その夜、アコとサラは、ひなたを寝かしつけた後、隠し湯のほとりで並んで座っていた。

立ち昇る湯気が月光を浴びて、淡く光っている。

「……ねえ、アユラ」

先に沈黙を破ったのはサラだった。彼女は膝を抱え、自分の鯨面(げいめん)を指先でなぞりながら、隣の巫女をじっと見つめた。

「あの男……ヤマトタケル。あんた、あいつを知っているんでしょ?」

アユラは、湯面に映る月を黙って見つめていた。その指先が、無意識に衣の裾をぎゅっと握りしめる。

「……昔、一度だけ。この森で、迷い子の少年と出会ったの」

「迷い子?」

「ええ。名前も知らない。ただ、あの日……私たちは、この森のどんぐりを分け合って食べた。彼は、寂しそうな目をしていたわ。ヤマトの王の息子という重荷を、まだ小さな背中で必死に支えているような……。今日、あの白い直垂(ひたたれ)を見た瞬間、背筋が凍った。あの子が、私の山を、民を、……私を殺しに来たのだと」

アユラの声が微かに震える。

巫女として育てられ、感情を殺してきた彼女が、初めて見せた「一人の女」の顔だった。

「……背中越しに、あいつの気配を感じた時ね、私、一瞬だけ戸惑っちゃった。罠を引く手が止まりそうになったの。……馬鹿よね。あいつはもう、私の知っている少年じゃないのに」

サラは、そんなアユラを突き放すことはしなかった。

むしろ、そっと自分の背中を、アユラの背中に預けるようにして寄り添った。

「馬鹿じゃないわよ。……私だって、そうだった」

「サラ……?」

「私の村を焼いたあいつらを、私は一生許さない。でも……今日、あいつが剣を引いた時のあの目は、……私の知っている『憎しみ』の目じゃなかった。あいつ、あんたのこと、ちゃんと覚えていたんじゃない?」

アユラがはっと息を呑む。

「背中と背中を合わせているみたいに、見えないけれど、そこにいることが分かっちゃう。……そういうの、あるのよ。理由なんてないけれど、魂が覚えてる感覚」

サラは月を見上げて、自嘲気味に笑った。

「皮肉よね。ヤマトと蝦夷。巫女と逃亡者。……私たちはこんなに違うのに、結局、同じ『孤独な男』に惑わされてる」

「……サラ、あなたは彼を憎んでいるのでは?」

「憎んでるわよ! 死ぬほどね。でも……今日、あいつが森の命を尊んで引いた姿を見て、少しだけ……ほんの少しだけ、あいつが守ろうとしている『新しい国』がどんなものか、見てみたくなっちゃったの」

二人の姫は、背中越しの体温を感じながら、それぞれの想いを夜風に預けた。

それは、敵対する者同士の会話ではなく、過酷な時代に翻弄される「二人の少女」の、痛切な連帯だった。

「アユラ、……もし、あいつがまた来たら。今度は二人で戦いましょう」

「ええ。……この森を、ひなたの未来を、守るために」

二人の絆が、月光の下で一つの太い綱となった。

それは「火」を操る技術以上に、ヤマトを退けるための、最も強く、しなやかな武器になるはずだった。

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