第9話 科野の崩壊、静かなる鉄の音
ハルナ王の鍛冶場には、異様なまでの静寂が満ちていた。
だが、その静寂のすぐ外側では、世界が崩れ落ちる音が響いている。
「……科野(しなの)が落ち、東の村々も、もはや風前の灯(ともしび)だ」
ハルナ王の声は、冷徹なほどに響いた。
報告によれば、ヤマトの軍勢はもはや力による支配を隠そうともしない。科野の王――アユラの伯父が守ろうとした「石の文明」は、いまやヤマトの史(ふみ)を彩るための一つの戦果として、その赤い石室とともに灰に埋もれようとしていた。
王は、炉の中から真っ赤に灼(や)けた一本の「棒」を取り出した。
それは剣ではない。複雑な文様が刻まれた、鈍く光る**黒い鉄の錫杖(しゃくじょう)**だった。
「アユラ、サラ。……前へ出よ」
二人の姫が、膝を突く。
アユラの背中には巫女としての覚悟が、サラの瞳にはヤマトへの烈火のような怒りが宿っていた。
「わが王朝に伝わる究極の秘奥義。それは、山を『焼く』ことではない。……山と『一つになる』ことだ」
王は錫杖を床に突き立てた。その瞬間、広間の地下からズズ……と地鳴りが響く。
「この榛名(はるな)の火は、ヤマトの王権が欲しがるような、ただの力ではない。これは、この大地が数万年かけて蓄えた『怒り』そのものだ。一度解き放てば、ヤマトの軍勢も、この美しい森も、私たちの命も……すべてが白き灰の下に消える」
サラが息を呑む。
「……すべてを、消す……?」
「そうだ。奪わせぬために、消す。……それが、この地を守る最後の手段だ。アユラよ、お前はこの山を鎮める『冷たき水』となれ。サラ、お前はこの火を操り、敵を足止めする『逆火(さかび)』となれ。……二人の魂が重なった時だけ、この山は『眠りの封印』を受け入れる」
王は、熱を帯びた錫杖を二人の手に重ねさせた。
じり、と皮の焼けるような熱が走る。だが、二人は手を離さなかった。
その時だ。
「……王様! 北の尾根に、ヤマトの火の手が!」
見張りの若者の叫び声が、鍛冶場に飛び込んできた。
窓の外を見れば、夜の闇を切り裂くように、いくつもの真っ赤な線が榛名の山肌を這い上がってきている。村々が焼かれ、木々が悲鳴を上げていた。タケルの本隊ではない。功名心に駆られたヤマトの将たちが、王の命を待たず、略奪と破壊の牙を剥き始めたのだ。
「……もう、時間がないようですね」
アユラが、静かに立ち上がった。その横顔には、もはや迷いはない。
「サラ。……行きましょう。私たちが守るべきは、この土地の『記憶』です。灰の下に、誰にも汚されない私たちの生きた証を、永遠に閉じ込めるために」
サラは、熱を帯びた錫杖を強く握り直した。
「……ええ。ヤマトの奴らに、どんぐりの実一つ、渡さない」
二人の姫が、燃える山へと歩き出す。
背後でハルナ王は、再び重い鎚を振り上げた。
自分の最愛の娘と、異国から来た娘。その二人に、この世で最も過酷な「終わり」を託した父の背中が、炎の中で一瞬だけ震えた。
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