第6話 照葉の調べ、忍び寄る白き影(承前)
森の奥深く、ヤマトの先遣隊を率いる男がいた。
白き直垂(ひたたれ)を風になびかせ、一切の迷いなく森を突き進むその姿に、アユラは息を呑んだ。
(……あの、歩き方。まさか……)
アユラの脳裏に、十数年前の記憶が鮮烈に蘇る。
母を亡くしたばかりの幼いあの日。泣きながら森を彷徨っていたアユラに、一人の少年が声をかけた。彼は豪華な身なりをしていたが、その瞳には自分と同じ、埋めようのない孤独が沈んでいた。
二人は名も名乗らず、ただ並んで座り、少年が差し出した木の実を分け合った。
『この森は、温かいな。……いつか、こんな場所で眠りたいものだ』
そう呟いた少年の横顔。あの日、霧の中に消えていった「名もなき少年」が、いま、軍勢の先頭で「征服者」として立っている。
「アユラどうしたの? 罠を……!」
サラの声に、アユラは我に返った。
「……ええ。分かっているわ。……来なさい」
アユラが木の根に隠された古い石の仕掛けに触れる。
瞬間、榛名の森が**『意志を持つ獣』**へと変貌した。
ヤマトの兵たちが踏み込んだ足元から、何十年もかけて蓄積された腐葉土のガスが噴き出し、視界を白く染め上げる。さらに、巧妙に組まれた照葉樹の枝が、アユラの放った「火の矢」を合図に、巨大な投石機のように跳ね上がった。
「うわあああッ!」
「伏せろ! 森が……山が動いているぞ!」
混乱する兵たちの中で、ヤマトタケルだけは微動だにしなかった。
彼は迫り来る巨木を、腰の草薙剣を一閃させるだけで叩き落とし、霧の向こう――アユラが潜む一点をじっと見据えた。
その視線が重なった瞬間、アユラの指先が震えた。
タケルもまた、足を止めた。
白き霧の中で、彼はかつて自分に微笑みかけてくれた「森の少女」の面影を、その凛とした巫女の姿に重ねていた。
(……お前だったのか。あの日、私にこの森の温もりを教えたのは)
タケルの心に、冷徹な理屈では説明のつかない激しい揺らぎが走る。
彼は剣を下げ、部下たちに命じた。
「……引け。ここは、力でねじ伏せる場所ではない」
「しかし、小碓命(をうすのみこと)! 敵の術中に……!」
「引けと言っている。……この森の『火』は、剣では斬れぬ」
タケルは最後に一度だけ、アユラのいる闇を見つめ、静かに踵(きびす)を返した。
サラは、敵が退いていくのを信じられない思いで見ていた。
「……アユラ。あいつ、いま、笑った……? それに、どうして……」
アコは答えることができなかった。
罠を仕掛け、敵を退けたはずなのに、その胸にあるのは勝利の悦びではなく、引き裂かれるような悲しみだった。
かつて、共に木の実を分かち合った少年。
彼は、自分を殺しに来たのではない。……自分たちが守る「森の温もり」を、彼自身もまた、ずっと探し続けていたのだ。
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