第12話: 託された命と、生きる覚悟


温かい光の中を、通り抜けていく感覚があった。


過去の悪夢を何度も見せつけてくる無限地獄。その底へ、一本の光が降り注ぐ。


誰かが私を救い出してくれるような。


そんな救いの手に引かれて、私はようやく、私に還ってきた。


懐かしい笑顔。


いつか置いてきた大切なもの。


新しい出会い。


散らばっていたものたちが、今ひとつ、私の中へ集約されていく。


少しずつ、意識が現実世界≪こっち≫へ戻ってくる。


それを告げるように、洞窟の天井から落ちた水滴が、私の頬を打った。


ぽつり。


ぽつり。


まるで、目覚ましのアラームみたいに、一定のリズムで落ちてくる。


きっと、いつもの私なら、ベッドの脇に置いた時計を一生懸命手探りしていただろう。


あと5分だけでいい。


寝かせてくれ、と。


それが許されるのは、何気なくバーを営んでいた日々だけだった。


けれど――


幸せな感覚は、そんなに長く続かなかった。


不定期にやってくるこの波≪ノイズ≫は、最悪だった。


頭の奥に響く痛み。胸の底から込み上げてくる吐き気。


まるで、朝まで飲み明かしたあとの二日酔いみたいだった。


だから、目を覚まして最初に見た光景に、私は一気に現実へ引き戻された。


湿った洞窟。


黄金の髑髏。


そして――


顔に深い十字傷を負った、ソウ≪コイツ≫。


黄金の髑髏は、結界の外で動きを止めていた。


まるで、こちらの答えを待つ審判のように、空洞の眼窩で私たちを見下ろしている。



「うぅっ……ここは……私は、なんで……」



どうやら、私は気を失っていたらしい。


ぼんやりとしていた視界が、少しずつ輪郭を取り戻していく。


その時、ようやく気づいた。


私は、ソウに抱えられていた。


ソウは左腕を正面に突き出している。そこから放たれた青白い光が、大きな結界のように展開し、黄金の髑髏から私たちを守っていた。



「気づいたか!? ソフィア……目を覚まして何よりだ……」



私を気遣うように覗き込むその顔に、かつて兄が見せてくれたような柔らかさを感じた。


でも、私はどこか胸の奥に熱く広がるものを覚えて、その顔を直視できなかった。


だから、俯きながら礼を言った。



「金貨を拾って……あの化物の姿を見たところまでは覚えているんだが……気を失っていたみたいだ。助けてくれてありがとう……ソウ。悪いが、右手を貸してくれないか……?」



視界だけでなく、意識も徐々に覚醒していく。


その中で、私は自分の目を疑った。


最初は、気づかなかった。


赤い外套に隠れているのだと思った。


だから私は身体を起こしてもらい、お前と一緒に、この後の打開策を考えようとしていた。


けれど、洞窟に流れ込んだ風が赤い外套を靡かせ、その事実を私に突きつけた。


そこに。


伸ばした右手の先に。


あるはずのものが、なかった。



「なっ……ソウ! お前っ、その……右腕がないじゃないか! それより応急処置を――止血しないと!!」



失われた右腕は、結界の外に無残な姿で転がっていた。


思わず身体が反応した。


結界の外へ飛び出そうとする。



「出るな、ソフィア! それに、俺の右腕は義手だ!! 君を助けた時にアイツに斬られたが、命に問題はない」



今でも思う――


あの時の私は、完全にパニックになっていた。


“元”とはいえ衛生兵だったのに、周囲を見て、冷静に対処することができなかったのだから。


でも、ソウの一言で、私はようやく我に返った。



「心配させて済まない……それに、君のせいじゃない。義腕一本で命が助かったなら、安いもんだろ? それより問題なのは……」



一瞬だけ、笑えない冗談を交えたその言葉に、私は安堵した。


でも、ソウが続けた内容に、今度こそ言葉を失いかけた。



「ソフィア……君“だけ”逃げるんだ」



「……えっ、なんでだよ。逃げるなら、ソウ、お前も一緒だろ? 何言ってるんだよ……」



「それは……無理だ。コイツらは、一度試練を受けた挑戦者≪チャレンジャー≫を逃さない。そういう“制約”なんだ。不本意ながら、“一般人”の君を巻き込んでしまったのは……俺の不注意だ。すまない」



「……一般人?」



その言葉に、胸の奥で何かが小さく音を立てた。


勝手に決めつけるな。


私は、何も知らずに生きてきたわけじゃない。


瓦礫の下も、血の匂いも、誰かの命が消えていく瞬間も、知らないわけじゃない。


失いかけた言葉を飲み込み、私はソウに食ってかかった。



「……だったら尚更だろ!! 1人より2人の方が何とかなるだろ!!」



「何とかならないからだ……コイツらは、“人の作りし文明の機器”では倒せない。片腕を失った今の俺には、アイギスを展開するのが関の山だ」



ソウは、ほんの少しだけ視線を落とした。


その横顔を見た瞬間、嫌な予感がした。



「俺がここで時間を稼ぐ。君は、その間に逃げろ」



「……は?」



「俺は残る。君だけでも生きて戻れ」


耳の奥が、熱くなった。


こいつは今、本気で言っている。


私だけを逃がして、自分はここに残るつもりなのだ。



「それに……俺が失敗しても、次の防人≪ガーディアン≫が対処してくれる。“無関係”な君が責を負う必要はない……」



パチ――ン!!


静まり返った洞窟に、その音が響き渡った。


気づけば私は、ソウの頬を思いきり叩いていた。


カッとなって、つい手が出てしまう。


それが私の悪い癖だと、自分でも分かっている。


でも、こればっかりは、叩かないと気が済まなかった。


今になって分かった。


私がお前に惹かれた理由が。


優しくも見える行動の裏に、どこか影があると思っていた。


それは、お前が自分自身を蔑ろにしているからだ。



「……バカヤロー! 何カッコつけてんだよ!! そんなことして、誰が喜ぶんだよ!!! 悲しむ人のことを、考えたこととかねーのかよ!!!!」



情緒不安定。


そう思われても仕方ないほどに、私はソウに掴みかかっていた。


でも――


次の一言を聞いて、後悔した。



「確かに……”あの日”から、俺は一人でずっと走ってきたからな……悲しむ人か……忘れていたよ。でも、俺にはもう、誰一人としていないんだ……悲しんでくれる人は……大切な人は、“あの日”……全員死んだからさ……」



俯いていたその顔を、私の瞳が捉えた。


そこには、年齢にまるで似合わない、どこか切なくて、今にも壊れてしまいそうな笑顔があった。


その顔を見て、沸騰していた感情が一気に冷めていくのを感じた。


人は、どんな経験を積めば、こんな顔ができるのだろう。


そう思ってしまうのと同時に――


分かってしまった。


お前も、私と同じなんだ。


“あの日”。


大切なものを、すべて奪われた側。


混沌とした世界で、道なき荒野に、たった1人で取り残された存在なんだと。


そう思った瞬間、感情を制御していたバーが反転した。


気づけば、私の瞳から涙が溢れていた。


眼帯の紐がほどけ、地に流れるように落ちる。


光を失ったはずの左瞳からも、涙が溢れ、流れていく。



「そんなの……あんまりじゃないか……そんなこと言うなよ……。私は……悲しいよ……。たとえ付き合いが短くても、そばから誰かがいなくなったら……悲しいんだよ……。ううっ……ソウ……お前だって、誰かに何かを託されてきたんじゃないのか……?」






♦︎♦︎♦︎♦︎







彼女の手が振り上げられた瞬間、俺には、それが来ると分かっていた。


止めようと思えば、俺に止められない速さではなかった。


それなのに――


それなのに……身体が動かなかった。


まるで足から枝が伸び、地面に根を張ってしまったみたいに。


頬に、鋭い痛みが一瞬走った。


腰のスナップも効いていない、ただのビンタ。


それなのに……


今まで傷つけられてきた、どの痛みよりも痛かった。


頬じゃない。


心が。


心の奥底にしまい込んだ、鍵のかかった部屋にまで響くような痛みだった。


どこか懐かしい、忘れてしまっていた痛みが、その部屋の鍵を開けてしまった。


君≪ソフィア≫は、泣きながら何かを言っている。


そう思った時だった。


何の前触れもなく、左目を覆っていた眼帯の紐が緩み、落ちていった。


そこには、彼女の整った顔には不似合いな傷があった。


まるで、天空神≪ゼウス≫が投げ下ろした稲妻のように、左目を裂く傷。


皮肉なものだ。


もしも、運命の女神≪ウルド≫がいるならきっと、彼女の気まぐれかもしれない。


それとも、ただの戯れか。


あまりにもその傷が、かつての“彼女”を思い出させた。


いつかの誰か。


このブレスレットをくれた張本人。


心の奥底にある、大事な部屋。


そのさらに奥へしまい込んだ箱の中には、彼女との思い出が閉まってある。


そして――あのビンタと、その一言。


『■■■は、託されたんじゃないの……?』


忘れたことはない。


そのつもりだった。


後ろを振り向かず、ただひたすら前へ。


けれど、人は前ばかり向いて走っていても駄目なのだと、今さら悟った。


時には、後ろも確認しなければならない。


そうしなければ、自分が走っていた道が、いつの間にか変わっていることにさえ気づけない。


だから俺は……いつの間にか、知らない頂に登っていたのだと思う。


みんなから託された想い。


それに報いなければ、俺が生き残った意味も、みんなの死も、無駄になってしまう。


きっと、そんな生き方をしていたせいで、俺はどこかで間違えてしまった。


そういうことだろう? ■■■。


俯いていた顔を上げ、ソフィアを見下ろす。


彼女はまだ俺の胸ぐらを掴んだまま、泣いていた。


やれやれ。


いくつになっても、女性の泣き顔は苦手だ。


そんな自分に、思わず苦笑してしまう。


だから俺は、決心した。


「ソフィア……俺と一緒に、生き残る覚悟はあるか?」

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