第2話: 左眼が疼く夜、彼方の記憶
“あの日”
世界は私から左目の光だけじゃなく、大切な家族まで奪っていった。
左目に鋭い痛みが走り、私は微かに意識を取り戻す。
息ができない……
身体もうまく動かない……
そして――僅かに開いた右目も、薄ぼけた光しか捉えられなかった。
ここは……どこ?
今日は私の誕生日で……確かに日本へ旅行に来て……
その瞬間、私の脳裏にあの時の光景が蘇る。
透明な窓の向こうで、少しずつ遠ざかっていくパパとママの姿。
「パパ……ママ……どこ……?」
吐息みたいにか細い声だけが、この狭く暗い空間にこだまする。
私……死ぬのかな……
この時ばかりは、弱い十歳の私も死を覚悟した。
「お兄ちゃん……怖いよ……助けて……」
あの時の私は、無意識に兄へ助けを求めた。
子供の頃から私を可愛がり、大切にしてくれたお兄ちゃん。
けれど、その声に応えてくれる兄は、もういなかった。
絶望と暗闇。
痛みと恐怖。
それらが、じわじわと私の身体と心を蝕んでいく――
そんな時だった。
遠くから、誰かの声がした。
「隊長!! こちらの瓦礫の下から生体反応が出ています! 誰かいます!!」
「本当か、サム!?」
誰かが近づいてくる。
少しずつ瓦礫をどかす音と、切迫した声が私の耳に届いた。
私は辛うじて動く右手を持ち上げ、出せる限りの声を振り絞る。
「助けて……!!」
その瞬間、瓦礫の隙間から眩しいほどの光が差し込み、私の右手を掴む大きな手と、
人影が見えた。
「生きていてくれてありがとう! 必ず君を助ける!!
サム! そっちの子はどうだ!?」
そっちの子……?
僅かな気力が途切れかける意識の中で、その言葉だけが引っかかった。
タンカーで運ばれていく途中、
辛うじて動く右目をサムと呼ばれた男性の方へ向ける。
そこには――
かつて兄と慕っていた人の亡骸があった。
「お兄ちゃんぁぁぁぁ――――――!!」
♦︎♦︎♦︎♦︎
そして今、
あの時と同じ絶望が、再び私を飲み込もうとしていた。
そんな瞬間だった。
私の上空で、その言葉を聞いた。
「コードオープン」
次の瞬間――
蒼い閃光みたいな稲妻が、元軍人の男を貫いた。
「ぐぎゃぁぁぁぁ――!!」
絶叫と共に、元軍人の男は私の上から崩れ落ちていく。
周りの男たちも状況を理解できず、声のした方へ一斉に顔を上げた。
そこには、赤い外套と黒いフードを深く纏った男が、
弓と矢のようなものを構えて立っていた。
「だ……誰だ、テメェ――!?」
「降りてこい!!」
「俺らの楽しみを邪魔してんじゃねぇよ!!」
男たちが吠えている間に、私は見逃さなかった。
力が緩んだ、その一瞬。
私は身体を捻り、男たちの拘束をすり抜けて地面を転がるように脱出した。
「あ!? おい、女――」
その言葉を言い終える前に、1人の男が向こうの岩壁へ吹き飛ばされた。
情けない悲鳴が届くより早く、他の男たちも赤い外套の男に次々と薙ぎ倒されていく。
その音に気づいたのか、
私の車を漁っていたサングラスの男が叫んだ。
「何者だか知らねぇが――これでもくらいな!!」
男の手には40年製の広範囲マシンガン。
銃口が私たちへ向き、火を吹いた。
ヤバい――
あいつ、仲間ごと私たちを始末する気だ。
そう思った瞬間、
赤い外套の男は私の前へ立ち、右手を静かに差し出した。
「怪我をしたくなければ、俺の後ろから出るな」
そう言って、聞き取りにくい言葉をもう一つ呟く。
「Αιγίς《アイギス》」
その時、彼を取り巻く空気と大地が変わった気がした。
うねりのような地響きが、彼を中心に広がる。
次の瞬間、飛来した無数の弾丸は、彼の目の前でぴたりと止まった。
まるでそこに、目に見えない分厚い壁でもあるみたいに。
きっとサングラスの男も、何が起きているのか理解できていないんだろう。
焦った顔のまま、弾切れを起こしたマシンガンを構え続けていた。
その瞬間――
瞬きをする間もなく、赤い外套の男とサングラスの男の距離が縮まっていた。
サングラスの男が狼狽する間もなく、
男はそのみぞおちへ一発、深く拳を叩き込む。
サングラスの男は空気を吐き出すことすらできず、その場に崩れ落ちた。
強い――
たった10秒にも満たない間に、5人の男たちを制圧してしまった。
私もその状況に呆気に取られていた時、
彼の背後へ銃を突きつけている、さっきの馬乗り男の姿が見えた。
彼が気づくより早く、私はその男へ飛びかかった。
銃を突きつけた腕ごと蹴り上げる。
男が体勢を崩した隙に地面の銃を拾い、その太腿へ一発くれてやった。
情けない悲鳴だけが、この場に響き渡る。
「殺されなかっただけ、ありがたいと思え!!これでチャラにしてやる!
とっとと失せろ!!」
私の怒声に男は怯み、仲間を引きずるようにして闇の中へ消えていった。
あの時の私は、怒りと安心の狭間で揺れていたんだと思う。
男たちに襲われかけた恐怖。
自分の不甲斐なさ。
悔しくて――
涙こそ流れなかった。
いや、唇を噛んで堪えたんだ。
“あの日”から今まで、嫌なことは山ほどあった。
もう私は、一生分泣ききったと思っていたのに……
そんな私の様子を見かねたのか、
彼は静かにこちらへ歩み寄り、声をかけてきた。
「大丈夫……ではないな」
初めて聞いた彼の声は低かった。
けれど威嚇や威圧のための低さじゃない。
柔らかくはないのに、どこか不思議と安心する声だった。
私はすぐに振り返って応える。
こんな“私”を見られたくなかったから、
わざと少し声のトーンを上げて、笑顔まで作ってみせた。
大丈夫――
いつものバーで笑顔を振りまいている私を演じればいいのよ、ソフィア。
自分で自分に言い聞かせる。
「大丈夫!! いやー、危ないところを助かったよ。あんた、凄く強いんだね♪♪」
そんなふうに、いつもの強がりを演じてみたけど――
きっとあの時のお前は、私の気持ちなんて全部わかっていたんだよな。
じゃなきゃ、
そんな目で私のことを見たりしないはずだ。
さっきまではフードの奥に隠れて見えなかった顔が、
今は月明かりにはっきり照らされている。
その優しい瞳には不釣り合いな、
顔に刻まれた深い傷。
きっとその傷は、お前の人生そのものなんだよな……?
ズキン――ズキン――
私の光を失った左目。
眼帯の奥に隠した、あの日の傷が疼く。
私が見るのをやめた過去。
それを思い出させるような傷が、彼の顔にはあった。
私は、そんなお前の顔と、その奥にある過去に興味を持ってしまった。
止まっていた私の時間に、何かが静かに火を入れた。
錆びついたエンジンに、ガソリンが注がれるみたいに。
なぁ――
あの頃のお前の瞳には、私はどう映っていた?
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