第17話 爆盛りの罠:自己PR三段跳び
六月の第三週、木曜の夜。就職支援室の廊下は、昼間の熱が引いたぶんだけ、紙の匂いが濃くなっていた。掲示板には企業説明会のチラシがびっしり貼られ、端っこに「自己PRは具体例を一つ」と赤字のポスターがある。赤字が、やけに刺さる。
大貴はその前で立ち止まり、鞄の中から分厚いクリアファイルを引っ張り出した。中身がずしりと手首に来る。
「見て。今日の俺、爆盛り」
言い切った瞬間、隣の瀬斗が目を細めた。
「それ、栄養の話じゃないよね」
「栄養でもある。精神の」
「精神に脂はない」
受付で名前を書き、予約札を受け取る。札の番号を見た翔里が、スマホを開いてさらっと言った。
「二十分枠です。爆盛りは途中で冷めます」
「冷める前に熱で押し切る」
「押し切れるのはドアだけです」黎美が、紙束を受け取りながら返した。ページの角がきっちり揃っている。彼女の指先が揃えたわけじゃないのに、揃って見える。
小さな相談ブースに入ると、机の上に赤ペンが三本転がっていた。壁には鏡みたいに光るホワイトボード。怜のアトリエのことが一瞬だけ頭をかすめ、大貴は視線を逸らして椅子に座った。
「では、自己PRから」
支援室の職員の女性が、紙を一枚ずつめくっていく。めくる音が、妙に大きい。
「……ええと、三ページ目で『私は世界を照らす光になりたい』」
「いいでしょ」
大貴が胸を張ると、黎美がすぐ横でペン先を止めた。止めたまま、言った。
「三ページ目で言うから、届かないんだよ」
職員が、四ページ目に指を置いた。
「ここで『行動力①、創造性②、巻き込み力③』と続いて……最後に『だから私は御社でオーロラを見せます』」
「……御社で?」
翔里が小さく首を傾げた。瀬斗が噴き出しそうになって、口を手で塞ぐ。
大貴は咳払いして、言い訳を探すように天井を見た。
「ほら、御社も、北の光みたいな……」
「会社を北に持っていくな」秀朔が、いつの間にかブースの入口に立っていた。腕時計を一度だけ見て、椅子を引かずに立ったまま言う。
「時間、二十分。今、何を伝えたい?」
大貴は紙束を抱え直し、声の調子を上げた。
「俺は、三段跳びみたいに――助走で興味、踏切で行動、空中で発想、着地で成果!」
言いながら、指で机をトントンと四回叩く。机が可哀想な音を出した。
黎美が、赤ペンで紙の余白に小さな四角を描いた。四角の中に、さらに四角。
「それ、跳びすぎ。助走が長くて、砂場が見えない」
瀬斗がそこへ、さらっと口を挟む。
「三段跳びは砂場が必要」
全員の目が一瞬だけ瀬斗に集まる。瀬斗は得意げに頷き、ペンを借りて四角の横に、でこぼこの線を描いた。
「ほら、砂。ここに落ちれば、怪我しない。言葉も同じ」
「砂場、どこ」大貴が指をさすと、瀬斗は赤字のポスターを思い出したみたいに言った。
「具体例」
黎美が紙束を二つに分け、真ん中の厚みを持ち上げた。
「最初と最後だけ残そう」
「え、真ん中が俺じゃないの?」
「真ん中が多すぎて、俺が誰か分からない」
翔里が、淡々とページ番号を数えた。
「二枚にします。二十分枠は、二枚が限界です」
「二枚って、俺の人生が薄いみたいじゃん」
「薄いんじゃなくて、読める」秀朔が短く言う。「読めないと、伝わらない」
大貴は唇を噛み、紙の端を指で折りかけた。折る前に、怜がブースの外から顔だけ覗かせた。金属の匂いがしそうな手袋を、鞄の取っ手にぶら下げている。
「……まだやってる?」
「爆盛りが、冷めない」瀬斗が言うと、怜の口元がほんの少しだけ動いた。笑う寸前で、止めたみたいに。
黎美が、赤ペンの先で一行を指した。
「ここ。『思いついたらその場で動く』は、残す。で、その次に一つだけ」
「一つだけ……」
大貴は目を閉じる。頭の中で、学食の紙が広がり、雨の日の傘が揺れ、割れた破片が光った。
「……火曜。アトリエ。鏡が割れて、破片が散って。俺、最初、誰かのせいにしそうになった」
言ってしまってから、息を飲む。怜の視線が、紙ではなく大貴に刺さる。
大貴は続けた。
「でも、軍手が出てきて、安全手順が出てきて。俺、黙って手を動かす人たちを見て、……あ、俺も手を動かせばいいって思った。片付け当番、作った。終わったあと、床がちゃんと見えた」
翔里が、ペンを走らせる音だけで頷いた。秀朔は何も言わない。黎美が「それ」と小さく言って、赤ペンで丸をつける。
怜が、やっと一言だけ落とした。
「それなら、嘘じゃない」
大貴は、その言葉で肩の力が抜けた。紙の上の「世界を照らす光」は、静かに線で消されていく。その代わりに「床が見えるようにする」と書かれる。急に地味になったのに、胸の中が温かい。
職員が、二枚になった自己PRを読み直し、頷いた。
「いいですね。最初と最後がつながりました。……『オーロラ』は最後に一言だけ」
「最後に一言だけなら、俺、守れる」
瀬斗が指を二本立てた。
「守れないときは、二本目で止める」
黎美が笑いながら、でも真面目な声で言う。
「土曜の夜、練習しよう。屋上。言葉にする練習」
「屋上で三段跳びしたら危ない」翔里がすぐ止める。
「跳ばない。喋るだけ」大貴が、両手を上げた。
支援室を出ると、外はすっかり夜だった。湿った風が頬を撫で、掲示板の赤字がガラスに映る。大貴は二枚の紙を胸に当てた。薄いのに、今は軽くない。軽いのに、頼もしい。
「次は、砂場じゃなくて、空見よう」
大貴が言うと、怜が小さく頷いた。瀬斗が背中越しに、いつもの調子で言った。
「笑う門には福来たる。二枚でも福は来る。多分」
「多分って言うな」
「多分って言うと、福が照れて来やすい」
廊下の窓の向こうに、夜の空があった。星はまだ見えない。でも、見上げる癖だけは、今夜ついた。
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