第3話 爆盛りエントリーシート
四月の第二週、水曜の昼。就職支援室の前の廊下は、プリンターの熱と、紙の匂いが混ざって乾いていた。昼休みの終わりが近くて、スーツ姿の学生が出たり入ったりしている。壁の掲示板には、会社説明会の紙がびっしり貼られ、角の折れたチラシが春の風でぺらぺら揺れた。
大貴は、受付の前で胸を張っていた。手には分厚い封筒。持った腕が少し震えるほどの重さなのに、本人だけは軽い顔だ。
「できた。完璧。これで、門が……」
言いかけて、横から瀬斗に袖をつままれた。
「門の前で叫ぶと、福が逃げる。静かに入れ」
「福って逃げる生き物なの?」
「たぶん足が速い。だから笑って追いかける」
瀬斗のくだらない理屈に笑いかけたところで、支援室のドアが開いた。翔里が顔を出す。今日も三色ペンが胸ポケットに刺さっていて、目が「時間」を見ている。
「大貴、時間。提出はできるけど……その封筒、何入ってるの?」
「俺の未来」
「重いね。物理的に」
翔里が封筒を受け取ると、持ち上げた瞬間、眉が一ミリだけ上がった。中身を机に出す。履歴書。職務経歴書みたいに見える自己PR。志望動機。添付資料。さらに、写真の予備。クリアファイルが三枚。謎の図表。
「……厚紙みたい」
翔里が、紙束の端を指で弾いた。ぼん、と鈍い音がした。
「印刷、両面?」
「片面! 読みやすいかなって」
「読みやすいけど、量が暴れてる」
その一言に、大貴は笑ってごまかそうとした。
「ほら、俺、盛れるところは盛っときたいタイプで」
「盛るなら丘で。山にすると遭難する」
瀬斗がすかさず口を挟む。自分が上手いことを言った顔をして、椅子に腰かけた。
秀朔が、奥の席から手招きした。腕時計の針が十二時を少し過ぎたところで止まっているような、落ち着いた動きだ。
「座って。まず一枚目」
大貴が座ると、翔里は赤ペンのキャップを外した。音が小さいのに、部屋の空気が引き締まる。
「最初に言うね。あなた、嘘は書いてない。でも、順番が逆」
赤い線が、自己PRの冒頭をぐいっと囲む。
「『大学で学んだこと』から始めてる。でも採用側が最初に知りたいのは、『何ができる人で、何をやりたい人か』。学びは後でいい」
大貴は口を開けかけて、閉じた。反論する言葉はある。けれど、赤い線の中の文章は、確かに自分の好きな順番で並べただけだった。
秀朔が淡々と紙をめくる。
「強みが六個ある。全部同じ熱量で書いてある」
「六個あったら強いだろ」
「一つでいい。残りは、支える材料」
言い切られて、大貴は椅子の背にもたれた。背中がきゅっと冷える。
「一つに絞ったら、薄くなる」
「薄くならない。芯が出る」
翔里が赤ペンで、六個の強みに番号を振っていく。1、2、3……。途中で止めて、顔を上げた。
「これ、どれが一番、手が動いた?」
「……手?」
「あなたが、時間を忘れてやったこと。誰に言われなくても」
大貴の頭に、月曜の学食が浮かぶ。白い紙。勢いで書いた文字。怜がふっと息を抜いた瞬間。あれは、誰に言われたわけでもない。勝手に、やりたくてやった。
「……人を巻き込むのは、得意かも」
「巻き込む、は危ない言葉。採用側が怖がる」
翔里の赤ペンが即座に×をつけた。
瀬斗が、肩をすくめる。
「じゃあ『誘う』。巻き込むと台風、誘うと花見」
「花見に台風来るときもあるけどな」勘佑が、いつの間にか入り口に立っていた。手には工具袋ではなく、コンビニの袋。中から紙コップが覗く。
「差し入れ。飲め。紙ばっか見てると喉が乾く」
大貴は受け取って、ひと口飲んだ。甘い。砂糖の甘さが、舌の上に残って、胸の奥の焦りが少しだけ薄まる。
「誘う、か……」
大貴がつぶやくと、翔里が赤ペンで丸をつけた。
「それ。『人を誘って、動ける形にする』。具体例は?」
「卒業までにしたいこと、のリスト作った。みんなが書き足して、今……」
言いかけて、言葉が詰まる。口に出すと照れる。怜が、あの紙を見て笑ったことまで言いそうになる。
支援室の窓の外を、誰かが通った。視線を上げると、廊下の向こうで怜が立ち止まっていた。アトリエから来たのか、手が少し白い。ガラス越しに目が合って、怜は無言で、親指を小さく立てた。すぐに下ろして、何事もなかった顔で歩き去る。
大貴は、なぜかその一瞬で腹が決まった。
「……よし。盛るの、やめる。丘でいく」
「丘でも、道はいる」秀朔が言う。
「道なら、俺が笑って舗装する」瀬斗が口を挟む。
「舗装は笑いじゃ固まらない」翔里が即座に返し、赤ペンで大貴の冒頭をばっさり切った。
紙が薄くなるたび、胸の中の何かが不安で暴れた。けれど、言葉が短くなるほど、代わりに、自分のやったことがはっきり輪郭を持っていく。削ったところから、芯が顔を出す。
昼休みが終わるチャイムが鳴った。支援室の時計が、きっちり一時を指す。
翔里は赤ペンのキャップを閉め、最後に一行だけ書いた。
『最初の一言を決める。ここから』
大貴はその字を見て、息を吸った。
「……最初の一言、か」
秀朔が頷く。
「次は、声に出す」
瀬斗がにやっと笑う。
「門の前で、今度こそ福を待ち伏せする」
勘佑が紙コップを指で叩く。
「待ち伏せじゃなくて、約束な。時間決めろ」
大貴は赤い線だらけの紙束を抱え直した。重さは少し減ったのに、腕の中は妙に温かい。
廊下の向こうへ消えた怜の背中が、まだ目の奥に残っている。
「……オーロラ、見に行くなら」
自分の声が小さく漏れた。
誰も拾わないふりをした。拾わないふりのまま、全員の手が、次のページへ進む準備をしていた。
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