第8話 氷槍のキリル

「キー、ラ……?」


 そうつぶやきつつ、アメリアは隣の人物が本当にキーラか疑っていた。

 姿形は間違いなくキーラだ。アメリアより少しだけ低い背も、耳を隠すように被った帽子も、そこからはみ出す柔らかい銀髪も、店のエプロンも全て、見慣れたキーラそのものだ。

 けれど。凍るような紫色の瞳と感情のない真顔が、アメリアの中のキーラとは大きくかけ離れていた。

 隣の人物はアメリアに目を向けると、柔らかくにこやかに微笑んだ。


「アメリア、大丈夫~?」


 聞き慣れた朗らかな声色に、アメリアはようやくその人物がキーラだと認識する。先ほどまでの氷の瞳は鳴りを潜め、いつもの穏やかな色に変わっている。

 キーラがアメリアの頭を優しく撫でる。その温かさに、アメリアの心は安堵で満たされていった。


「気づくのが遅くてごめんね~。怖かったね。もう大丈夫だよ~」


 キーラはそう言い、アメリアの頭から手を下ろす。そしてヴァレリヤに目を向けたかと思うと、一瞬にして表情が抜け落ちた。


「……すぐ終わるから」


 その声の冷たさに、アメリアの背中がぞくりと戦慄わなないた。

 キーラはヴァレリヤに向き合い、つまらなそうにエプロンのポケットに手を入れた。


「何の用?僕は探してないんだけど」


 どこまでも感情のないその声に、アメリアの不安が再び大きくなる。キーラなのにキーラではない、魔族『キリル』としての顔が、そこにある気がした。

 ヴァレリヤはそんなキーラに怯むことなく、楽しげに口を開いた。


「相変わらず冷てぇなぁ!最年少幹部さんよぉ」

「もう魔王軍は解体されたでしょ。用がないなら帰って」

「用もなしに、こんな田舎に来るわけねーだろぉ!?」


 ヴァレリヤはにやりと笑い、キーラを招くように手を伸ばした。


「再起すんだよ。今後こそ人間どもを全員ぶちのめしてやる!また暴れようぜぇ?」


 ヴァレリヤの言葉に、なんとか立ち上がろうとしていた冒険者たちが一斉にざわついた。


「再起だと……!?魔王は倒されたのにどうやって」

「新しい統率者が現れたのか!?」

「まだ戦争の爪痕が残ってるってのに!」


 冒険者の一人が、剣を杖のようにして立ち上がる。両足を踏ん張り、勇ましく剣をヴァレリヤへと向けた。


「ここで食い止めろ!!」


 冒険者は叫びと共に駆けだす。他の冒険者たちも一斉に立ち上がり、ヴァレリヤに向かっていった。

 ヴァレリヤは冒険者に目を向けることもなく、尻尾を小さく揺らし、再び巨大な炎を巻き起こした。

 炎が冒険者たちの眼前に迫る。しかし冒険者に到達する前に、炎と冒険者たちとの間に巨大な氷の壁が現れた。ヴァレリヤの炎は氷の壁にぶつかり、そのまま霧散していった。

 ヴァレリヤは不愉快そうに顔を歪めた。


「人間なんか助けて、どういうつもりだキリル」


 キーラは一切表情を変えることなく、淡々と言葉を紡ぐ。


「相変わらず人間とか魔族とか、小さなことにこだわるんだね。無意味な殺しはしないって、前から言ってると思うんだけど」

「無意味だぁ!?」


 ヴァレリヤは激高したように足を踏み鳴らした。同時に炎の柱がキーラに襲い掛かるが、キーラの目の前で柱は凍り付き、砕け散った。

 ヴァレリヤは大きく顔を歪め、キーラに向かって叫んだ。


「人間どもが、どんだけ無意味に魔族を殺してきたと思ってる!!魔王が戦争始めるよりずっっっと前から、醜いとか怖いとかでかいとか汚いとか、くだらねー理由で殺されてきたんだ!!戦争中に生まれたテメーは知らないだろうがなぁ!!!」


 ヴァレリヤの言葉に、キーラが小さくため息をつく。


「きみだって、邪魔を理由に人間を殺すじゃないか」

「それだけのことを、アタシらはされてきたんだ!!やり返して何が悪い!!!」


 そう叫ぶヴァレリヤに、アメリアは同情してしまった。人が魔族を討伐するように、魔族にも、人を襲うだけの理由がある。

 ヴァレリヤの言葉を否定することが、アメリアにはできそうになかった。

 しかしキーラは表情を変えない。ヴァレリヤの言葉が響いている様子は一切なかった。


「それで戦争して、なにか変わった?」

「今回は負けたから変わってねーだけだ!!勝てば……」

「変わらないよ」


 キーラはヴァレリヤの言葉を遮るように、ぴしゃりと言い放った。


「憎しみは憎しみしか産まない。もう一度戦って魔族が勝ったとしても、今度は人間たちが再起するだけ。何も変わらないよ」


 キーラの言葉に、アメリアはヴァレリヤの言葉以上に共感した。魔族に襲われたから魔族に恐怖し、キーラに助けられたからキーラを信じている。

 その考えがあるから、キーラはアメリアを襲わなかった。アメリアを襲えば、自分が人間に襲われてしまうから。だから食べ物を与えたアメリアに、店の立て直しを提案してくれた。感謝には感謝が返ってくると知っていたから。


(……やっぱり、キーラは優しいな)


 アメリアは目の前の冷たいキーラと、アメリアに見せる穏やかなキーラ、どちらもキーラなのだと実感する。もたげていた不安が、すっと消えていくような気がした。

 ヴァレリヤが納得する様子はなかった。


「うるせぇうるせぇうるせぇ!!じゃあなんで魔王軍に入った!!テメェだって人間を殺したじゃねーかよぉ!!!」


 ヴァレリヤが両手をキーラに向ける。強大な炎が勢いよく放たれるが、キーラは氷の壁で攻撃を防いだ。それでも尚押し寄せる風圧で、キーラの頭から帽子がひらりと落ちる。

 キーラは眉根を寄せ、小さく俯いた。


「……僕も昔は、人間を殺せば平和になるって信じてた。でも、それは間違いだった。種族の違いなんて、些細なことだったんだよ。優しさを、温かさを、僕は人間から教わった」


 キーラがヴァレリヤを睨みつける。その瞳には『キリル』の冷たさと、『キーラ』の温かさが入り混じっていた。


「世界を変えたいなら、まずはきみが変わるべきだ、ヴァレリヤ。きみが思っているよりずっと、人と魔族に境界はない」

「黙れえええぇぇぇぇぇええ!!!!!」


 ヴァレリヤが鬼気迫る顔つきで襲い掛かってくる。驚いたアメリアは咄嗟に、キーラの腕にしがみついた。

 キーラがしがみつく腕と反対の手を、アメリアの手に優しく重ねる。触れられたその手は、温かかった。


 ヴァレリヤの炎をまとった拳がキーラとアメリアに迫る。しかしその拳は当たることなく、キーラが張った氷の壁にぶつかった。

 その氷の壁から、氷柱つららのような氷の針が無数に飛び出す。ヴァレリヤは体中を針に貫かれ、その場に崩れ落ちた。


「くっ……!『氷槍』か……!」


 ヴァレリヤの熱で、氷の針はみるみる溶けていく。刺さっていたところから血が溢れているが、ヴァレリヤは平然と立ち上がった。

 まだ戦えるのかとアメリアは警戒した。しかしヴァレリヤはため息をつき、髪をかき上げただけだった。


「しょーがねぇなぁ……。テメーの勧誘は諦めるよ。けど」


 ヴァレリヤはぎらぎらと輝く金色を目を、激しく吊り上げてキーラを睨んだ。


「テメーのやり方を認めたわけじゃねーからな。アタシらはアタシらのやり方で、世界を変えてやる……!」


 ヴァレリヤの強い覇気に、アメリアは委縮してしまう。しかしキーラはつまらなそうにヴァレリヤを眺め、小さく手を振るだけだった。

 ヴァレリヤは足の裏から炎を出し、勢いよく宙に浮いた。そしてそのまま、はるか彼方へと飛び去って行った。


 アメリアはしばらくヴァレリヤが向かった方向を眺めていたが、戻ってくる様子がないことに安心し、大きく息を吐いた。

 そのまま腰が抜けて倒れそうになったが、キーラが支えてくれた。

 キーラは先ほどの戦闘が嘘のように、にこやかな微笑みをアメリアに向けた。


「もう大丈夫だよ~。よく頑張ったね」


 キーラはアメリアの背中をぽんぽんと叩く。その優しい感触と支える腕の力強さに、アメリアは心が温まるのを感じた。

 危機を乗り越えた実感が強くなるほどに、アメリアの瞳から涙が溢れてくる。アメリアはキーラの肩にしがみつき、子どものように泣きじゃくった。キーラはただ、優しく抱きしめてくれた。


 少しして落ち着いたアメリアは、キーラの腕の中から出て涙を拭いた。


「ありがとうキーラ。もう大丈夫……」


 そう言いかけて、アメリアはキーラが周囲に目を向けていることに気付く。

 アメリアはキーラの視線の先に目を向ける。そこには、険しい顔でキーラに刃を向ける冒険者たちがいた。

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