第2話 行き倒れの魔族
アメリアとキーラが出会ったのは、今から半年ほど前のこと。閑古鳥が鳴く広い店内で、アメリアは深いため息をついていた。
この国ではかつて、魔王軍と人間との争いが百年以上も続いていた。戦争中、ロジュルムは旅の中継地として栄え、多くの冒険者で賑わった。
戦争が終われば幸せが訪れると、町の誰もが信じていた。アメリアもそう信じて、冒険者たちの胃袋を癒やし続けた。
しかし訪れたのは平和ではなく、衰退だった。
武器屋、道具屋、宿屋……。冒険者ありきの職は全て破綻した。大衆食堂も例外ではなく、連日満席だった店内は、客足が百分の一以下にまで減少した。
『雪だるま』はアメリアの両親が始めた店だ。雪だるまのお腹のように、満腹になって帰ってほしいと父が名付けた。
両親が亡くなってから、アメリアは女主人として店を切り盛りしてきた。父のレシピに忠実に、素朴ではあるが何度食べても飽きない味を提供し続けた。
その思い出溢れる店を、アメリアはどうしても畳みたくなかった。
アメリアは店の規模を縮小し、雇っていた従業員に暇を出し、仕入れも必要最低限に抑えることで、なんとか存続を図ろうとした。新しいメニューの開発も行った。しかしどうにも首が回らなくなり、いよいよ店を畳むしかないように思われた。
この日もほとんど客が来ないまま、閉店の時間を迎えた。夕方の鳥の鳴く声が、妙に寂しく聞こえる。
店を続けられる資金は、もうほとんど残っていない。せいぜい一週間が限界だろう。
明日閉店するか、一週間粘るか。いっそ今、閉店の張り紙を貼ってしまうか。
高い位置で束ねた髪が、妙に重たく感じる。考えても決断できず、とりあえず営業中の看板を下げようと、アメリアは重い腰を上げた。
そのとき、店の扉がゆっくりと開いた。
おずおずと窺うように入ってきたのは、ローブを被った少年……いや、青年だった。身長はアメリアより低そうだが、顔立ちが少年ではない。アメリアが女性としては高身長なことも踏まえ、青年と形容するのが正しいだろう。
青年は挙動不審に辺りを見渡し、素早く扉を閉める。誰かに追われているような、警戒するような素振りだった。
「あの~……」
青年は弱々しい声で、恐る恐るアメリアに目を向ける。人のよさそうな紫色の瞳が、不安そうに揺れていた。
「僕、お金を持っていなくて……。氷の魔法が使えるので、お代の代わりに何かお役に立てたらと思うんですが……」
そう言ってもじもじとする青年は、ひどく困っているように見えた。
魔法が使えるということは、冒険者だろうか。しかし魔導士一人とは珍しい。大抵の冒険者は、四人以上でパーティーを組んでいる。一人の場合は勇者のような、万能型の職業のことが多い。
そもそも冒険者自体、最近はめっきり見かけなくなった。不審に思っていたそのとき、青年が被るローブの隙間から、長い耳がちらりと覗いた。
その瞬間、アメリアは体が凍りつくような恐怖を覚えた。
「魔、族……?」
アメリアがつぶやくと、青年ははっとしたようにローブを目深に被り直した。しかしその動作こそ、青年が魔族だと肯定している証拠である。
魔族は、時に人間を捕食する。空腹の魔族ほど危険なものはない。
(どうしよう。逃げなきゃ……!)
頭ではそう思うのに、アメリアの足は縫い付けられたように動かない。生まれたての小鹿のように、膝がプルプルと震えている。
青年がローブから手を放す。きっと今日が命日なのだと、アメリアは固く目を閉じた。
(こんなことになるなら、早く店を畳めばよかった……)
店が開いていなければ、青年が入ってくることもなかっただろう。暗闇の中で、アメリアは激しく後悔する。しかし、悔いたところで状況が良くなるわけではない。
これは罰なのかもしれない。現実から目を背け、だらだらと思い出にしがみついた罰。
アメリアは震えながら、その時が訪れるのを待った。しかしどれほど待っても、アメリアの身には何も起こらない。
すると、どさりと大きな音が目の前から聞こえた。一体何が起こったのか。アメリアは混乱しながらも、恐る恐る目を開けた。
目の前に、青年の姿はなくなっていた。
帰ったのだろうか。そう安心したのも束の間、足元から呻くような声が聞こえる。
視線を下げると、青年が腹を押さえて倒れ込んでいた。
「ちょっ、大丈夫ですか!?」
アメリアは咄嗟に青年に駆け寄る。その一瞬だけ、アメリアは青年が魔族であることを忘れていた。
青年は青い顔で唸っている。尋常ではない様子に、アメリアは医者を呼ぼうと立ち上がった。
しかし次の瞬間、青年の腹の音が店中を覆うほど大きく鳴り響いた。
再びアメリアが青年に目を向けると、青年は恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「ごめんなさい……本当にお腹が空いてて……。誓って人間は食べないし、お代は……すぐには払えないけど、必ず用意するので、どうか……」
今にも泣き出しそうな青年の表情に、アメリアは心が締め付けられるような感覚を覚えた。
(信じるのは危ない……。魔族の中にはこうやって同情を誘う奴もいるって、冒険者たちが何度も話してた。けど……)
アメリアは青年に背を向け、足早に厨房に向かう。騙しているのなら背を向けた瞬間襲ってくると思ったが、青年が追いかけてくる様子はない。
アメリアは作り置きしていた小麦の生地を手に取った。麺棒で薄く伸ばし、まだ火を消していなかった石窯に放り込む。
生地が焼けるのを待つ間に、あらかじめボイルしておいた肉を切る。こういった作り置きの食材は、すぐに使えてとても重宝する。店の回転率も上がるし、生の状態より日持ちすることから、廃棄を減らすことにも役立った。
野菜を薄めに切り、石窯の様子を見る。薄い生地は既に焼き上がり、香ばしいにおいを漂わせていた。
アメリアは生地を窯から取り出し、先ほど切った肉と野菜、調味料を乗せる。食材を覆うように生地を折り畳み、くるくると巻けば完成だ。
これは経営が傾き始めたとき、気軽に店に寄ってもらえるようにと考えたレシピだ。歩きながら片手で食べることができ、食材が生地から零れにくく、手を汚すこともない。起き上がることも難しそうな青年でも食べやすいだろう。
弱った胃には優しくないかもしれないが、そこは人間より丈夫である魔族の体を信じることにした。
アメリアは出来上がった巻き包みパンを、足早に青年の元へ運んだ。青年は先ほどまでと変わらず、床に倒れ込んだままだった。
「あの、お口に合うかわからないけど……」
アメリアがそう言ってパンを差し出すと、青年は目を輝かせてアメリアを見た。
「い、いいんですか……?」
アメリアがうなずくと、青年は震える手でパンを掴む。恐る恐る口に運ぶ様子は、もしかしたら毒を警戒しているのかもしれない。
サクッと歯切れのいい音と共に、青年がパンを噛みちぎる。一瞬覗いた犬歯の鋭さに、アメリアの恐怖が一瞬強くなった。
青年は噛み締めるように長く
「お、おいじい……」
涙と共に鼻水まで垂らしながら、青年が二口目、三口目とパンを貪る。その様子は、人間と同じようにしか見えなかった。
アメリアはそれまで抱いていた恐怖が、すっと消えていくのを感じた。
「余り物にはなりますけど……。それでよければ、他にも作りましょうか?」
青年は鼻水を啜りながら、縋るような視線をアメリアに向ける。
「いいの……?」
青年の言葉に、アメリアはしっかりとうなずく。青年は片手で目を擦りながらすすり泣いた。
「ありがと……。ありがどぉ……!」
涙と鼻水でぐちゃぐちゃなその顔に、アメリアの心がほっと温かくなる。
種族の違いなんて大した差ではない。アメリアはそう感じながら、再び厨房に向かった。
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