とある聖職者の大徳

国教会から数十キロほど離れた小さな村で、青年は穏やかな朝を過ごしていた。

数ヶ月前にあの村で、たった一人だけ生き残った青年。

今はこの村の者達の善意に支えられ、どうにか平穏な生活を送れている。

……まあ、完全に立ち直ったわけではない。

夜中に物音がすれば飛び起きるし、赤い液体を見るとちょっと固まる。

それでも最近は、一人で生活できる程度には回復していた。

だからこそ今も、こうして朝から優雅にコーヒーなんて淹れているのである。

「……よし」

青年は満足げに頷き、出来立てのコーヒーを机へ置いた。

その時だった。

コン、コン、コン。

規則正しいノック音が響く。

「……?」

朝に来客なんて珍しい。

青年はカップを持ったまま玄関へ向かい、そのまま扉を開けた。

そして__

「おはようございます。いい朝ですね」

そこには、あの日と寸分違わぬ笑顔の男が立っていた。

「突然ですが、今から一緒に国教会へ行きませんか?」

「…………ゑ?」

青年の思考が停止した。

数秒遅れて、手の中のカップがぐらりと揺れる。

「ちょ、えっ、待っ……なんでいるのぉ!?」

半歩下がる。

「なんで!?なんでお前がここにいるの!?」

さらに下がる。

「いや待って待って待って!『ちょっと市場まで散歩しませんか?』みたいなノリで国教会って言わないでよぉ!怖い怖い怖い!」

完全にパニックだった。

なぜこの男がここにいるのか。

なぜ国教会へ向かうのか。

そもそも自分を連れていく前提で話が進んでいるのか。

何一つ分からない。

しかし男は爽やかな笑顔のまま頷いた。

「さあ、そうと決まれば急ぎましょう」

「決まってないぃ!」

「馬車はもう用意してありますので」

「用意が良すぎるんだよぉ!」

男は気にした様子もなく続ける。

「あ、戸締りはしなくて大丈夫ですよ」

「……?」

「どうせもう、この村に泥棒はいませんから」

「…はい?」

「村の人達は全員、私が寝か救済しておきました」

「…………ゑ?」

本日二度目の『ゑ』だった。

青年の脳が現実を拒否する。

寝かす。

泥棒はいない。

つまり。

「えっ、待って、みんなお昼寝してるだけだよね!?」

「ええ。永い眠りですが。」

「それ死んでるぅうううう!」

青年は絶叫した。

「なんでぇ!?僕コーヒー淹れてただけなのにぃ!」

「実に平和な朝でしたね」

「お前が壊したんだよその平和をぉ!」

男は満足げに頷いた。

「では、行きましょうか」

「行かないよぉ!?」

次の瞬間、青年の身体がふわりと浮いた。

「ふぇっ?」

男が青年の襟元を片手で掴み、そのまま軽々と持ち上げたのだ。

「ちょっ、待っ、やだぁ!?降ろしてぇ!苦しいぃ!」

青年は空中でじたばた暴れ始める。

ジタバタo(><;)(;><)oジタバタ

しかし男はまるで気にしない。

暴れる子猫でも抱えているような気軽さで歩き始める。

「やだぁ!離して、離してよぉ!」

「重宝しますよ、あなたは」

「その言い方やめて?!怖いのぉ!」

「大丈夫ですよ」

「大丈夫じゃないぃ!」

「私と一緒なら怖いことなんてありませんから」

「お前が一番怖いんだよぉおお!」

青年は半泣きで暴れ続ける。

「理由を教えてよぉ!なんで僕なのぉ!?ほかにも誰か……っ、あ、誰もいなかったぁ!」

「察しが良くて本当に助かります」

「助かってるのお前だけぇ!」

男は楽しそうに微笑んだ。

「それに、国教会でもあなたは特別扱いですからね」

「その"特別"絶対ろくでもないやつぅ!!」

「安心してください。私、こう見えてもあちらではそれなりの立場なんですよ?」

「嘘だぁ!」

即答だった。

「お前みたいなのが国教会の偉い人なわけないじゃん!神様否定してたでしょぉ!?絶対追い出されてるってぇ!」

「心外ですねぇ。これでも中の上くらいではあったんですよ?」

「"あった"って過去形なの怖いぃ!」

青年の顔がみるみる青ざめていく。

「えっ、待って、今も!?今も所属してるのぉ!?」

「さあ、どうでしょう?」

「やだこの人ぉ!一番怖いタイプの誤魔化し方するぅ!」

ジタバタo(><;)(;><)oジタバタ

青年は再び空中で暴れ、ぽかぽかと男の腕を叩いた。

しかし男は一ミリも揺らがない。

「無理ですよ。ほら、馬車までもう少しです。」

「帰りたぁい!離して、離してよぉお!襟元伸びるぅ!」

「いい子にしてくださいね」

「いい子にできないぃ!ゑぇーん、もうやだぁあああ!」

朝の静寂(※不自然なもの)に包まれた村を。

爽やかな笑顔で青年を引き摺る男と、

「誰か代わってよぉおおお!」

半ベソでじたばた暴れる青年の叫びだけが、いつまでも響いていた。



「さあ、着きましたよ」

男が軽やかに馬車から降りる。

「やだぁ…行かないもん…」

青年は馬車の座席にしがみついたまま、半泣きで首を横に振った。

「帰りたいぃ…」

「ついさっきまで平和にコーヒー飲んでたのにぃ……」

「なんで数時間後には国教会連行ルート入ってるのぉ……」

ぶつぶつと現実逃避を始める青年を見下ろし、男は穏やかに微笑む。

「大丈夫ですよ」

「大丈夫じゃないぃ!」

青年は恐る恐る馬車の外を見た。

そこには巨大な白亜の建造物。

空へ突き刺さるような尖塔。

何十枚もの色硝子が朝日を反射し、荘厳な光を放っている。

国教会。

この国で最も神聖とされる場所。

「うぅ…なんかもう建物からして威圧感すごいぃ……」

「帰っていい…?」

「駄目です」

男は即答し、青年の腕を掴んだ。

「ひぃっ」

青年の肩が跳ねる。

「安心してください。あなたは私と一緒ですから」

「それが怖いって言ってるのぉ…」

男はそのまま青年を引っ張り、正面階段へ向かう。

すると…

「止まれ」

入口付近に立っていた衛兵が、鋭い声を飛ばした。

青年の身体がびくぅっと震える。

「うわぁああやっぱりぃ!止められたぁ!」

「ほらぁ!絶対ダメなんだってぇ!」

「僕帰るぅ!今ならまだ一般村人として生きられるぅ!」

ジタバタo(><;)(;><)oジタバタ

男は暴れる青年を両腕で抱えるように抑え、穏やかに衛兵へ視線を向けた。

「おや。久しぶりですね。」

その瞬間だった。

衛兵の顔色が変わる。

「……っ!」

目を見開き、次の瞬間には反射的に背筋を伸ばしていた。

「し、失礼いたしました!」

青年が固まる。

「…………ゑ?」

衛兵は明らかに緊張していた。

額にはうっすら汗まで浮いている。

「お、お戻りになられていたのですね……!」

「連絡が回っておらず…その……」

男は柔らかく笑った。

「気にしないでください。急に来たのはこちらですから。」

「それに前にも言った通り、もうちょっと親しげにしてくれてもいいんですよ?」

「は、はい……!」

衛兵が深々と頭を下げ、そのまま道を開ける。

青年はぽかんと口を開けた。

「……えっ。通れるのぉ?」

「だから言ったでしょう?それなりの立場だと。」

「それなりで衛兵あんな顔するぅ!?」

「中の上ってレベルじゃないよぉ!?」

青年の声が裏返る。

男は否定も肯定もせず、楽しげに青年の腕を引き、歩き出した。

青年は完全に腰が引けた状態で後ろをついていく。

教会の中へ入った瞬間、空気が変わった。

広い廊下。高い天井。磨き抜かれた床。

響くのは靴音だけ。

「なんかみんな見てるぅ……」

すれ違う聖職者達が、次々と男へ視線を向けていた。

驚愕。困惑。警戒。

そして、僅かな恐怖。

そんな感情が入り混じった視線。

青年はだんだん顔色が悪くなっていく。

「ねぇ…やっぱりお前ヤバい人なんじゃないのぉ……?」

「失礼ですね。ただ少し顔が広いだけですよ。」

「その少しの基準こわいぃ……」

すると前方から、一人の年配の聖職者が歩いてきた。

男の姿を見た瞬間、ぴたりと足を止める。

空気が凍った。

「……あなたが、何故ここに?」

低い声だった。

しかし男は相変わらず穏やかに笑う。

「ご安心を。今日は暴れに来たわけではありません。」

「『今日は』!?」

青年が即座に反応する。

「待ってぇ!?今『今日は』って言ったぁ!?」

「過去に暴れたことある人の台詞なんだよそれぇ!」

ジタバタo(><;)(;><)oジタバタ

男は青年を片手で宥めながら続けた。

「少々、お話がありまして。上へ通していただけますか?」

年配の聖職者はしばらく黙っていた。

やがて、青年の方へ視線を向ける。

「……その青年は?」

青年の肩がびくりと跳ねた。

「ひぇっ」

男はにこやかに答える。

「面白そうなので連れてきました」

「『面白そう』で連れてこないでよぉ!」

「ていうか国教会って関係者以外立ち入り禁止でしょ?!」

「なんで僕が入れてるの?!」

男は青年に言った。

「私の権限です」

「権限ってなにぃ!?」

青年の悲鳴が高い天井へ反響した。

年配の聖職者は、深く息を吐く。

その顔には警戒もあったが、それ以上に"面倒なものが帰ってきた"という色が濃かった。

「……本当に戻ってきたのですね」

「ええ。少し用事がありまして。」

男は昔と変わらぬ穏やかな笑みで答える。

「用事ってぇ!?」

「僕からしたらお前存在そのものが事件なんだけどぉ!?」

「安心してください」

「だから安心できないんだってぇ!」

青年は半泣きで叫んだ。

周囲の聖職者達も、微妙に視線を逸らしている。

年配の聖職者が静かに口を開いた。

「……上層部へは?」

「ああ、まだです。突然来た方が面白いかなと思いまして。」

「やめてください」

即答だった。

男は少しだけ肩を竦める。

「まあ冗談はさておき、流石に一度くらい話を通しておこうかなと」

「今さらぁ!?」

青年のツッコミが飛ぶ。

「だって、まだ辞職扱いになっていませんし」

その瞬間、周囲の空気が僅かに止まった。

青年だけがきょとんとする。

「…え?辞職……?」

年配の聖職者が、疲れたように目を閉じた。

「正式な処分が下る前に、あなたが姿を消したからです」

「まあ、忙しかったので」

「教会ほぼ壊滅させた人の台詞じゃないよぉ!?」

青年の声が裏返る。

男は不思議そうに首を傾げた。

「でも、規則上はそうでしょう?勝手に籍を消すわけにもいきませんし。」

「規則を盾にするなぁ!」

しかし男の言っていること自体は、恐ろしく筋が通っていた。

国教会は巨大組織だ。

だからこそ、手続きには異様に厳格である。

たとえ大量虐殺を起こした相手でも、正式な審議も処分も行われていない以上、記録上はまだ所属者なのだ。

青年の顔が引き攣る。

「えっ……じゃあなに?お前いま、長期無断欠勤中の職員みたいな扱いなの……?」

「そんな感じですね」

「軽っっっ!」

男は穏やかに笑った。

「なので近況報告と、少し話し合いをしてその後どうするか決めようかなと」

「有給申請みたいなノリで言わないでぇ!」

年配の聖職者がまた額を押さえる。

「……昔から、あなたはそうでしたね」

「能力は誰よりも高いのに、致命的なところで全部おかしくなった」

青年がびくっとした。

『誰よりも高い』

その言葉に、周囲の若い聖職者達も微妙に反応している。

中には、男を食い入るように見ている者もいた。

「あの…」

若い聖職者の一人が、おそるおそる口を開いた。

「もしかして、本当に…あの……?」

男がそちらを見る。

すると若い聖職者は慌てて背筋を伸ばした。

「い、以前…地方巡回で、一度だけお会いしたことがあります……!」

「ああ」

男は柔らかく笑った。

「あなた、あの時の新人さんですか」

覚えていた。

それだけで、若い聖職者の顔が一瞬で強張る。

「は、はい……」

青年はその様子を見て戦慄した。

(えっ、覚えてるの!?)

(こんな全国規模のヤバい人が!?)

男は穏やかに続ける。

「懐かしいですね。たしか階段で資料を全部落として泣きそうになっていたでしょう?」

「う゛っ」

「整理を手伝ったら三回くらい謝られました」

「や、やめてください…!」

若い聖職者が顔を真っ赤にする。

青年はぽかんとした。

……なんか普通に先輩後輩みたいな会話をしている。

男は、全員の顔を一瞥した。

「他の皆様も、何人かは以前私にお会いしたことがあるでしょう?」

「急な人事異動で色々と大変でしたよね」

「皆さん、本当にお疲れ様です」

「人事異動させたのお前だよぉ!」

青年が的確なツッコミを入れる。

次の瞬間、年配の聖職者が低く呟いた。

「あなたが優秀だったことは、今でも記録に残っています」

空気が少し変わる。

「誰よりも敬虔で」

「誰よりも模範的で」

「誰よりも教義に詳しかった」

青年が、ゆっくり男を見る。

「……そう見えてたのなら、良かったです」

男が、ただ静かに微笑む。

「だからこそ、当時を知る者ほど理解できなかった」

年配の聖職者は言う。

「何故あなたが、ああなったのか」

辺りに重苦しい空気が漂う。

「…その辺りも含めて、今日はお話ししますよ」

しかし男の口から出て来たのは、まるで世間話でもするみたいな軽さだった。

「……まあ」

男は青年の肩を軽く押した。

「せっかくですし、あなたも来ます?」

「拒否権は?」

「ありません」

「だよねぇ…知ってたぁ…」

主人公が勝手に話を進める。

しかし、年配の聖職者はそれを遮った。

「…いや、その必要はない」

「なぜですか?」

主人公と青年の視線が、同時に年配の聖職者へと向く。

「__例外的に、裁判が開かれることになったからだ」





なぜ、ほとんどの者が規律や規則を守るのか。


それは、規律や規則を破ったことによる処罰を受けないためである。

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