とある腰抜けの覚悟

一度建物から出た私は、どのようにして己の言葉を実現させようか考えました。

まずは、逆十字架を立てるところから始めなければなりません。

__そう言えば、昼間に手伝いで運んだ木がありましたね。

血がついているとはいえ、斧は斧です。

私は木のある場所まで行くと、迷いなく作業を始めました。

枝を切り落とし、無駄な凹凸を削ぎ、使えそうな部分だけを残していく。

乾いた音が、夜の静寂に溶けていきました。

「……このくらいあればいいですかね」

独り言を落としながら、出来上がった材木を何度かに分けて広場まで運びます。

朝、祈りを捧げていたあの場所。

今は誰もいない、ただの空間です。

村の物置から釘と紐を拝借し、手際よく組み上げていく。

一本、また一本と。

逆さの十字が、静かに形を成していきました。

十数本の十字を円を描くように配置すると、私は一度だけ全体を見渡しました。

「……悪くないですね」

そう呟くと、再びあの建物へと戻ります。

中に入ると、相変わらず静まり返っていました。

地下へと続く階段を降りながら、さっきのやり取りを思い出そうとしましたが__

「……何言ってたんだっけ」

忌み子の声は、ほとんど記憶に残っていませんでした。

何かを必死に訴えていた気もしますが、右から左へ抜けていったようです。

興味がなかったのかもしれません。

地下に降りると、先ほど斬り伏せた男がそのまま倒れていました。

まだかすかに息はありましたが、問題ありません。

私は手際よく麻袋を広げ、体を持ち上げて放り込みます。

その際、床に広がった血と、吐瀉物が目に入りました。

「……」

少しだけ考えた後、布を取り出します。

拭き取っておいた方がいいでしょう。

余計な痕跡は、ないに越したことはない。

無言で淡々と、血の赤も、吐瀉物の跡も、丁寧に消していきました。

「……これでよし」

床を一瞥し、問題がないことを確認します。

その間も、背後で訴えかける声が続いていましたが、やはり内容は頭に入ってきませんでした。

作業を終えると、袋を担ぎ、階段を上がります。

それからは、単純な繰り返しです。

眠っている者を見つけては斬り、動けなくし、広場へ運ぶ。

そして逆さに吊るす。

頭が下になるように、しっかりと固定する。

血が垂れても構わないように、位置も考えながら。

一人、また一人。

円を埋めるように。

夜のうちに、すべてを終わらせる必要はありません。

むしろ、途中で気づかれる方が都合がいい。

だからこそ、私は静かに進めるのではなく、"確実に"進めました。

やがて、東の空がわずかに白み始めます。

最初に気づいたのは、早起きの老人でした。

いつものように広場へ向かい、

足を止めます。

「……なんだ、これは」

その声は、震えていました。

視線の先で、逆さに吊るされた人影。滴る赤。

理解が追いつかないまま、ただ立ち尽くす。

やがて、別の者がやってきます。

一人、また一人と。

「え……?」

「嘘、だろ……」

ざわめきが広がっていきます。

誰かが名前を呼び、誰かが後ずさり、誰かがその場に崩れ落ちる。

円状に並んだ逆十字架が、朝の光を受けて浮かび上がっていました。

そしてその光景を、円の中心から眺めながら。

「……思ったより、綺麗ですね」

私は、小さく、そう呟きました。



…日の光が、天辺から少し傾きました。

それまで村は始終ガヤガヤしており、

ある者は逆十字架からまだ息のある者を降ろそうとし、

ある者は私を抑えつけようとし、

またある者は私に罵声やら疑問の声やらを浴びせてきました。

しかしまあ、誰も刃物や鈍器を私に向けてきませんでしたね。

恨む者はいても、神の意思は破らない。

全くもって敬虔な信者共です。

十字架の本数が足りなくなったので、後から増えた重りは床に放置しました。

そのまま静かに待っていると、ようやく彼らのお出ましです。

村の首都に近い方から、何人かの人影が現れました。

その装いは、地方の信徒とは明らかに異なります。

胸元には、国教会の紋章が刻まれていました。

村の人々が端に避け、国教会の方々がその道を進みます。

円の近くまで来ると、その方々は血溜まりを避けながらこちらに近づきました。

…やはり、汚れたものは嫌いなのですね。

私はいつものようにニッコリと笑みを作り、歓迎の言葉を述べました。

「ようこそいらっしゃいました!国教会の皆様方!」

「…このような状況において、よく言えたものだ」

「ええ。だって半分ほどは、皆様に見せるためにやったことですから。」

斧の柄を軽く叩きながら、私は穏やかに答えます。

国教会の者たちは、円状に並ぶ逆十字架と、そこに吊るされた人々を順に見渡していました。

その視線は冷静でしたが、一方で、確実に何かを測っています。

「……狂人か」

一人が、吐き捨てるように言いました。

「そう見えますか?」

「そうとしか見えん」

「それは心外ですね。私は至って正気ですよ」

そう言って、私は小さく笑みを浮かべました。

すると、別の声がそれを遮りました。

「…いや、こいつは違う」

その声に、私は視線を向けます。

国教会の者たちの後ろ。

一歩だけ下がった位置に立っていた、一人の男。

その顔には、見覚えがありました。

「……ああ」

思わず、声が漏れます。

「お久しぶりですね」

教会を襲撃したあの日、最後に逃がした、あの腰抜けでした。

彼は、私を真っ直ぐに見据えています。

しかし怒りや恐怖ではない、もっと別の…

「……やはり、お前か」

確信したかのような、そういう目でした。

「覚えていてくれたんですね。嬉しいですよ。」

「黙れ」

即座に言葉が返ってきましたが、その声はわずかに震えていました。

「その顔、その喋り方……忘れるはずがない」

「光栄ですね」

「…あの時の崩れた口調はどうした?」

「今は敬語の方がよろしいかと」

私は軽く肩をすくめました。

「で、どうでしたか?あの後」

「……」

「ちゃんと伝えてくれました?『あの日』のこと。」

その問いに、その腰抜けは一瞬だけ歯を食いしばりました。

「……報告はした」

「それは何より」

「だが、お前のような存在が、なぜ今まで野放しにされているのか……理解できなかった」

「理解する必要、あります?」

「ある」

即答でした。

「お前はどう考えても、歴代類を見ないほどに異常だ」

「そうですか?」

「自分で分かっているだろう」

「さて」

私は首を傾げました。

「“異常”って、便利な言葉ですよね」

「自分と違うものを、簡単に切り捨てられる」

「お前が言うな」

「言いますよ。だって――」

私は、円状に吊るされた人々へと軽く手を広げました。

「ここにいる皆さんも、そうしてきたんでしょう?」

「……」

沈黙が落ちます。

村人たちは何も言えず、ただ視線を逸らしました。

「忌み子を閉じ込めて、殴って、飢えさせて!」

「…それでも“自分たちは正しい”と信じて疑わない」

「それって、異常じゃないんですか?」

「……それとこれとは話が違う」

腰抜けが、必死に場を逸らすかのように言いました。

「違いますか?」

「違う」

「どこが?」

「お前は、どう考えても"楽しんで"やっている」

その言葉に対し、私は一瞬だけ黙りました。

「……」

否定しようと思えば、できたはずです。

ですが__

「……ああ。そうかもしれませんね。」

自分でも驚くほど、あっさりとした肯定でした。

「……やはりな」

男の目が、わずかに細められます。

「お前は…」

「でも」

私はその言葉の続きを言わすまいと、遮りました。

「それの何が問題なんですか?」

「何だと」

「だって皆さんも、信仰を“心地いい”と感じてるんでしょう?」

「祈ることで安心して、従うことで満たされて!」

「それって、ある意味"快楽"じゃないですか!」

「……」

「私はただ、それを別の形でやってるだけですよ」

静かに、目を伏せながら笑みを浮かべました。

「少し過激なだけで」

その場の空気が、一段階冷えた気がしました。

国教会の者たちが、わずかに構えを強めます。

しかしその腰抜けは腕で軽く国教会の者達を制し、そして一歩、私に近づきました。

「…私が教会から逃げたことで、お前を野放しに、多くの犠牲を出したことは自覚している」

「そうですか」

特に突っ込む必要もないので、短く返事をしました。

「なぜ、私を逃がした」

「そんなのあなただって分かっているのでしょう?」

「ああ。他の者もお前の言う"救済"をするためだ。」

腰抜けは目を少し細め、緊張した面で質問を重ねてきました。

「…だが、ここに吊るされている者はまだ息のある者が多い」

「それは、"救済"に当たるのか?」

私は落胆したときのようにため息をつきました。

「忘れたのですか?」

「私は人々を苦しみから解放すると同時に、次の絶望を生ませているのです」

「つまり、この方は絶望しながら苦しみ、そしてその後に解放される必要があるのですよ!」

「…それに何の意味がある」

私は至って真面目な態度に直してから言いました。

「悪魔のご意向の元、世の中を潤滑に回しているだけです」

「話にならないな」

「……もういい」

腰抜けとはまた別の、国教会の人物である一人が前に出ました。

「これ以上の問答は不要だ」

「そうですか?」

「お前はここで拘束する」

「神の意思に逆らってでも?」

「…」

「…ならば」

腰抜けがそう言うと…突如として、土下座をし始めました。

円の外から困惑の空気が張り詰めます。

「…どうか、私を救済してくれ」

「そう言って聞くと思ってます?」

「思ってない。だが、これ以外にお前を止める方法が浮かばないのだ。」

「…はぁ」

私は軽蔑の目をその腰抜けに向け、そしてズバリと言いました。

「少しは腰抜けから成長したようですね」

「ああ」

「で?私が本当にあなたを救済しようとしたらどうするんです?」

「私はこの場から動かない」

前もってその言葉を用意していたかのように、腰抜けは即答しました。

「聖書ちゃんと読んでますか?『苦痛から逃れるために自ら命を絶ってはならない』…と。」

腰抜けは、頭を上げずに、1つ1つの言葉を丁寧に言いました。

「その言葉については知っている。しかしこれは"逃げ"ではない。これ以上の犠牲を出さないための"貢献"だ。」

「"貢献"という言葉が出てくる時点で、あなたは自分こそが上だという認識を捨てきれてませんよ」

「言葉の綾だ」

「本当に世の中は便利な言葉ばかりですね」

私は今日何度目か分からない落胆のため息をつきました。

斧を肩に担ぎ、踵を返します。

数歩ほど歩いた後、私は1つ言い忘れていたことを思い出しました。

「そう言えば、最初に逆十字架に吊るした方はこんなのを持ってましたよ」

懐から鍵を取り出し、そして振り返らないまま後ろに投げます。

それは、あの忌み子が幽閉されている建物の鍵でした。

「私も知らない、大事な情報があるかもしれませんね。」






人の感受性は、人それぞれだ。

人の価値観は、人それぞれだ。

だが時が経てば、その感受性や価値観は少なからず変わるだろう。


…その感受性や価値観も、本心を無意識に抑圧するためのものかもしれないが。

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