とある忌み子の純心
建物の中は、とても静かでした。
明かりという明かりは消えており、視界もかなり狭まれています。
私は袋からマッチと松明を取り出しました。
マッチを擦って火を松明に灯し、ゆっくりと奥へ進みます。
すると目の前に階段が現れ、私はそこで一度止まりました。
…地下があったのですね。
1段1段、踏み外さないように降ります。
最下段まで降りた時、私の前方には1つの空間が現れました。
狭く、暗く、そしてカビ臭い。
おそらく何年にも渡って、手入れされていないのでしょう。
人が住める場所とは到底思えませんでした。
鉄格子を撫でるように、手を滑らせます。
こびりついた油と共に、ひんやりとした冷たさを感じました。
松明を鉄格子の間から中に入れて照らします。
そして薄暗くも、明かりが確保できたところで私はその人物に声をかけました。
「こんばんわ。夜遅くまで起きてると、お体に触りますよ。」
返事の代わりに、かすかに床が擦れる音が聞こえました。
いきなり知らない人物がやってきたので、警戒をしているのでしょう。
私はその子供を安心させるため、付け加えるように言いました。
「安心してください。私は教会の者ですが、何があってもあなたの味方です。」
…今も教会の者であるかは怪しいところですが、まあ良いでしょう。
ようやく私と話す気になったのか、薄い麻布が持ち上げられました。
ゆっくりと体を起こすと同時に、その子供が声を発します。
「…こんばんわ」
「こんばんわ。早速ですが、あなたがこの村の忌み子ということで合っているでしょうか?」
「そう…ですね」
その最初に目に入ったのは、やはり悪魔のような羽でした。
悪魔の羽を生やしたその子供はやせ細っており、体の至る所に痣があります。
年齢は10くらいでしょうか。
充分な栄養を取れていないように見えるので、実際のところは分かりませんが…。
羽はその子の体を覆えるほどに大きく、時々その先を鉄格子にぶつけていました。
「年はいくつですか?」
「14…か15くらいだと思います」
「ありがとうございます。その羽はいつから?」
「生まれた時から生えていたと、村の者から聞いています」
「なるほど」
私はその子と目線を合わせるため、地面に座りました。
警戒されないよう、言葉を選びながら慎重に話しかけます。
「その痣は?」
「ほとんどが、村の者に殴られた際についたものです」
特に驚くようなことではありません。
忌み子であるならば、どうせそんなところだと思ってましたしね。
「あなたは人ですか?悪魔ですか?」
「…私は悪魔です」
「なぜ?」
「村の者がそうおっしゃるからです。皆さんいい人ですから、嘘などではありませんよ。」
その時、私は違和感を抱きました。
自分が悪魔なのは、村の者がそう言ったから?
村の者にこれほど殴られておいて、いい人だと?
「…なぜ、村の人たちが良い方だと言えるのですか?」
「村の人達は皆、心から神を信じております。神を信じ、その身を捧げる者が、悪い方であるはずがありません。」
「あなたは、その村の人達に殴られているのでしょう?」
「はい。しかしそれは、私が悪魔であるからです。」
「では、あなたは神を信じていないのですか?」
「神を信じないなど、そのような愚行はいたしておりません!」
その弱々しい体とは対称的に、その子供ははっきりと言い放ちました。
「きっとこの羽も、私が前世で罪を犯したからなのです。いわばこれは試練であり、償い。神様は、私に更生のチャンスをくださっているのです。」
「その試練や償いに、村の者から攻撃されることも含まれているのですか?」
「はい。全ては、私の身勝手な行いがもたらした結果です。」
「……」
「…どうかしましたか?」
ありえない。
おそらくこの子供は、食事もロクに与えられていないのでしょう。
充分な住処も寝床も確保されていない。
あまつさえ、人からは暴力を受ける日々。
それなのに、人を恨まないどころか、自身の罪だと受け入れているのですか?
「…いえ、なんでもありません」
「そうですか…」
「それより、あなたの羽に触れさせて頂いてもよろしいでしょうか?」
この子供に天使の羽について聞いたところで、情報は返ってこないでしょう。
ならば、私がその悪魔の羽に触れて確かめるまでです。
「え…でも…」
「何か問題があるのですか?」
私がそう聞くと、子供は申し訳なさそうに答えました。
「…この羽は、触れた者を不快にさせてしまうのです。」
「不快に?」
「はい。村の人達が触れた時は、皆顔を歪めていました。」
「なぜ羽に触れただけで不快になってしまうのでしょうか…」
「私にも分かりません…。ですが、悪魔の羽です。あまり触れない方がよろしいかと…。」
「私なら大丈夫です。神様のご加護があれば、悪魔に犯される心配はありませんから。」
神などいないのに、加護もクソもないでしょうけどね。
「…それもそうですね!」
そう言うと子供は、少し躊躇いながらもこちらに羽を向けてくれました。
長い骨の間に張られている皮膜は非常に薄く、それでいて頑丈そうに見えます。
もし本当に悪魔が人の本質を暴くものならば、私の信者としての偽善は暴かれるでしょう。
そうでなくても、神を信じるバカ共とは違い、不快になることはないはずです。
なぜなら私は悪魔を信じ、そのために偽りの生涯を
「触れさせていただきますね」
私は躊躇いなく、羽に向けて手を伸ばしました。
そして悪魔の羽に触れた瞬間__
「ウグッ…」
ゴパァ、と、口から何かが溢れ出しました。
反射的に羽から手を離し、床に倒れ込みます。
胃の中が熱くて、そして気持ち悪い。
自分が吐いたと気づくまでに、少しばかりの時間がかかりました。
「だ…大丈夫ですか?」
「…大丈夫です」
とは言ったものの、正直に言うととても苦しんでいました。
体の調子が悪いと言うよりかは、頭が何かを拒んでいる。
その反応が嘔吐となって出てきたのだと思います。
絶望と同じくらい、いえ、それ以上に胸が締め付けられるような感覚。
…ですが……
「…ハハ」
小さく声に出ると同時に、気づきました。
私が、笑っていることに。
顔が苦痛で歪みながらも、口角が上がっていたのです。
「……」
背後から心配の気配を感じ取り、私は急いで冷静を取り戻しました。
少しフラフラとしながらも立ち上がり、口元を手で拭いながら体の向きを変えます。
「…あなたは大丈夫ですか?」
「あ、はい。大丈夫です。」
「それは良かった。何か異常は?」
「特には…。ですが、」
その子は一呼吸置くと、胸を締め付けられたかのような、そんな顔をしながら答えました。
「なぜか、とても悲しくなりました」
「……」
「もちろん、罪人である私がこのような弱音を吐くなど、罰当たりであると理解しています。これは、私の精神がまだ未熟であることの証拠です。」
「…そうですか」
そこまで言うとその子は体から麻布を外し、姿勢を直して正座をしました。
私は立ち眩みが治るまで、俯いたままの子供を見つめます。
すると不意に、階段を降りる音が聞こえてきました。
「……あ…」
「…誰か来てますね」
「えっと…どうしましょう…」
「焦る必要はありませんよ」
私は手荷物の入った大きな袋を取り出し、そしてまた、子供から体を背けました。
中から"それ"を取り出し、袋を荷物ごと横に投げます。
そしてちょうど灯火の影に隠れるように"それ"を持つと、階段の上から人が現れました。
昼間にあった村の者の内の、一人。
「…なぜここにいる」
「失礼。まずは勝手に立ち入ってしまったことを、深くお詫び申し上げます。」
「…そうじゃない。なぜここにいると聞いている。」
「近隣の村の方から、ここに忌み子が幽閉されていると聞きまして」
「……教会の者か?」
「ええ。しかしなぜそれを?」
「服についたその文様だ。教会の中での地位は高い方だろう。」
なるほど。確かにそうでしたね。
「私なんてまだまだですよ」
「ここに来たのも、そこにいる忌み子とやらの処分を神から承るためか?」
「と、言いますと?」
「そいつには悪魔の羽がついている。その羽は、今までに村の者に不快をもたらしてきた。」
「だが中々本性を表さないものでな。敬徒な信者をずっと演じ続けている。それに、我々が手を汚すことは決してならない。」
「いいえ!私は心から神に忠誠を誓っております!」
「嘘をつくな悪魔め!」
「それでこのように幽閉して、悪魔による被害をもたらさないようにしていた…と。」
「ああ、だから__」
「とりあえず一旦黙りやがれください」
そう言うと私は、"それ"を村の人に振り下ろしました。
その人は反射的に体を逸らしましたが、遅かったですね。
左肩から右の脇腹にかけて深く傷をつけると、その人は返り血をこちらに飛ばしながら倒れました。
鈍い音を立てながら、目の前の障害が消えます。
冷ややかな目で動かなくなったそれを見つめていると、後ろからかすれた声が聞こえてきました。
「…ぇ」
「……」
フゥー、と静かに深呼吸をしながら、後ろに振り向きます。
まだ必死な息遣いが床から聞こえますが、どうせ動けないですしいいでしょう。
「な、何を…」
「大丈夫ですか?」
反射的に、いつもの口癖が出てきました
「だ、大丈夫って…それよりも早くその方を救護しましょう!話はそれからです!」
「君今の見てた?救護とか笑えるね」
「へ…?」
まるで理解できない物を見たかのように、その子は私の顔を見つめました。
無理もありません。
「どう?今の気持ちは」
「…早くその方を治療しなければいけないことに、焦りと罪悪感を感じています」
「ちゃんと受け答えできるのいいね。子供とは思えない。」
あの時と同じように笑顔で話そうとしましたが、さっきのこともあってか、上手く笑えませんでした。
目が自然と細くなり、意識が少しおぼろげになります。
「この過激派信者にボコられてたんでしょ?こいついなくなって清々しないの?」
「そんなバチ当たりな…!」
「…本当に心から神を信じてるんだね。悪魔の羽が生えてるクセに。」
「…っ」
「あー、僕は大丈夫だよ」
聞かれてもないのに、私は棒読みでそう言いました。
「何も策なしにやったわけじゃないから」
「策って…」
「このままここにこいつを放っておいたら、君は殺人を犯したとして処刑されるでしょ?それは僕の本望じゃない。」
「…」
「だから、僕が自首するよ」
「しかし…」
「でもやってみたいことあったっけ。ほらあれ、十字架を逆さにするやつ。」
「?!」
私は疲れたように笑いながら、言葉を続けました。
「息絶えるまで、こいつを村の広場で逆十字架に吊るそう」
「村の人が全員起きるまで、一人ずつそうするんだ」
「寝ているところを斬りつけて、ロクに動けなくして、」
「それから村の広場に用意した逆さ十字架に括り付けるんだ」
すると子供の方から、私に大きな声が浴びせられました。
「罪に罪を重ねるのですか?!」
「今更だよ」
「今更って…」
「君は知らないだろうけど、僕はもうすでに何人も殺ってるんだ。しかも
「…悔い改めなさい」
「これは君にもメリットがあるんだよ?」
あまりの信仰心に、私はほとほと呆れながら言いました。
「これほどの事件が起きれば、国も動くでしょ?」
「そうすれば、村の隅から隅まで捜索される」
「君も見つかって保護されるだろう」
「なーんの罪も犯していない」
「おまけに毒にも薬にもならないクソほど真面目なその信仰心があれば、悪魔の羽なんぞで、ぞんざいな扱いはされないと思うよ」
私は振り向いてしゃがみ込み、その子の顔を覗き込みました。
その子はしばらく、絶望したかのように俯いていました。
しかし徐々に、その顔が殉教者のような表情に変わったのです。
そして一点の曇もない眼差しで、私に言葉を返してきました。
「…私にメリットかどうかじゃないんです」
「神様によって造られたこの大地を、水を、食料を、満天の星空を!」
「それら全てに感謝し!人としての道を外れぬよう、恥じぬように生きるため、私は神の身元でこの身を捧げているです!」
「なので私には、今ここであなたを止める義務がある!」
……
私は、冷笑を浮かべ、せせら笑いながら言いました。
「あんまり生意気なこと言ってると、僕に殺されるかもよ?」
「関係ありません」
「…へぇー」
あまりのブレなさに、私は深く、静かな溜息とともに目を細めます。
「でも君は、僕を止められない」
「もし君が僕を止めることを"使命"だって、あるいは"試練"だって言うならば__」
「その使命か試練がダメになったとき、神様は君をどうするんだろうね?」
「…神への侮辱ですか?」
「侮辱ではないかな。神なんていないし。」
「侮辱してますよ、それ」
私は踵を返し、血濡れた斧を担ぎ直してから階段を登り始めました。
「待ってください!まだ__」
「まだ、戻れるって?」
「無理だよ」
「そんなはずはありません!悔い改める者は誰でも…」
「じゃあね。いや『じゃあね』じゃないか。」
「…また、そこの奴を回収しに来るから」
人は、良いことよりも、悪いことの方が印象に残りやすい。
しかし自分自身の過去については、ネガティブな記憶に伴う嫌な気持ちの方が、ポジティブな記憶よりも先に薄れるのだ。
悪魔は、人を誘惑して罪に落とす。
そのために、対象の過去の後悔を持ち出すこともあるだろう。
…人が悪に堕ちる時、情けは不要なものとして切り捨てられる。
だが情けとは、種を存続させるための生存本能でもあるのだ。
生存本能という欲は、誰が完全に切り捨てられようか?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます