とある村の隠し事

あの村に来てから、どれほどの時間が経ったでしょうか。

穏やかな日々は、相変わらず続いていました。

朝は祈りを捧げ、昼は手伝いをし、夜は静かに本を読む。

誰から見ても、非の打ちどころのない信者。

……観察するために事を起こしていないとはいえ、実に退屈ですね。

「少し、出かけてみましょうか」

誰に言うでもなく、私はそう呟きました。

理由は単純です。

“次”を探すため。

あの羽の件は、なかなかに興味深いものでした。

触れれば暖かいはずのものが、私には痛みをもたらした。

信仰の差異か、それとも…別の何かか。

いずれにせよ、一つ分かったことがあります。

「この世界は、思っていたよりも面白いですね」

私は軽く笑い、荷物をまとめ始めました。

といっても、大した準備は必要ありません。

一週間分の食料と、水。

そして

「……念のため、ですかね」

袋の奥に手を伸ばし、指先でそれに触れました。

硬く、冷たい感触。

すぐに手を離し、何事もなかったかのように袋を閉じます。

「さて」

扉に手をかけ、外へ。

見慣れた村の景色が、視界に広がりました。

行き交う人々。

穏やかな挨拶。

何も知らない、平和な日常。

その中の一人に、私は報告のため声をかけました。

「少しの間、留守にしますね」

すると、相手は驚くほど素直に頷きました。

「お気をつけて。神のご加護がありますように」

「ええ、ありがとうございます」

…ご加護、ですか。

内心で小さく笑いながら、私は軽く頭を下げました。

村を出て、道なりに歩き出します。

行き先は、まだ明確には決めていません。

ですが。

「“悪魔の羽”……ね」

ぽつりと、その言葉を口にしました。

ただの噂に過ぎない話ですが…

「もし、本当にあるのなら」


「会ってみたいじゃないですか」

その本質が、どちらに転ぶのかを。

善か、悪か。

あるいは__そのどちらでもないのか。

そう言うと私は、静かに歩き始めました。

あてもなく、というわけではありません。

こういった話には、必ず出どころがあります。

噂は、人の口から生まれるものですから。

数日ほど歩いた頃でしょうか。

道中でいくつかの村や集落に立ち寄り、私はそれとなく話を聞いていました。

もちろん、あくまでも敬虔な信者として。

「この辺りで、何か変わった話などはありませんか?」

そう尋ねれば、大抵は似たような答えが返ってきました。

豊作だの、不作だの、誰それが結婚しただの。

実に平和で、退屈なものばかり。

ですが。

「……そういえば」

ある村で、一人の老人がぽつりと呟きました。

「ここからもう少し行った先に、妙に閉鎖的な村があってな」

「閉鎖的、ですか」

「よそ者をあまり歓迎せん。噂も、外にはほとんど出てこない」

「なるほど」

私は軽く相槌を打ちました。

「ただ……」

そう言うとその老人は、少しだけ声を潜めました。

「“いるらしい”とは聞いたことがある」

「何が、ですか?」

「……忌み子、だ」

その言葉に、私はわずかに目を細めました。

「生まれつき、何かを持っている子供がな。村の者はそれをひどく恐れている、と」

「恐れている、ですか」

「ああ。詳しいことは知らん。ただ、関わらん方がいいとだけは言われている」

「……そうですか」

私はそれ以上は聞かず、静かに頷きました。

情報はこれで十分でしょう。

「貴重なお話、ありがとうございました」

そう言って丁寧に礼を述べ、その場を後にしました。

__忌み子。

分かりやすいですね。

人は、自分たちと違うものを、簡単にそう呼びます。

「閉鎖的な村、ですか」

小さく呟き、私は教えられた方向へと足を向けました。



それからさらに数日ほど歩いた頃。

目的の村は、すぐにそれと分かりました。

他と比べて、明らかに空気が違ったのです。

静か、というよりは、抑え込まれているような沈黙。

人の視線も、どこかよそよそしい。

「……なるほど」

私はいつも通りの笑みを浮かべたまま、村の中へと足を踏み入れました。

すると案の定、いくつかの視線がこちらに向けられます。

歓迎、とは言い難いものですね。

ですが、それで構いません。

「失礼。この村に宿はありますか?」

近くにいた人物ににこやかに声をかけると、その人は一瞬だけこちらを値踏みするように見てから、短く答えました。

「……あるにはある」

「助かります。案内していただくことは?」

「……ついてこい」

ぶっきらぼうな言葉でしたが、断られなかっただけ良しとしましょう。

私は素直にその後ろについていきました。

道中に交わされた会話は、ほとんどありません。

ですが、その沈黙が逆に、この村の性質をよく表しているように感じられました。

やがて、一軒の建物の前で、その人物は足を止めました。

「ここだ」

「ありがとうございます」

軽く頭を下げると、その人はそれ以上何も言わずに立ち去っていきました。

……本当に、分かりやすい。

私は小さく息を吐き、宿屋の扉に手をかけます。

中へ入ると、外と同じく静かな空気が流れていました。

客はほとんどおらず、奥には店主らしき人物が一人。

「一晩、お願いできますか?」

そう声をかけると、店主はゆっくりと顔を上げました。

その目は、どこか警戒を含んでいるようにも見える。

「……旅の者か」

「ええ」

「長居はするな」

「承知しています」

即座に頷くと、店主はしばらく私を見つめた後、無言で鍵を差し出しました。

「二階の奥だ」

「ありがとうございます」

鍵を受け取り、私は階段へと向かいます。

軋む音を立てる階段を上りながら、私はふと考えました。

この村は、隠している。

それも、かなり露骨に。

「……さて」

割り当てられた部屋に入り、扉を閉めました。

簡素な室内。必要最低限のものだけが揃っている空間。

荷物を置き、窓の外へと目を向けました。

薄暗く、どこか息苦しい景色。

「いるのでしょうね」

小さく呟き、私は笑みを浮かべました。

忌み子。

隠された存在。

そして、おそらく__

「“悪魔の羽”」

その言葉を、小さく声に出しました。

胸の奥で、確かに何かが高鳴っているのを感じます。

「……どこにいるんでしょうね」

静かに、椅子へと腰を下ろしました。

焦る必要はありません。

こういうものは、大抵。

「隠そうとするほど、目立つものですから」



翌日。

私はいつも通り、村の広場へと足を運びました。

朝の祈り。

形式的で、しかしどこか張り詰めた空気。

声は揃っているはずなのに、不思議と一体感がない。

「……」

小さく目を細めながらも、私は他の者と同じように祈りを捧げました。

やがてそれが終わると、人々は散り散りに動き始めます。

私はその流れに自然と混ざり、近くにいた者へ声をかけました。

「何か、お手伝いできることはありますか?」

相手は一瞬だけ迷うような素振りを見せた後、小さく頷きました。

「……では、切り倒した木を運ぶのを手伝ってもらえるか」

「もちろんです」

私は快く引き受け、その後に続きます。

作業自体は、単純なものでした。

重さも大したことはありませんでしたが、ふと、違和感を覚えました。

運び先が、妙に偏っているのです。

村の端の、人気の少ない方向。

「この辺りは、あまり人が来ないのですね」

何気ない調子でそう言うと、相手の動きがわずかに止まりました。

「……そうだな」

帰ってきたのは短い返答のみで、それ以上の言葉は続きませんでした。

なので、私はそれ以上踏み込まず、ただ頷くだけに留めて置くことにしたのです。

やがて薪を置き終えると、その人物は「助かった」とだけ言い、すぐにその場を離れていきました。

……随分と、足早ですね。

私は一人残され、辺りを見回しました。

村の外れで、建物は少なく、手入れも行き届いているとは言い難い。

ですが、その中で一つだけ、妙に整っている場所がありました。

それは少し古びた建物で、外見は他と大差ありません。

ですが…

扉の前だけ、地面が不自然に踏み固められていますね。

人の出入りがある証拠。

それも、決して少なくない頻度で。

「…ここ、ですかね」

小さく呟き、私は視線を逸らしました。

今はまだ、近づかないでおきましょう。

無理に触れる必要はありませんから。

代わりに、何事もなかったかのように踵を返し、再び村の中心へと戻っていきました。



その後も、私はいくつかの手伝いをこなしました。

水汲み。

畑の世話。

簡単な修繕。

どれも特別なものではありません。

ですが、その中で何人かの人間が、同じ方向へと足を運ぶのを見かけました。

あの場所へ。

時間も、まちまち。

ですが、共通していることがありました。

『誰も、そのことを口にしない』

あまりにも分かりやすいですね。



夕方。

一通りの手伝いを終えた私は、宿へと戻る道を歩いていました。

空はすでに赤く染まり、村は再び静けさを取り戻しつつあります。

その中で、私は一度だけ、足を止めました。

視線の先には、あの建物のある方向。

「……」

ほんの数秒だけ考えた後、私は何事もなかったかのように視線を外しました。

宿の扉を開け、中へと入ります。

「……さて」

私は鍵を取り出し、部屋へと戻りました。

扉を閉め、静かに息を吐きます。

今日一日の情報は、十分すぎるほどでした。

「あとは…どう入り込むか、ですね」

誰にも聞こえない声で、そう呟きます。

窓の外では、夜がゆっくりと降りてきていました。

闇は、隠すためのもの。

ですが同時に。

「暴くためのものでもある」

私は薄く笑みを浮かべ、椅子へと腰を下ろしました。

明日の夜。

あるいは――

「もっと早くても、構いませんね」



夜。

私はベッドの上に横になったまま、目を閉じていました。

眠っているように見せるための、ただの姿勢です。

実際には、意識ははっきりと冴えていました。

耳を澄まし、外の気配を拾います。

足音。戸の開閉。人の気配。

それらが完全に消えるまで、私は動きませんでした。

どれくらい経ったでしょうか。

「……そろそろ、いいでしょう」

小さく呟き、私はゆっくりと体を起こしました。

足音を立てないように床へ降り、扉へと近づきます。

鍵に手をかけ、一瞬だけ止めました。

…正面から出る必要は、ありませんね。

私は手を離し、代わりに窓の方へと視線を向けました。

ゆっくりと窓を開け、外の様子を確認します。

人影なし。音なし。

そのまま静かに身を乗り出し、外へでました。

地面に着地する際の衝撃を最小限に抑え、すぐに姿勢を低くします。

夜の空気は、ひどく冷えていました。

ですが、それがむしろ都合がいい。

人は寒さの中では、無駄に外へ出ようとはしないものですから。

「さて」

小さく息を吐き、私は歩き出しました。

向かう先は、昼間に確認したあの建物。

足音を消しながら、影から影へと移動すると、やがて目的の場所が見えてきました。

昼間と変わらない、古びた建物でしたが…

「……やはり」

近づくほどに、それが“ただの建物ではない”と分かりました。

明らかに空気が違います。

何かが沈殿しているような、そんな感覚。

私は建物の側面へと回り込み、壁に背を預けました。

中からの物音は、ほとんど聞こえません。

人の気配も感じられませんが…。

「無人、というわけではなさそうですね」

視線を足元へと落とします。

扉の前だけでなく、周囲の地面にもわずかな踏み跡。

それも、比較的新しいもの。

私は扉の方へと視線を向けました。

鍵はおそらく掛かっているでしょう。

ですが問題ありません。

私は袋に手を伸ばしました。

中にあるそれを取り出し、手の中で軽く確かめます。

鈍い光を放つ、小さな金属片。

こういう時のために、用意していたものです。

扉の前へと歩み寄り、ゆっくりと、金属片を鍵穴へ差し込みました。

慎重に、しかし迷いなく。

わずかな抵抗を指先の感覚だけで読み取り、力を加減しました。

すると聞こえてきたのは、カチャリという小さな音。

「開きましたね」

私は息を殺したまま、ゆっくりと扉を押しました。

軋む音が出ないよう、細心の注意を払いながら。

わずかに開いた隙間から、内部の闇が覗きます。

光はがほとんどなく、闇に包まれた空間。

そのまま、私は建物の中へと足を踏み入れました。

扉が、音もなく閉じられます。

私はただ一人、奥へと視線を向けます。

私はその先にいるはずの存在を思い浮かべながら、ゆっくりと歩き出しました。





忌み子がなぜ、生まれ持って世に悪をもたらすのか。

なぜ忌み子を外界と切断するのか。


前者は、忌み子が与えられた負の行いによって人に恨みを持つからである。

後者は、その恨みが、外界と切断されている内は影響を及ぼさないからだ。

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