とある信者の義

さて、私がその村へと辿り着いたのは、出発から数日が経った頃でした。

街とは違い、静かで、どこか閉じた空気を感じる場所でしたね。

人の数も少なく、互いの顔をよく知っているような、そんな規模の村です。

「……見慣れない顔ですね」

村の入口付近で辺りを見渡していると、後ろから声をかけられました。

振り返ると、そこには一人の人物が立っていました。

年齢は私とそう変わらないでしょうか。

落ち着いた雰囲気を纏った、穏やかな人です。

その人はローブを身にまとって、フードを被っていました。

「旅の方ですか?」

「ええ、まあそんなところです」

軽く笑みを浮かべて答えると、その人物も柔らかく微笑みました。

「この村に来る方は珍しいので。よろしければ、案内しましょうか?」

「助かります。土地勘がないもので…。」

「では、こちらへ」

そう言って、その人物は自然な動作で歩き出しました。

私はその後ろをついていきながら、村の様子を観察します。

「ここが広場です。朝になると、皆ここに集まって祈りを捧げます」

「向こうが小売店で、日用品は大抵揃います。あちらが宿屋ですが……長く滞在されるなら、空き家を借りた方が良いかもしれません」

「なるほど」

無駄のない説明。

しかし押し付けがましさはなく、あくまで相手の意思を尊重する話し方。

随分と、よくできた人だと感じました。

「この村は、信仰が深い人が多いんですね」

「そうですね。皆、神に救われることを信じていますから」

「あなたもですか?」

私が何気なくそう尋ねると、その人物はほんの一瞬だけ、言葉を選ぶように間を置きました。

「……どうでしょうね」

曖昧な返答でした。

ですが、その表情は変わらず穏やかなまま。

まるで、何も隠していないかのように。

「私は、ただ……皆さんが穏やかに過ごせれば、それでいいと思っています」

「そうなんですね…」

私はそれ以上追及することなく、軽く相槌を打ちました。

やがて、いくつかの空き家の前についたので足を止めました。

「このあたりは、今使われていない家です。どれも最低限の生活はできますよ」

「じゃあ……ここにします」

適当に一軒を指差すと、その人物は頷きました。

「鍵は村長が管理していますので、後ほどお連れします」

「ありがとうございます。大変助かりました。」

「いえ」

その人物は、小さく頭を下げました。

「何か困ったことがあれば、いつでも声をかけてください」

「頼もしいですね」

そう言うと、その人物は少しだけ困ったように笑いました。

「大したことはできませんが」

謙虚な人ですね。

そう思いながらも、私はその人物から視線を外しました。

背中越しに見える姿は、どこか“普通すぎる”ほどに自然で。

……だからこそ、少しだけ引っかかるものがありました。

「では、また」

その言葉を最後に、その人物は静かに立ち去っていきました。

私はしばらくその背中を見送った後、家の中へと入りました。

簡素な造りでしたが、しばらく身を置くには十分でしょう。

荷物を適当に置き、軽く室内を見回します。

「……さて」

小さく呟き、私は窓の外へと視線を向けました。

穏やかで、静かな村。

信仰に満ちた、よくある場所。

だからこそ。

「何か、あるはずです」

誰にも聞こえないように呟き、私は薄く笑みを浮かべました。



村についてから数日。

私は以前と同じように、信仰深い者として振る舞っていました。

朝は祈りを捧げ、昼は村の手伝いをし、夜は静かに聖書を読む。

誰が見ても、敬虔な信者そのもの。

だからでしょうか。

村の者は、次第に私へと心を開いていきました。

その中でも、特に熱心な者達がいました。

「最近来た方ですよね?随分と信心深いようで」

そう声をかけてきたのは、数人の男女でした。

どこか浮ついたような笑みを浮かべ、その目は妙に熱を帯びています。

「ええ。まだまだ未熟ですが」

軽く頭を下げると、彼らは嬉しそうに顔を見合わせました。

「でしたら、ぜひお聞きになってください」

「神の奇跡について、です」

“奇跡”という言葉に、私はわずかに眉を動かしました。

「奇跡、ですか」

「はい。この村には、神に選ばれた御方がいらっしゃるのです」

__来ましたね。

内心でそう呟きながら、私は興味を装って続きを促しました。

「選ばれた、とは?」

「その御方は、天使の羽をお持ちなのです」

「……天使、ですか」

わざと驚いたように目を見開くと、彼らは満足げに頷きました。

「ええ、ええ。本物ですとも」

「我々はこの目で見たのです」

「本当に?」

「もちろんです。もっとも……」

一人が言葉を濁し、視線を逸らしました。

「普段は隠しておられるのですがね」

「お優しい方ですから、無用な混乱を避けるために」

「なるほど」

「ですが、選ばれし者には、その御姿をお見せになる」

「選ばれし者…」

私は小さく繰り返しました。

「はい。心から神を信じ、疑わぬ者だけが、その羽に触れることを許されるのです」

「触れる、と?」

「ええ。その羽は、とても暖かく……まるで全てを包み込むような」

別の者がうっとりとした表情で語ります。

「触れた者は皆、涙を流すのです」

「やはり神はいた、と」

「……なるほど」

くだらないと思いながら、私はわずかに視線を落としました。

「その方は、今どこに?」

その問いに、彼らは一瞬だけ顔を見合わせました。

「それは……」

「簡単にお会いできる方ではありません」

「そうですか」

あえて残念そうに息をつくと、彼らは少しだけ声を潜めました。

「ですが……あなたのような方なら、あるいは」

「導かれるかもしれません」

「導かれる?」

「ええ。神は、見るべき者を見ておられる」

…随分と都合のいい言葉ですね。

心の中でそう切り捨てながらも、私は静かに頷きました。

「機会があれば、ぜひお目にかかりたいものです」

その言葉に、彼らはどこか誇らしげに微笑みました。

「きっと、叶いますとも」

「あなたほどの信仰心があれば」

信仰心、ですか。

その言葉を噛みしめるように、私は小さく目を細めました。



数週間後、私は村の近くの森を歩いていました。

なぜ、私が森を歩いていたのか。

それは森の中にとある場所を見つけていたからです。

そのとある場所というのは、滝のある泉でした。

泉を見つけてから私は、毎日のようにそこへ通っていたのです。

そこには特に誰かがいると言うわけではなく、むしろ水の落ちる音しか聞こえない場所でした。

だからこそ、いるかもしれないと思ったのです。

__天使の羽を持つ人が。

私は神の存在は信じていませんが、天使の存在はいるかもしれないと少し思っていました。

もしこの世に存在するのが悪魔だけならば、あまりにも平和すぎると思ったからです。

なので、もし仮にその天使の羽を持つ人がいた場合に、様々なことを聞いてみようかと思っていました。

無駄足であっても構いません。

もし存在するなら、必ずどこかに現れるはずですし。

激しい水の音がだんだんと近づいて来ます。

私は静かに泉の方を見つめ、その中に人影を探しました。

「誰かいますね」

いつもと違い、泉の中にポツンと、一人の人影が見えました。

その人は、私が最初にこの村に来た時に、村を案内してくれた方でしたね。

向こうに気づかれないように、しばらく息を潜めて観察していると…。

その方が泉に足を踏み入れ、滝の下で頭のフードを取り外したのです。

そしてローブを脱ぎ、中からは大きな白いものが現れました。

__天使の羽でした。

真っ白な羽が、広々と広がっていたのです。

翼を広げた拍子に落ちた羽がヒラヒラを舞い、そのまま水の中に落ちていました。

光を淡く反射するその姿は、まるで神聖そのもので。

とても、綺麗でした。

そして私はあくまでも偶然を装い、その人に近づきました。

「…あの、」

「!……こんにちは。」

「その羽…」

「…これですか…」

その人は少し目を伏せた後、落ち着きを払ったままこう話し始めたのです。

「この羽は、私が生まれた時から付いているものです」

「立派な羽ですね」

「ありがとうございます」

その人は体を包むように右翼を正面に回し、そして左手で軽く触りながら言いました。

「なぜ私にだけ羽がついているのかは、分かりません」

「心当たりがないということですか?」

「そうですね。私は時々、羽を手入れするためにこの泉に来ます。」

「…なるほど」

「あなたはどうしてこちらに?ここに来る人はあまりいないのですが…」

「少し散歩をしに来ました。水の落ちる音が聞こえたので、滝でもあるのかと思いまして。」

「滝を見に来たのですね?」

「はい」

私が答えると、その人は考え込むかのように、自身の羽を見つめました。

すると羽を伸ばし、私に聞いてきたのです。

「…少し、羽を触ってみますか?」

「よろしいのですか?」

「ええ。せっかくですので。」

「ではお言葉に甘えて」

私はそう言って、一歩だけ距離を詰めました。

差し出された羽は、すぐ目の前にあります。

白く、柔らかそうで、触れれば壊れてしまいそうなほど繊細なそれ。

これが、“奇跡”ですか。

内心で冷めたことを考えながらも、私はゆっくりと手を伸ばしました。

指先が、羽に触れた__その瞬間。

「……っ、」

反射的に、手を引っ込めました。

遅れて、鋭い痛みが走ります。

まるで、熱した鉄にでも触れたかのような感覚。

「大丈夫ですか?」

すぐにその人が駆け寄ってきました。

私は一瞬だけ顔を歪めましたが、すぐにそれを押し殺しました。

「ええ……少し、驚いただけです」

そう答えながら手を見れば、指先から手のひらにかけて、赤く腫れていました。

どう見ても、“軽い火傷”でした。

「……申し訳ありません」

その人は、どこか痛ましそうに眉を寄せました。

「こちらへ」

促されるまま、私は泉のそばの岩に腰を下ろしました。

その人は慣れた手つきで水をすくい、私の手をそっと冷やします。

ひんやりとした感覚が、じわじわと熱を和らげていきました。

「……こういうことは、初めてです」

ぽつりと、その人が呟きます。

「今までにも何人か、触れたことはありますが……皆、“暖かい”と言っていました」

「暖かい、ですか」

私は静かに繰り返しました。

先ほどの痛みとは、あまりにもかけ離れた感想です。

「ええ。まるで包まれるようだと。安心すると」

その人は、自身の羽を一瞥してから、少しだけ考えるように視線を落としました。

「……もしかすると、ですが」

「はい?」

「『天使の羽は、神を信じる清き人を暖かく包む』――そういう話を、聞いたことがあります」

どこか、確信のない声音でした。

「昔話のようなものですが……この村では、わりと広く知られている考え方でして」

その人は、自身の羽に軽く触れながら、言葉を選ぶように続けました。

「神に愛されている者ほど、その温もりを強く感じる、と」

「……なるほど」

「ですから、本来は心地よいものとして感じられるはずなのですが……」

そこで一度言葉を区切り、私の手へと視線を落としました。

赤くなった皮膚。わずかに震える指先。

「あなたの場合、それが……少し、極端に現れてしまったのかもしれません」

「極端、ですか」

「ええ。信仰が深ければ深いほど、その“加護”も強くなる。そういう解釈も、なくはありませんから。」

穏やかな口調のままですが、どこか迷いを含んだ言い方でした。

「暖かさが、行き過ぎれば……熱になることも、あるのかもしれません」

「……」

「もちろん、確かなことではありません。ただ……」

少しだけ困ったように微笑みます。

「あなたほどの方で、このような反応が出た理由を考えると、それくらいしか思いつかなくて」

なるほど。

随分と、都合のいい解釈ですね。

「……そう、いうこともあるのですね」

私は、あくまで納得したように頷きました。

内心の違和感は、一切表に出さずに。

するとその人は、少しだけ視線を伏せてから、ぽつりと続けました。

「……あくまで、天使の羽の話ですが」

「はい?」

「逆に、“悪魔の羽”というものの噂も、耳にしたことがあります」

「……悪魔、ですか」

私はわずかに首を傾げました。

その人は、小さく頷きます。

「ええ。こちらは、ほとんど根拠のない話です。」

「というと?」

「『触れた者に安らぎではなく、後の絶望を与える』あるいは、『人の本質を暴く』。そんな風に言われることもあります。」

「本質を、ですか」

「はい。信仰や、心の在り方……そういったものが、何らかの形で表に出てしまう、と」

曖昧な言い回しでしたが、どこか、先ほどの火傷に引っかかるような話でした。

「もっとも、ただの噂話です」

その人は、すぐに苦笑して首を振りました。

「実際に見たという人は、ほとんどいませんし……私も、存在するとは思っていません」

「そうなんですね」

「ええ。ですが……」

一瞬だけ、言葉を選ぶように間を置いてから、その人は口を開き、

「もし仮に、そのようなものがあるのだとすれば」

静かに、そう続けました。

「あなたのように、何かしら通常と異なる反応を示した方なら……」

そこまで言って、その人は少しだけ目を細めました。

「何か、分かることがあるのかもしれませんね」

面白いことを言いますね…

「……機会があれば、会ってみたいものです」

私は、穏やかに微笑みました。

「ただ、悪魔、ですか……」

少しだけ言葉を濁します。

「ええ。あまり良い話ではありませんから。」

その人も、同じように控えめに頷きました。

「無理に関わる必要は、ないと思います」

「……そうですね」

表面上は、あくまで慎重な信者として。

しかし。

内心では、別の意味で興味が湧いていました。

__“本質を暴く”、ね。

「申し訳ありません。無理に触れさせるべきではありませんでした」

「いえ、とんでもない」

私は軽く首を振りました。

「むしろ、貴重な体験でした」

“火傷する奇跡”が、ですか?という皮肉が、一つ浮かびました。

「少し休めば、痛みも引くと思います」

その人は、そう言って私の手からそっと離れました。

泉の水音が、再び静かに響きます。

私はその音を聞きながら、自分の手を見下ろしました。

じんわりと残る、熱の名残。

「……」

暖かく包む、か。

視線を上げると、その人は変わらず穏やかな表情でこちらを見ていました。

まるで、本当に何の疑いも持っていないかのように。

「ありがとうございます。おかげで楽になりました」

私は微笑みました。

いつも通りの、非の打ちどころのない笑顔で。

「また、機会があれば……」

「ええ、もちろん」

その人も、柔らかく頷きました。

そのやり取りの中で、私は一つだけ、静かに考えていました。

もしこれが、“信仰の深さ”によるものだとするなら。

「……少し、考え直す必要がありそうですね」

小さく呟いたその言葉は、水音に紛れて消えていきました。

それが、何に対しての“考え直し”なのか。

その人は、きっと気づいていないでしょう。

そして私は、相変わらず“善良な信者”のまま、立ち上がりました。


私は村へと戻る道すがら、何度も自分の手を見下ろしていました。

赤く腫れた皮膚は、時間が経っても完全には引かず、じんわりと熱を残しています。

あの羽は、暖かいもののはずだった。

それを信じる者にとっては。

「……面白いですね」

ぽつりと呟き、私は小さく笑みを浮かべました。

信仰の深さによって変わる、ですか。

もしそれが事実だとすれば。

私のこの反応は、どう説明されるのでしょうね。

信じていないから、拒まれた?

それとも__

「……逆、ですかね」

足を止めることなく、静かに思考を巡らせます。

もし“暖かさ”が肯定であるなら。

この“痛み”は、否定なのか。

それとも。

「本質、か」

あの言葉が、頭の中で引っかかります。

『人の本質を暴く』

随分と曖昧で、便利な言葉です。

ですが、嫌いではありません。

むしろ、

「分かりやすくて、いい」

私は軽く肩をすくめ、そのまま歩き続けました。

やがて村の入口が見えてきます。

変わらぬ光景。

穏やかな空気。

何も知らない人々。

……ええ。

ここはまだ、壊す必要がない。

「もう少し、観察させてもらいましょうか」

誰に言うでもなく、そう呟きました。

天使の羽を持つ、ただの人。

そして。

それとは対になるかもしれない存在。

「悪魔の羽、ね」

小さく笑いが漏れます。

存在するかも分からないものを追うなど、らしくないと言われるかもしれませんが。

「もし本当にあるのなら」

視線を空へと向けました。

夕焼けに染まる空は、やけに穏やかで。

まるで、何もかもを肯定しているかのようです。

「見てみたいじゃないですか」

それが、どれほど“歪んでいる”のかを。

そして。

それが、どれほど“正しい”のかを。

私は小さく息を吐き、視線を前に戻しました。

村の中へと足を踏み入れます。

再び、善良な信者として。

何も知らないふりをして。

何も疑っていないふりをして。

「……さて」

静かに、しかし確かに。

次の目的は、決まりました。

「どこにいるんでしょうね」

__悪魔の羽を持つ人は。








羽は血液を含まない。故に本来は冷涼である。

欲を捨てた者ほど、その本来の冷たさを知ることができるのだ。


善と呼ばれる行いにも、常に欲が混じっている。

そしてその欲が、冷たさを温もりへと変える。


その歪みが、いずれ何に変わるのかも知らずに。

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