第7話「打ち消される仕切り」


 俊敬は、茶色い瓶から禍々しい霊気を、即座に感じ取った。

 開封してはいけないものだと、ひと目外形を見ただけでも明らかに思われた。蓋を塞いでいる霊符は、表記された図柄や書体からして、陰陽道でも用いられるそれだろう。


「見付けたって、どういうことですか天澤さん」


 俊敬は戦慄を覚えつつも、問い質さずにいられなかった。

 麗奈が瓶を発見した際の言葉には、奇妙な違和感がある。


「古地図の×印は、その瓶の在り処を示すものだったってことですか。残念ですが、そいつは俺が見たところ、相当危険な代物です。断じてもいいが、中身は絶対に金銀財宝じゃない。なのにどうして、それが×印に秘められた謎の答えだと考えたんです?」


「ごめんなさいね俊敬くん。それとお礼を言い忘れていたけど、さっきは怪異を調伏してくれてありがとう。この瓶を入手できたのも君のおかげ」


 茶色い瓶を小脇に抱えたまま、麗奈は後退りして間合いを取る。


「それだけに君の幼馴染まで巻き込んで、今この場に立ち会わせていることについては、本当に申し訳ないと思っている」


「……要するにあんたは最初から、ここに隠されているものが封印された瓶だって、知った上で俺を利用していたんだな」


 俊敬は憮然とし、吐き捨てるように言った。

 問いへ否定の答えを返さないこと自体が、いまや麗奈の不実を裏付ける証拠だ。

 もっとも璃々花は、まだ事態を把握できていないらしく、「……え、ええっ? どういうことなんですかシュンケーくん?」などと言って、左右の瞳を白黒させている。



「私が古地図を見付けた実家はね、中国地方の岡山おかやま県にあるの」


 麗奈は、努めて平静を装おうとしている様子だった。しかし目当ての瓶を得た興奮は、かすかに震える声音のせいで、隠し切れていない。


「そこでは代々、土瓶の中に七五匹の蛇を入れ、木の下や山中に埋めて飼育するという、怪しい習俗が受け継がれていた。そうすれば、いずれ一族に『蛇神持ち』の人間が現れ、特殊なちからを授かれるから、と」


「なるほど、トウビョウか。あんたの実家はだったんだな」


【トウビョウ】は、中国四国地方に伝わる有名な蛇の「き物」だ。特定の家系では、守護神としてまつられ、蛇巫へびふと呼ばれる祀り手に呪術的な異能を与えるという。

 今の話に従うと、麗奈は蛇巫の資質を持つ後裔こうえいらしかった。見付けた瓶の内部には、おそらくトウビョウが封じられているのだろう。それを解放し、己の身に宿せば、部分的であれ蛇神固有の能力を行使できるに違いない。例えば、任意の対象を呪詛したり――

 あるいは「現世うつしよの仕切りを打ち消し、幽世から死者を呼び出す」といった芸当が。


「かつて天澤の家で祀られていた土瓶は、明治後期に憑き物落としを生業なりわいとする拝み屋の手で、山中から掘り起こされ、いずこかへ持ち去られたと言われているわ」


 麗奈は、瓶を脇で抱えたまま、同じ側の手に懐中電灯を携える。それから空いた方の手で、蓋に貼られた霊符を破いてしまった。

 俊敬は喉の奥から、やめろ、とかすれ声をしぼり出す。

 しかし麗奈の耳には、それも届いていないらしい。


「私の家に遺されていた古地図が、その瓶の隠し場所を記したものだというのは、君が見立てた通り察しが付いていた。トウビョウを祀る憑き物筋にとって、きっと『大ナル耀ヒ』というのは家の守護神を指しているはずだと、そう思ったから。古語の耀う、つまり揺れながら光るものは、蛇の眼のこと。それが『此処ニ眠ル』というなら、必ず×印の地点にトウビョウは――蛇神のちからは封印されているって」



 そこへ璃々花が横から口を挟み、案外根本的な疑問を投げ掛けた。


「あっ、あのー。それで麗奈さんはいったい、蛇の神様のちからを手に入れて、どうするつもりなんですか……?」


「私ね、仲の良い弟がいたのよ。三ヶ月前に交通事故で亡くなっちゃったんだけどね」


 麗奈は、瓶をそっと足元に置くと、思い掛けない話を持ち出してきた。


「当時の弟はまだ大学生で、俊敬くんと佇まいに雰囲気の似たところがあった。君ほど美形じゃなかったけど。だから町中華の店で初めて会った際は、随分若い拝み屋さんだと思ったし、二重に驚いたわ。それであのときは入店するなり、つい真っ先に君へ声を掛けたし、噂の拝み屋さんだとわかったあとも、まじまじと顔を見詰めてしまった」


「まさか蛇の異能で、幽世から弟さんを呼び出そうとしているのか!」


 やっと麗奈の目論見を推知し、俊敬は愕然とした。

 彼女の弟も天澤家の血筋なら、トウビョウの憑き物筋ということになる。幽世に蛇のちからで働き掛ければ、現世に霊魂を引き寄せ、顕現させることも可能かもしれない。

 ただし、そうして実体化した亡者は、おそらく意思の疎通を欠いた存在でしかないはずだ――

 それどころか血筋のせいで、危険な怪異と化してしまうかもしれない。

 死者にり憑く蛇神は、神威を失い、悪しき霊格だけが残るからだ。


「馬鹿な真似は止せ。仮に召喚できても、そいつはもうあんたが知っている弟さんじゃない」


「そうかもね。だけど私はそれでも、弟にもう一度会いたい。君にはわからないでしょうけど、誰からも忌み嫌われる憑き物筋にとって、血を分けた家族同士の結び付きは特別なの。身内だけが互いの純粋な味方なのだから……」


 俊敬の説得も結局、麗奈の意志をくつがえすには至らなかった。

 麗奈は、瓶の前で僅かに屈むと、ついに手で蓋を取り去ってしまう。

 直後に陶器の内側からは、薄紫色の奇妙な気体が立ち昇った。不定形のそれは、しかしひと筋の帯状に纏まって、地下の暗闇を浮遊する。次いですぐ、瓶の封を解いた憑き物筋の存在に反応したのか、そちらへ吸い寄せられるように宙をただよった。

 薄紫の煙は、たちまち麗奈の身体に巻き付き、そのまま頭部から足元までを包み込む。



まずいな。今はひとまず、ここから逃げるべきかもしれん」


 麗奈の有様に不穏なものを察知し、俊敬は退避の必要を感じた。

 地下には霊気が充満し、現世と幽世のが歪みつつある。


「地下から出るぞ璃々花! 急いで梯子のところへ戻るんだ」


「ああん、待ってくださいシュンケーくん! そんなに突然強く手を引かないでくださいっでも好きな男の子から激しく求められるの正直めっちゃ幸せですぅ~でへへ」


 璃々花は手首を掴まれても抗わなかったが、緊張感は欠如していた。

 麗奈を残して二人で駆け出し、地上の家屋へつながる梯子を目指す。

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