第6話「縒れた藁の秘密」

「天澤さんは、家の外で待っていてください。それと璃々花も」


 同行の女性二人に待機を指示し、俊敬は慎重に古民家へ近付いた。

 出入り口をすり抜け、土間から屋内を見回す。建物の中は、想像以上に薄暗かった。座敷は南の壁面が縁側になっているものの、破れた障子しょうじの穴から差し込む光も少ない。


 俊敬は、ボディーバッグの中から巾着を取り出し、左手に持つ。

 直後に座敷の奥で、何もない空間が揺らぐのを見て取った。


 息を殺して観察していると、揺らぎの中から淡い影の塊が湧き出してくる。それは徐々に人型の像を結び、一歩、二歩と、畳の上へ歩み出した。

 亡者だ。一昨日の夜、住宅街の路地裏に出没したそれと、やはり同種と推定された。まだ日没まで時間があるにもかかわらず、現世で完全に顕現している。昼夜を問わず幽霊が出る、という話は事実のようだ。


「オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラ――」


 俊敬は右手で印を切りつつ、呪術の行使を試みた。

 大日如来が灌頂かんじょうを与える際、清浄しょうじょう蓮華れんげ明王みょうおうに授けたとされるもので、光明真言と呼ばれる詠唱だった。亡者滅罪の霊験もあらたかなまじないだ。


「マニハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン、オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラ・マニハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン、オン・アボキャ・ベイロシャノウ……!」


 重ねて真言を詠じ、清浄な土砂が詰まった巾着に手を入れる。大きく一歩踏み出して、亡者の影と真っ直ぐ向き合った。ひと呼吸挟んでから、掴んだ土砂を座敷の側へ振り撒く。


 ほどなく黒い影は人型の輪郭が歪み、次第に存在自体が霧散して消えた。



 と、怪異調伏したのを屋外でも察したのか、麗奈と璃々花が古民家の中へ入ってきた。


「呪文を詠唱していたみたいね。もしかして、怪異が出たの?」


「ひとまず亡者が現れたので、除霊しておきました。しかし油断しないでください。この家の中は、かなり場が不安定になっている。また別の悪霊が現れるかもしれない」


「ふうん、やっぱりね。でも本当に出没するってことは、ここが古地図に記された×印の地点で間違いなさそうだわ」


 俊敬はたしなめるように言ったつもりだったが、麗奈に悪びれる様子はない。

「やっぱり君を連れてきて正解だった」などと言いつつ、土足のままで座敷へ上がる。そうして住民不在を好都合と踏んだか、あちこち家屋の中を物色しはじめた。

 麗奈の大胆な挙措を見て、俊敬は半ば驚き、半ばは呆れて目を剥いた。もっとも、こうなっては毒を食らわば皿までと割り切り、土間を中心に家捜しを手伝うことにする。璃々花は傍らで、それを興味深そうに眺めていた。



「ねぇちょっと、ここから地下へ降りられるみたい」


 しばらくして座敷の一隅から、麗奈が弾んだ声音で呼び掛けてきた。

 振り返って見ると、捲った畳を一枚持ち上げ、その下へ注意をうながしている。俊敬と璃々花も、土足で座敷に上がって傍まで近付く。

 そこには、部分的に床板が外され、四角く掘られた縦穴があった。丁度大人一人が降りられる程度の幅があり、垂直に梯子はしごが設置されている。


 麗奈は荷物の中から、懐中電灯を取り出した。

 手元の電源を入れ、縦穴を照らす。


「いいわね。降りてみましょう」


 ここでも麗奈が我先にと、梯子を使って地下へ降りようとする。

 璃々花はそれを見てひるみ、気後れした様子だった。


「え、本気ですか? 私、お洋服が汚れそうで嫌なんですけどぉ~……」


「地下の様子を調査し終えるまで、璃々花はここで待っていてもいいぞ」


 俊敬は充電式ランタンを取り出しつつ、璃々花に気遣いの言葉を掛ける。

 だが璃々花は、それを聞くなり態度を改め、不平そうに口の端を曲げた。


「あっシュンケーくんそんなこと言って暗くて狭い穴の下で麗奈さんと二人っきりになるつもりですねっ私というものがありながら! お洋服が汚れるのは嫌ですけどシュンケーくんが他の女に汚されちゃうのはもっと嫌なので当然付いていきます~っ」



 かくして、三人全員が縦穴の底へ降り立った。

 古民家の地下は、意外に広い空間で、ちょっとしたライブハウスのステージと客席を合わせたぐらいの床面積がありそうだった。照明器具で闇を照らし、周囲をぐるりと見回すと、いくつも木組みの棚が置かれていた。そこに木箱や袋が積まれている様子からして、かつては倉庫に使用されていた場所らしい。


「あまり良くない気配がするな、この地下室は」


 俊敬は充電式ランタンを掲げ、地下の様子に注意を払う。


「天澤さん、どうにもよどんだ霊気を感じます。ここには長居しない方が良さそうだ」


 真剣な口調で警告したつもりだったが、しかし麗奈は特段返事せず、軽く聞き流すような反応だった。かまわず地下の各所を探り、検分している。


「この家屋に立ち入ろうとした際、出入り口付近にれた藁が落ちていたんです。一昨日の夜、亡者を調伏した路地裏にも同じような屑があった」


 事態の深刻さを伝えようと、俊敬は己の見解を述べてみせた。


「俺はあれが、実は元々荒縄だったものなんじゃないかと考えています。この古民家に誤って人が入らないよう、おそらく以前は出入り口に張り巡らさせていたロープです。路地裏で見付けた藁屑も、あの袋小路に注連縄しめなわ状に飾られていたものだったんだ。過去にどこかの神職や拝み屋だとか、きっと心ある誰かがそうしたんです」


「へぇ……で、それがどうかしたの?」


「荒縄は古来、しばしば形状の類似から蛇のちからの象徴とされてきた。それは事象の境界線を定め、ふたつの世界を仕分けるちからです。具体的には、ここの古民家や一昨日出向いた路地裏の場合、荒縄が現世と幽世の境界を仕切ってきた」


 その荒縄が細切れになり、藁屑と化して撒き散らされていた。

 とすれば自然、場の境界が薄れ、そこでは現世と幽世が曖昧に交わってしまう。

 この古民家や一昨日の路地裏で、幽世から亡者が出現したのもそのせいだ――

 というのが、いまや俊敬の揺るがぬ確信だった。神道信仰に由来する分野は専門外だが、蛇にまつわる見立てについては、他の解釈が思い当たらない。



 ……と、俊敬が自説を語り終えた直後。


「あった、見付けた! きっとこれよ!」


 地下の一番奥まった場所で、麗奈が不意に声を上げた。

 腕の中には、古びた茶色のかめが抱かれている。陶製の表面には複雑な唐草模様が彫り込まれ、取り出し口をふさふたは霊符が貼られて封印されていた。

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