第2話「駅前の町中華」

 住宅街の路地裏で、彷徨う亡者を調伏した翌日。

 俊敬は大学で午後の講義を聴講したあと、図書館でしばらく課題に取り組んだ。日没の時間が近付くと、キャンパスを出てバスに乗る。

 駅前で降車してからは、目抜き通りを繁華街方面へ歩き、馴染みの町中華を目指した。月読峠で暮らしはじめて以来、頻繁に飲食で利用している店だ。



 赤い暖簾のれんを潜って入店すると、奥のテーブルに璃々花が着席していた。今日は長くて黒い髪をツインテールに束ね、高校指定の白いセーラー制服を着ている。テーブルの上には、ウーロン茶のグラスと杏仁豆腐の器、スマートフォンが並べて置かれていた。

 日頃から俊敬がこの店に通っているのを知っていて、放課後に立ち寄っていたのだろう。


「もぉー遅いですよシュンケーくん、こんなに可愛い幼馴染の女の子を一人ぼっちで待たせたりしてホントに悪い人ですねでも私みたいに品行方正な女子はちょっぴり悪そうな男子が魅力的に見えたりしますしとはいえシュンケーくんが実際には真面目なことはちゃんと知っていますから安心してください大好き」


「いや悪いも悪くないも、別に今日ここでおまえと待ち合わせとかしていないだろ……」


 璃々花はいきなり、俊敬に早口でいわれのない不平をぶつけてきたかと思うと、殊更勝手に好意を伝えた挙句自己完結してしまう。


 さすがに放置しておくわけにもいかないので、同じテーブルに着席し、注文を取りに来た店員には醤油ラーメンと半チャーハンのセットを頼む。

 カウンター越しに年配の女将が「相変わらず二人共、仲が良いねぇ」と、にこやかに節穴発言を飛ばしてきた。璃々花はそれに対し、きゃっやっぱりわかりますかわかっちゃいますか私たちってラブラブですからもぉー式の日取りが決まったら女将さんにもご連絡しますねっなどと返事し、椅子に腰掛けたまま上体をくねらせている。


 俊敬は、あずかり知らぬところで外堀が埋められているのを察知し、恐怖に震えた。



「それにしても、おまえはいつも俺を待ち伏せしたり、追い掛け回したりばかりしていて、自分の身の回りのことは大丈夫なのか」


 努めて平静を保ちつつ、俊敬は水差しからグラスへお冷を注いで言った。


「高校の女子寮に入っているとはいえ、親元を離れて一人暮らしだと面倒事も多いだろ。勉強や友達付き合いもあるわけだし」


「えっやだシュンケーくん、心配してくれるんですか私のこと?」


「心配しているというわけでもないが。俺が町中華へ来るまでの時間を暇潰しして過ごしているほど、余裕のある生活を送っているのか疑問に感じているだけだ」


「もぉーまたまた照れなくてもいいのにわかっていますから優しいシュンケーくんが私を放っておけないことぐらい! でもでも心配無用ですよ食事は寮の食堂以外でも美味しいお店が学校の近くに沢山ありますしお洋服は定期的にクリーニングに出してちゃんと汚れものを溜めないようにしていますから面倒なのはお掃除ぐらいですかね~勉強は私これでも優等生ですしお友達は皆

シュンケーくんとのお付き合いに理解があります、だからシュンケーくんを待ち伏せしたり追い掛け回したりするぐらいわけありませんよっ」


 ――大抵の家事は、経済力で解決しているということか。


 俊敬は、幼馴染の話をそう解釈した。


 姫谷家は元々、和歌山わかやま県にルーツを持つ名家だ。清炭市の隣県へ移住して以後も、一族は見事な商才で財を成している。

 璃々花の父親は複数社の経営に辣腕を振るう一方、娘との関係が冷えている。我が子が望めば他県の高校へ通わせるし、一般企業で新卒社員が受け取る初任給より多い仕送りもしているようだが、良くも悪くも彼女の身辺に不干渉らしかった。幼少期のいじめ問題も、深刻に考えていたか怪しい。


 ほどなく、醤油ラーメンと半チャーハンが運ばれてきた。

 俊敬は、割りばしで麺を口の中へ運びつつ、改めて璃々花との間柄に思いを巡らす。現状のまま璃々花に付きまとわれ続けるのは、無論望ましくない。

 もっとも幼馴染の来し方を踏まえれば、さりとて冷たく突き放すのも躊躇された。それは生来お人好しな性分のせいでもあるだろうが、何より父親から「難事に惑う者と出会ったなら、相手を労わり助ける心を忘れぬように」と、常々言い付けられて育った影響が大きい。



 ……かくして、俊敬が少し早めの夕食にあり付いているあいだ、璃々花は彼に他愛ない会話を持ち掛けるなどし、しばらく二人で平穏なひとときを過ごす。

 ただしそれも長くは続かず、俊敬がラーメンを食べ終えないうちから、不意に予期せぬ出来事が生じ、日常を揺るがしはじめた。


 きっかけは町中華の店へ、このとき見知らぬ女性客が入ってきたことだ。

 俊敬はラーメンをすすかたわら、何の気なしにそちらを見て、虚を衝かれた。

 なぜなら女性客と突然、互いの視線が重なったからだ。思わず箸を動かす手を止めていると、相手はテーブルの横に近付いてきた。


「お食事中にごめんなさいね。ここの常連で、河端かわばた俊敬さんという人を探しているのだけれど、ご存知じゃありません?」


「……そういう貴女は、どこのどなたですか」


 俊敬は、胡乱うろんな雰囲気を感じて問い返す。

 テーブルの横に立つ女性は一見したところ、二七、八歳ぐらいで、わりと長身だった。明るい茶色のミディアムロングヘアで、レザー素材の上着を羽織り、動きやすそうなパンツルックだ。肩掛け鞄を所持している。


 警戒心から身構えていると、そこへ璃々花が猛然と横槍を挟んできた。


「待ってくださいシュンケーくん、どこのどなたかきたいのは私の方です誰なんですかこの女は愛人ですかセフレですか泥棒猫ですかっ!? 返答次第でことによっては許されませんよ私という将来を誓った者がありながら浮気だなんて最低最悪有史以来人類で最も重い罪ですから事実そうならシュンケーくんを刺して私も死にます」


「おいこら璃々花、いったん落ち着け! 俺も今初めて会ったから、相手の名前を訊いているんだろうが。初対面の相手となんで浮気の疑惑が出るんだよ」


 咄嗟に璃々花をなだめつつ、誤解だらけの思い込みに反論した。

 一方の女性客は、璃々花の発言を聞いた途端、軽く目を見開く。


「シュンケーくん? ということは、君が河端俊敬なのね。驚いた、腕の良い拝み屋さんだって聞いていたから、てっきりもっと胡散臭いお爺さんかと思っていたのに。ひょっとして学生さんかしら、まだ私より少し年下ぐらいじゃない……」


 独り言ちるようにつぶやき、俊敬の顔を今一度まじと見詰める。

 次いで二度三度とうなずいてから、姿勢を正して自ら名乗った。



「自己紹介が遅れたわね。私の名前は、天澤あまさわ麗奈れいな。どうしてもお願いしたいことがあって、君のことを探していたの」

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