月の宴に蛇は集う

坂神京平

第1話「拝み屋男子と地雷女子」

 頭上からほのかに差し込む月明りは、黒い靄のような人型の影を浮かび上がらせている。

 俊敬しゅんけいは、手元の巾着きんちゃくの中から、一握いちあくの清浄な土砂を取り出した。それを前方へ振りくと、早口に真言をえいじる。


「――オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラ・マニハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン、オン・アボキャ・ベイロシャノウ……」


 詠唱が繰り返されるにつれ、黒い影は少しずつ存在が希薄になり、やがて霧散して消えた。

 俊敬は、無事に往生したようだな、とひとつ。巾着の口をきつく締め、ボディーバッグの中に仕舞った。シャツやジーンズに付着したほこりを手で払うと、狭い路地裏に佇立ちょりつしたまま、平静を取り戻すために深く呼気を吐く。



 と、そのとき。

 俊敬は、自分の身体に柔らかなものが接触するのを感じた。

 かたわらを見ると、小柄な女の子が側面から抱き付いている。


「お疲れ様です、シュンケーくん!」


 声を弾ませ、にこやかに俊敬をねぎらう少女は、名前を姫谷ひめや璃々花りりかという。一六歳の女子高生で、四歳年下の幼馴染だ。長い黒髪をツーサイドアップと呼ばれる形状に整え、ピンクと黒を基調としたレースブラウスやフリルスカートで身を包んでいた。俗に地雷系と称されるファッションである。

 璃々花は細身の肢体を遠慮なく押し付けながら、俊敬に返事する間も与えず、甘い声音でまくし立ててくる。


「はぁーやっぱり呪術で怪異調伏ちょうぶくするシュンケーくん最強カッコよかったですよそれでこそ私が一生添い遂げると決めた男の子です淡い月明りに包まれながらめっちゃシリアスな表情で真言を唱えるシュンケーくんの横顔大変綺麗だし月も綺麗だし呪術行使のたたずまいも良いし顔が良いし月は綺麗だし顔が良いし特にシュンケーくんは顔が良くて最高ですっ! あっちなみにこの月が綺麗っていうのは当然アイラブユー的な意味でそりゃもう私がシュンケーくんを見るとき夜空に輝く月と来たらキレイキレイハンドソープもびっくりダイヤモンドぐらいピッカピカに綺麗ですのでつまりそれだけ好き好き大好きってことわかりま――」


「静かにしろ璃々花、ここは深夜の住宅街だぞ。騒ぐと周辺住民の皆さんに迷惑が掛かる」


 俊敬は言葉を遮り、幼馴染の身体を自分から引き剥がそうとした。

 しかし璃々花は、手足をくねらせ、無駄な頑強さでそれにあらがう。それでいて上目遣いに俊敬を見上げ、うっとりした面持ちで湿った呼気を吐いた。


「ああんシュンケーくんのいけずぅーそんなに恥ずかしがらなくたって夜中の路地裏で男と女が二人っきりでいるのを誰もわざわざ邪魔しないから大丈夫です! でへへ」


「いいから離れろ暑苦しい!」


 いよいよ面倒臭くなって、強引に振り払う。

 璃々花は若干よろめき、やっと俊敬から身体を離した。だが悪びれることなく、「いやんでもシュンケーくんになら私乱暴にされるの嫌いじゃないしむしろ興奮しちゃいますぅ~」などと、変質的な嗜好を述べる。

 俊敬は、軽い頭痛を覚えて額を押さえた。本当に今ここに場所に二人きりで良かった。決していかがわしい意味でなく、第三者の誤解を招かずに済む点で。


 現況に至る端緒は、両者の間柄に起因している。俊敬が彼女にこれほどなつかれていなければ、余計な苦労はずっと少なくて済むはずなのだが。



 璃々花は幼少期から、元々少し変わった女の子だった。


 小学生の頃も同級生に友達がおらず、随分といじめの標的にされていたらしい。

 しかもあるとき、怒りを堪え切れなくなって、からかってきた子供に反撃し、そのうちの一人を負傷させそうになった。璃々花は結果的に殊更ことさら嫌われ者となって、同級生から距離を置かれる女の子になってしまった。


 俊敬は当時、中学生になったばかりだったが、そのような幼馴染を放っておけなかった。それで、優しく声を掛け、なにくれとなくかまってやった。

 今にして振り返ってみれば、このときの義侠心が間違いだったのかもしれない。

 爾来じらい、璃々花は俊敬に対し、半ば依存気味に執着している。それも彼が隣県から清炭きよすみ市の大学へ進学した二年後には、あとを追って同市の高校を受験したほどに。

 ただ幸いにして、俊敬以外で璃々花の過去を知る人は月読峠にいない。おかげで現在は身近な知己とそれなりに親しくし、孤立することもなくなったのだが――……



 俊敬は念のため、いましがた土砂を撒いた方向に歩を進め、路地裏の奥へ目を凝らした。

 あの黒い影は、亡者だった。光明こうみょう真言の法で除霊したものの、幽世かくりよ彷徨さまよう霊体がなぜ、地方都市の住宅街に出没したのか? 


 俊敬が清炭市で暮らしはじめて間もなかった頃、月読峠つくよみとうげして邪鬼悪霊が跋扈ばっこする土地でもなかった。それがここ最近というもの、璃々花は三、四日置きに身近で怪異の噂を聞き付け、彼を実地検分に駆り立てている。怪異調伏に臨む頻度も、明らかに増えた。


 ――ここは細い通路だが……少し先で、袋小路になっているのか。


 俊敬は再度、前方の薄暗闇へ踏み出すと、突き当りまで接近する。路地裏に街灯はないので、暗がりに慣れた目と直感、それに月明りが頼りだった。

 コンクリート塀の手前に来ると、その場へ屈んで足元を探る。


「あ、ちょっとケンショーくん? 可愛い幼馴染の女の子を寂しい夜の路地裏に一人で放置して突然なにやっているんですか今すべきなのは私を建物の壁際へ追い詰め覆い被さるように壁ドンして耳元で甘い言葉を囁くことですよわかってますかもぉー」


「……植物の繊維らしきものが、細切れになって落ちている」


 背後でわめく璃々花を無視し、俊敬は地面に散らばる土埃――彼が撒いた土砂も多少含まれる――の中から、茶色く細長い、枯れた茎のような屑を拾った。


わらだな、これは。以前に怪異調伏した現場でも、見掛けた覚えがある」


「えっ何ですかそれ、誰かここで藁人形に五寸釘刺して呪いの儀式でもしていたってことですかやだー怖いでもシュンケーくんに近付く泥棒猫なら私も呪っちゃうー!」


「さて、いくら人気ない場所とはいえ、さすがに住宅街でうしの刻参りしようなんてやつも、そうはいないんじゃないかと思うが……」


 俊敬は細切れの藁を指で摘まむと、目の高さに持ち上げ、しげしげと見詰めた。

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