第4話:観測者の陥落

「――ごめんね。今は、誰かと付き合うことは考えていないんだ」



白凪繭(しらなぎまゆ)は、学園のアイドルとして「正解」の笑顔を浮かべた。



目の前で顔を赤らめているのは、他校の有名モデル兼、サッカー部のエース。

誰もが羨むスペックを持つ彼が、放課後の夕闇の中、必死に愛を囁いている。



「そんな……。一回だけでいいんだ。俺とデートしてくれれば、後悔させないから」



「ありがとう。その気持ちだけで、お腹いっぱいだよ」



立ち去る彼の背中を見送りながら、繭の口角が、ミリ単位の精度で「無」へと戻る。



(……つまらない)



提示される好意、透けて見える独占欲、テンプレート通りの熱烈な告白。

すべてが想定内。誰も私の予想を裏切らない。



文武両道、清廉潔白な委員長を演じる毎日は、繭にとって「難易度:低」の作業ゲーに過ぎなかった。

この世界は、あまりにも単調で、救いようがないほどに退屈だ。



(私の人生には、一生、計算外の『バグ』なんて現れないのかしら)



溜息をつき、誰もいないはずの校舎裏を通りかかった、その時だった。



カチャッ、カチャカチャ、カチャ。



無機質な、しかし驚異的な速度の回転音が鼓膜を叩く。

非常階段の踊り場。

そこには、クラスの背景でしかなかったはずの少年――九重枢(ここのえくるる)がいた。



彼の手の中にある難攻不落の多面体パズルが、まるで生き物のように形を変えていく。



(……え?)



繭の目は、釘付けになった。

五秒。

昨日、カースト上位の佐竹が三日かけて一面も揃えられなかった迷宮が、枢の指先が一度躍るごとに、吸い込まれるように「正解」へと収束していく。



(右に三十二度。位相を反転。……完成だ)



枢がパズルを置いた瞬間、繭の心臓が、生まれて初めて「計算外」の跳ね方をした。



「九重……くん。今の、本当にあなたなの……?」



声をかけた繭は、無意識に「いつもの完璧な委員長」の顔を作っていた。

だが、枢は眼鏡の奥の冷徹な瞳を彼女に向け、淡々と告げた。



「委員長。無理に口角を上げて、呼吸を制御してまで話しかける必要はないよ。

 今の君の心拍数は一分間に九十八。さっきの告白を断った時の六十二と比べて、明らかに『非効率な興奮』状態だ」



「え……」



「……僕のパズルが、君の予定調和を乱したのなら謝るよ。じゃあ、僕は帰宅の手順に戻るから」



枢は繭の「仮面」を、労わることもなく、ただの『数値のズレ』として指摘し、通り過ぎていく。



繭は、その場に凍りついた。

今まで誰にも見破られなかった自分の虚無を。

王子様の愛よりも深い場所にある自分の「正解」を。

この男は、まるでゴミを拾い上げるような手軽さで、暴いてしまった。



恐怖を通り越した、純粋な陶酔。



(ああ……、この人だ)



繭は確信した。

この男の冷徹な「演算」こそが、自分の退屈な人生をバラバラに解体し、真実へと作り直してくれる唯一の劇薬なのだと。



「九重くん……。もっと、私をめちゃくちゃに解いて……」



声に出さなかった願いは、彼女の瞳の中で、どろりと暗い執着へと姿を変えた。

学園の偶像は、その日、冷徹な演算機の「狂信者」へと完全に作り替えられた。

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