第二話 闇からの帰還

カチッ、カチッ、カチッ。

無機質なマウスのクリック音だけが、薄暗い部屋に響いていた。

窓には分厚い遮光カーテンが引かれ、昼夜の別も分からない。部屋の空気は淀み、カップ麺の残り香と電子機器の排熱が混ざり合った独特の匂いが充満している。

六畳一間の安アパート。それが、かつて湊遥輝と呼ばれた男の、現在の城だった。

机の上には三台のモニターが並び、青白い光が俺の顔を照らし出している。

画面の中を流れていくのは、膨大な文字列と、無数の画像データ。

俺は充血した目をこすり、手元のエナジードリンクを煽った。カフェインと糖分が脳を無理やり覚醒させる。


「……見つけた」


掠れた声が漏れた。

モニターの一つに、ある画像が表示されている。

煌びやかな夜景をバックに、シャンパングラスを掲げる男女の集団。その中心で、ブランド物のスーツを着崩し、傲慢な笑みを浮かべている男。

西園寺蓮。

そして、その横で少しはにかんだように微笑んでいる、長い黒髪の少女。

一ノ瀬沙織。

画像の端には、『REN & SAORI 1st Anniversary♡』という飾り文字と、大量のハッシュタグが並んでいる。

#記念日 #最高の一日 #大好きな人 #幸せ #一生一緒

吐き気がするほど幸福そうなその写真の日付は、つい昨日のものだった。

俺がこのドブのような生活を始めてから、ちょうど一年。あいつらにとっては、愛を育んだ輝かしい一年だったというわけだ。


俺は無表情のまま、その画像を保存し、別のフォルダへと移動させた。フォルダ名は『TARGET_LIST』。中には既に、数え切れないほどの画像や動画、音声データ、チャットログが格納されている。

画面に映る俺の顔は、一年前とは別人のように痩せこけ、目の下には濃い隈が刻まれていた。かつての爽やかさは微塵もなく、あるのは獲物を狙う猛獣のような、ぎらついた眼光だけだ。


あの日、俺は全てを失った。

冤罪で退学処分となり、進学の道は閉ざされた。

「体操服泥棒」「覗き魔」「横領犯」。

レッテルは俺の背中に焼き付き、どこへ行っても冷ややかな視線が付きまとった。近所の目、親戚の噂話。両親は俺を信じようとしてくれたが、毎日のように鳴り止まない無言電話や、家の壁に書かれた『変態』の落書きに精神をすり減らし、やがて俺を見る目に疲労と諦めが滲むようになった。


「お前がやったんじゃないことは分かってる……でも、これ以上ここにいたら、家族全員が壊れてしまう」


父の苦渋に満ちた言葉を聞いた夜、俺は荷物をまとめて家を出た。

行く当てもなく街を彷徨い、日雇いのバイトを転々とし、ネットカフェで夜を明かす日々。

社会の底辺。ゴミ溜めのような場所。

そこで俺は、生きるために必要なことを学んだ。

綺麗事では腹は膨れないこと。

正義なんてものは、勝者が後から書き加える都合の良い物語でしかないこと。

そして、力なき者は、知恵と技術で力を奪い取るしかないこと。


幸運だったのは、ある裏稼業の情報屋と出会ったことだ。

俺の境遇を面白がったその男は、俺にハッキングの基礎や、情報の集め方、そして「人の壊し方」を教えてくれた。

俺は死に物狂いで知識を吸収した。

睡眠時間を削り、指が痙攣するまでキーボードを叩き続けた。

全ては、あの偽善者たちの楽園を焼き払うため。

俺から全てを奪い、のうのうと笑っているあいつらに、地獄を見せるためだけに。


「さて……今日の巡回といこうか」


俺は独り言を呟き、キーボードを操作して複数のSNS監視ツールを起動させた。

まずは、アウスタ。

西園寺蓮のアカウントは非公開設定になっているが、そんなものは俺にとって鍵のかかっていないドアと同じだ。裏口から侵入し、最新の投稿をチェックする。


『今日はパパの知り合いの社長さんにクルーザー乗せてもらった! 海風最高〜! 今度はみんなで行きたいな』


写真には、日焼けした肌を晒してデッキチェアに寝そべる蓮の姿。コメント欄には、取り巻きたちからの称賛が並んでいる。


『さすが西園寺くん! かっこいい!』

『うらやまし〜! 連れてって!』

『俺も今度混ぜてよw』


その中には、かつての親友、健太のコメントもあった。


『お前マジですげーわ。また話聞かせてくれよ』


健太のアカウントに飛ぶ。

プロフィールには『バスケ部部長 / 県大会目指してます / 彼女募集中』の文字。

最新の投稿は部活の集合写真だ。


『新体制スタート! 今年は絶対勝つ! 俺たちの代で歴史変えるぞ!』


熱血漢ぶったコメントに、虫唾が走る。

こいつは一年前、俺が部費を盗んだと決めつけ、真っ先に俺を糾弾した。俺が退部した後、ちゃっかりレギュラーの座と部長の地位を手に入れ、今では蓮の腰巾着として振る舞っている。

歴史を変える? 笑わせるな。お前の歴史はもうすぐ終わる。


次はTwotter。

ターゲットは美優。沙織の親友であり、俺の冤罪事件を面白おかしく拡散した主犯の一人だ。

彼女のアカウントは承認欲求の塊だった。


『今日のコーデ♡ 新作のワンピ買っちゃった! 高かったけど自分へのご褒美ってことで!』

『また変な男からDM来たんだけどw キモすぎw 無視無視』

『彼氏欲しいなー。西園寺くんみたいなイケメン落ちてないかなー』


裏アカウントも特定済みだ。そちらでは、表の顔とは真逆の汚い言葉が並んでいる。


『あーうざ。担任マジ死ねよ。課題多すぎ』

『〇〇ちゃん、整形失敗じゃね? 鼻高すぎてピノキオみたいw』

『パパ活のアポ、ドタキャンされたんだけど。マジ殺す』


美優は沙織の親友ヅラをしているが、裏では沙織への嫉妬や悪口も書き込んでいる。


『沙織ばっかりチヤホヤされてムカつく。あの子、天然ぶってるけど絶対計算だよねw』

『西園寺くんもなんであんな真面目っ子が好きなんだろ。すぐ飽きるっしょ』


このログを沙織が見たらどう思うだろうか。想像するだけで口角が上がる。

友情ごっこなんて、所詮こんなものだ。薄氷の上に築かれた砂の城。少し突けば、簡単に崩れ落ちる。


そして、最後に沙織のアカウント。

彼女の投稿頻度は少ない。たまに風景の写真や、手作りのお菓子の写真を上げる程度だ。

最新の投稿は、手作りのクッキーの写真。


『久しぶりに焼いてみた。喜んでくれるかな?』


宛先は書かれていないが、誰に向けたものかは明白だ。

コメント欄には蓮からの返信がついている。


『めっちゃ美味かった! 沙織のクッキー世界一! また作ってね』

『うん、いつでも作るよ』


甘ったるいやり取り。

俺の記憶にある沙織は、もっと慎み深く、こんな公衆の面前でいちゃつくような真似はしなかったはずだ。

蓮という毒に侵され、彼女も変わってしまったのだろうか。

それとも、俺が見ていた「清純な幼馴染」という像こそが、俺の勝手な幻想だったのか。

どちらでもいい。

今の彼女は、俺を裏切り、俺を絶望の底へ突き落とした共犯者だ。

「信じていたのに」「最低だ」

あの日、彼女が放った言葉は、今でも俺の耳にこびりついて離れない。毎晩のように悪夢となって俺を苛む。

あの言葉が、俺の中の最後の良心を殺したのだ。


「……そろそろ、仕上げの時間だ」


俺は監視ツールを最小化し、別のウィンドウを開いた。

そこに表示されているのは、蓮のスマートフォンからリアルタイムで吸い上げている位置情報と、マイクの音声データだ。

蓮のスマホには、彼が怪しいサイトでダウンロードしたゲームアプリを通じて、バックドアを仕込んである。カメラもマイクも、GPSも、全て俺の手のひらで操作できる。

現在位置は、繁華街の雑居ビル。

時刻は深夜二時。

未成年がこんな時間に居ていい場所ではない。

マイクの音声を再生する。

ガヤガヤとした喧騒、大音量のEDM、そして下品な笑い声が聞こえてくる。


『西園寺〜! 飲み足りねえぞ! もっと持ってこい!』

『おう、任せとけ! 親父のカードあるからいくらでもいけるって!』

『さっすが西園寺様〜! 愛してる〜!』

『おいおい、俺には沙織ちゃんっていう本命がいるんだから、浮気はほどほどになw』


蓮の声だ。酩酊しているのか、呂律が回っていない。


『てかさー、沙織ちゃんとはどうなのよ? まだ手出してないの?』

男友達の下卑た質問。

『あー、それがさぁ、あの子ガード堅くて。清純派気取ってんのか知らねーけど、まだキス止まり』

『マジかよ! お前、一年も付き合ってて? ダッサw』

『うるせーよ。まあ、あの堅物なところがいいんだよ。完全に俺に依存してるからな。俺が「白」って言えばカラスでも白だと信じ込むような女だぜ? 扱いやすくて最高』


俺はヘッドフォンを強く押し付け、一言一句聞き逃さないように集中する。

これが、西園寺蓮の本音だ。

沙織への愛など微塵もない。あるのは征服欲と、操り人形を動かす愉悦だけ。


『あいつ、前の男……えっと、誰だっけ? あの陰キャ』

『湊だっけ? 冤罪で退学になった奴』

『そうそう、湊! あいつのこと、まだ気にしてんのか知らねーけど、たまに暗い顔すんだよな。うぜーから、「俺たちがあいつの分まで幸せにならなきゃ、あいつが報われないよ」とか適当なこと言って慰めてやってるけどさ。内心笑い止まんねーわ』


ドッ、と下品な笑い声が爆発する。

俺は無意識のうちに、握りしめていたマウスを握り潰しそうになっていた。

報われない? 俺が?

お前たちの幸せの踏み台にされて、俺が喜ぶとでも思っているのか?


『あいつ、今頃どこで何してんだろうな』

『のたれ死んでんじゃね? あんな噂広まったら、まともな就職なんて無理だろ』

『だよなー! あーあ、可哀想に。ま、俺たちの知ったこっちゃねーけど! カンパーイ!』


グラスがぶつかる音。

俺は録音停止ボタンを押した。

十分だ。

これ以上の証拠はない。

俺は録音データを『REN_EVIDENCE』というフォルダに保存した。

ここには他にも、蓮が関わった未成年飲酒パーティの写真、ドラッグの売人と接触しているチャットログ、そして、彼が過去に別の学校でいじめを主導していた時のタレコミ情報などが詰まっている。

さらには、親の会社の機密情報を友人に自慢げに漏らしている音声もある。これはサイオン・ホールディングス自体を揺るがす爆弾になるだろう。


俺は椅子に深く腰掛け、天井を仰いだ。

準備は整った。

一年間、地を這うような思いで集めた武器が、今、手元に揃った。

健太の部活での不正行為の証拠。

美優の裏アカとパパ活の証拠。

そして、蓮の犯罪行為の数々と、沙織を愚弄する本音。


明日、俺は行動を開始する。

まずは外堀からだ。

健太と美優、あの愚かな取り巻きたちから血祭りにあげる。

彼らが築き上げた「充実した高校生活」という名の虚構を、一つずつ丁寧に、確実に破壊していく。

そして最後に、蓮と沙織。

お前たちには、とびきりの絶望を用意してやる。

ただ破滅させるだけでは足りない。

互いに憎み合い、罵り合い、自分たちが信じていたものが全て偽りだったと知って発狂する様を、特等席で見せてもらう。


俺はモニターに映る蓮の笑顔を指でなぞった。


「楽しかったか? 俺のいない一年間は」


画面の中の蓮は答えない。


「精々笑っていろ。それが最後の笑顔になる」


俺は立ち上がり、冷蔵庫から新しいエナジードリンクを取り出した。

プシュッという炭酸の抜ける音が、開戦の合図のように静寂を切り裂いた。

復讐のシナリオは完成している。あとは、主役である俺が舞台に上がり、幕を引くだけだ。


夜明けが近い。

窓の外、白み始めた空が、街を青白く染めていく。

平和な朝が来る。何も知らない人々が、また新しい一日を始める。

だが、あの学園の生徒たちにとって、そして蓮や沙織たちにとって、今日という日は終わりの始まりになるだろう。


「……行くか」


俺は黒いパーカーを羽織り、フードを深く被った。

鏡に映った自分の顔を見る。

そこには、かつての優しい湊遥輝はいなかった。

いるのは、復讐という妄執に取り憑かれた、冷酷な処刑人だけだ。

ポケットの中で、スマートフォンが冷たく重い存在感を放っている。

この小さな端末一つで、俺は世界をひっくり返す。

偽りの断罪で全てを奪われた俺が、今度は真実の刃で、彼らの首を刎ねる番だ。


ドアを開けると、冷んやりとした朝の空気が頬を刺した。

その冷たさが、燃え上がる俺の復讐心に油を注ぐように感じられた。

さあ、始めよう。

華麗なる復讐劇、その第一幕を。

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2026年3月6日 19:00
2026年3月7日 19:00
2026年3月8日 19:00

偽りの断罪で全てを奪われた僕は、復讐の鬼となり偽善者たちの楽園を焼き払う @flameflame

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