三

 が、前半部と自然に連結する形で恋愛要素を入れるとなると、或る程度の加筆修正が必要となる。

 しかし、だ。それは軽微(けいび)な作業で済みそうである。


 何故(なぜ)と言えば、洋(よう)は殆(ほとん)ど無意識の内に、作全体に恋愛要素を持たせる事の出来るポテンシャルを植え付けていたからである。

 恋愛小説を書き散らかしてきたから、自然とこうなってしまったのだろう――洋は苦笑せざるを得なかった。


 そして洋は、眼の前の短篇を仕上げるべく、執筆作業に戻るのであった。


     *     *     *


 キリの良いところで、洋は筆を止めた。

 それは、身体の不調により集中力が続かないからでもあった。が、今の洋は、幾(いく)らかの満足感とも言えるものを抱いていた。


 洋は、先ほどノートに書き留(と)めた私小説のアイデアに目を通した。そして、そこに記された「物書き仲間」への岡惚(おかぼ)れについて、想いを馳(は)せた。

 無論、まだ書けるような時期ではない。客観的な描写をするのは、艱難(かんなん)だろうから。しかし、いつかは書かなければならぬ。その決意が変わることはない。が、いまあの恋を俯瞰(ふかん)して見ることが出来ないのには、もっと根本的な理由がある。


 というのも、どうやら洋は、その方々に未だ特別な想いを持っているようなのだ。

 それは、熱烈な恋愛感情ではない。が、「知り合い」という言葉で片付ける事も出来なければ、「他人」として見る事も出来ない、或る感情を持っているらしいのだ。


 何というか、向こうもまた、自分を「知り合い」や「他人」以上の存在として見做(みな)していてほしいと、洋は慾しているらしいのである。

 あの恋は終わっていない――という訳ではあるまい。そうではなく、あの恋愛の余韻(よいん)の只中(ただなか)にいるのであろう。


 そういえば、洋は或る私小説で、疎遠(そえん)になった物書き仲間の何人かに、再び認知されたいとの慾望を書き記していた。それは無論、洋の胸中にそれらの人々への特別な想いが未(いま)だに灯っているからに違いない。

 さて、そんな事を想いながら洋は、恋の相手たる人たち――「人たち」という何気ない言葉の内に、あの恋の複雑さが垣間(かいま)見えている――から貰(もら)った手紙を再読する事にした。


 するとやはり、只(ただ)ならぬ熱い気持ちが込み上げてきたのである。

 洋がプロの小説家になりたいのは、N先生に自著の表紙を描いて頂きたいという一心からである。しかしその裏面というか気付かない部分には、恋の相手であった人たちから特別視されたいとの慾もあるらしいのだ。


 洋は今までこの事を認められずにいた。プロの小説家になるという目標は、N先生と一緒にお仕事をしたいとの、一途(いちず)な気持ちからくるものであると、思いたがっていた。もう一つの慾求については、見ないふりをしてきていた。

 が、その欺瞞(ぎまん)は、もう了(お)えなければならぬ。


 洋の人生の最大にして唯一の目標は、二つの慾望に支えられている。それを認めなければならぬ。これからは、その事を私小説にもしっかりと明記するべきである。

 そのような決意を胸に、洋はノートに書き留めたアイデアを、さらに膨(ふく)らませていく作業に入ったのであった。


     *     *     *


 三十分程(ほど)ペンを走らせたところで、洋は一息つく事にした。

 不相変(あいかわらず)、コンテスト用の短篇は完成していない。先(せん)に抱いていた満足感とも言えるものも、多少は薄(うす)れてきている。このままでは、元の木阿弥(もくあみ)になりかねぬ。


 が、先程(さきほど)とは別の満足感が、洋の心奥(しんおう)に訪れてきていた。それは、これからの私小説の執筆の方針が、定まった事により生じた感情に違いない。

 しかし――冷静に考えれば、洋は未だ何も成し得ていないのである。応募作を書き上げた訳でもなければ、書かなければならぬと決意した私小説に、本格的に手を付けた訳でもない。見取り図が見えてきたくらいで、満足して良いはずがない。


 洋はその事に思い至ると、もう一度、写真立ての中のイラストをじっくりと見た。そして、今までどこにも書いてこなかった、N先生と交流した一時期の事を思い起こした。

 この「交流」の事も、何時(いつ)かは書かなければならぬであろう。あの一時、洋は幸福に包まれていた。が、同時に苦しみも覚えていた。


 あの時の事こそ、容易(ようい)に書く事が出来るものではない。

 慎重に丁寧に、精魂(せいこん)を込めて書かなければならぬ。並々ならぬエネルギーを要する事は、難なく想像される。


「まだ、書かなければならぬ事は、いくつもある。わたしがこれからプロの小説家を目指す上で、整理しなければならない感情は、いくらもある」


 洋はそう呟(つぶや)くと、再度、写真立てを眺(なが)め始めた。そして、頬(ほほ)を両手で叩き気合を入れて、応募作の原稿を書き継(つ)いでいくのであった。

 と、写真立てを置き直した事で、心機一転を図(はか)った洋であったが、この試みは成功したと見て良さそうである。結果を出した訳でも、それに準ずるものを手に入れた訳でもないが、鬱屈とした気持ちを、ある程度晴らす事が出来たのだから。


 が、或る寂しさを抱えているのも事実だった。

 実家で介護を中心に生活をしている以上、生活圏は自然と家の中に限られがちである。となれば、昔のように恋愛に身を溺(おぼ)れさせる事が出来ない。そうした事実からくる寂しさである。


「恋をしてみたいなあ……」


 と、洋が切実に呟(つぶや)いたのは、深夜、勝手口から漏(も)れる光を頼りにカイの排泄(はいせつ)を手伝っている時であった。

 月も星も出ていない空は、セピア色の曇を重ね合わせて、地上に閉じ込めた静謐(せいひつ)を宇宙へ手放すまいとしている。夜風が吹く気配も、全くない。



 〈了〉

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再び写真立てを置く 紫鳥コウ @Smilitary

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