第9話「不穏な影」

 平和で甘美な日々が続くと思われたが、現実はそれを許さなかった。

 ある日の昼下がり、玉座の間でレオとベリアルが談笑していると、伝令の兵士が転がり込むように入ってきた。


 「申し上げます。魔界の境界付近に、人間軍の大部隊が集結中」


 空気が凍りついた。

 ベリアルの表情から笑みが消え、王としての冷徹な仮面が被さる。


 「規模は?」


 「およそ五万。しかも、先頭には『禁呪兵器』と思われる巨大な魔導砲が確認されています」


 「禁呪兵器……だと?」


 レオが思わず声を上げた。

 それは、かつて人間界で開発が禁止されたはずの、広範囲を一瞬で消滅させる最悪の兵器だ。


 「人間たちめ……そこまでして我らを根絶やしにしたいか」


 ベリアルの拳が玉座の肘掛けを砕く。


 「レオ、お前の国の王は正気か? 魔界ごと消滅させれば、自国の環境にも影響が出ることは明白だろうに」


 「……今の王は、功名心に憑りつかれている。俺が魔王討伐に出た後、手柄を独占しようと焦ったのかもしれない」


 レオは唇を噛んだ。

 自分が失敗したと思われているから、王は強硬手段に出たのだ。


 「それに……彼らは、俺が魔王に洗脳されたと宣伝しているらしいです」


 伝令が付け加えた言葉に、レオは愕然とした。


 「洗脳だと? 俺は自分の意志でここにいる」


 「だが、人間たちはそうは思わない。勇者が魔王の寝室に囲われていると知れば、なおさらな」


 ベリアルは立ち上がり、マントを翻した。


 「出陣する。禁呪兵器を使われる前に叩くしかない」


 「待て。俺も行く」


 レオが叫ぶと、ベリアルは鋭い視線を向けた。


 「ならない。お前の首には首輪がついている。魔力がなければ戦場では足手まといだ」


 「足手まといだと。ふざけるな、俺は勇者だ」


 「今は余の番だ。お前を失うわけにはいかない」


 ベリアルの怒鳴り声が広間に響いた。

 その声には、痛いほどの愛と不安が混じっていた。

 レオは言葉に詰まった。ベリアルが本気で自分を心配していることがわかったからだ。


 「……ガープ、レオを頼む。部屋から一歩も出すな」


 「御意」


 ダークエルフの将軍が静かに頷く。

 ベリアルはレオに背を向け、大股で出て行った。

 残されたレオは、悔しさで拳を震わせた。

 何もできないのか。

 このまま、彼らが戦うのを指をくわえて見ているだけなのか。


 「……レオ殿」


 ガープが静かに声をかけた。


 「魔王様は、あなたを守りたいのです。あの方は、これまで全てを一人で背負ってこられました。初めて見つけた『守りたいもの』を、失うのが怖いのでしょう」


 「わかってる……わかってるけど」


 レオは壁をドンと叩いた。

 守られるだけの存在になりたくて、ここにいるわけじゃない。

 俺は勇者だ。そして、ベリアルの番だ。

 彼が守ろうとしている民も、彼自身のことも、俺が守りたいんだ。

 レオの脳裏に、あの日の戦場で見た魔王の背中が浮かんだ。

 孤独で、強くて、どこか寂しげな背中。

 あそこに並び立ちたい。

 そのためなら、どんなルールだって破ってみせる。

 レオは顔を上げ、決意に満ちた瞳でガープを見据えた。


 「ガープ。頼みがある」


 「……何でしょう」


 「この首輪の外し方を教えてくれ。力ずくでも構わない」


 ガープは目を見開いたが、やがてその口元に微かな笑みを浮かべた。


 「……魔王様の命令に背くことになりますが?」


 「後で二人で怒られようぜ。俺が全責任を持つ」


 「フッ……いいでしょう。あなたなら、そう言うと思っていました」


 ガープは懐から一本の鍵を取り出した。しかし、ただの鍵ではない。微かに魔王の魔力を帯びている。


 「これは予備の鍵です。魔王様には内緒で持っていました。あの方が万が一、冷静さを失った時のために」


 「感謝する」


 レオは鍵を受け取り、震える手で鍵穴に差し込んだ。

 レオの「番としての強い想い」が鍵の魔力と共鳴するように、カチャリと重い金属音が響き、首輪が外れ落ちた。

 瞬間、堰を切ったようにレオの魔力が全身に満ちた。

 黄金色のオーラが立ち昇る。


 「よし……行くぞ」


 レオは部屋に飾ってあった予備の剣を掴み、窓から飛び出した。

 目指すは戦場。

 愛する夫の隣だ。

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