第3話 一番の景色
「エビチャーハン、かに玉スープ。デザートの杏仁豆腐もあるよ」
私の部屋のローテーブルに並ぶ豪華な食事。それを作ったのは私ではなく華猫さん。黒猫のイラストがプリントされたエプロンがよく似合っている。
─勝負して疲れてるでしょ。あたしがご飯作ってあげる。
勝負の疲労は華猫さんも同じだろうと思ったけど、私の手を力強く握ってぶんぶん振り回す彼女の元気に押し負けてしまった。
そして完成した料理が目の前にある。陶器の皿に盛られたチャーハンはできたての温かさをアピールするように湯気を立たせ、食欲をそそる香りが鼻腔をくすぐる。宿敵の手作り料理はどうしようもなく美味しそうで、二十連戦でお腹を空かせた私が抗うことなんてできなかった。
「いただきまーす!」
「……いただきます」
華猫さんと同じタイミングで手を合わせていただきますを言う。そしてスプーンでチャーハンを一口食べると、本格中華店かと思うほどの芳醇な風味が口に広がった。
「おいしい……」
「よかったぁ」
ぷりぷりのエビの食感、パラパラのお米、香り高いねぎの風味、火加減も炒め具合も完璧なチャーハン。悔しいけど、料理も華猫さんの方が上手い。素直に感想を伝えると、彼女は安堵したようにほっと息をつき、自分の料理に手を付けた。彼女にも不安に思うことがあるのか。なんだか、初めて彼女に人間らしさを感じた。
「ごちそうさまでした」
「お粗末様でしたー」
デザートの杏仁豆腐も食べ終えて、お腹も心も充実感で満たされる。作ったのが宿敵の華猫さんだとか、なんかしれっと家に上げちゃったなとか、そんな細かいことはどうでもよくなるくらい美味しかった。
「洗い物は私がやるわ」
「え、いちかは座ってていいよ。あたしが料理したいって言ったんだから」
「借りを作るのは性に合わないの。……華猫さんの料理で元気出たし」
「え、えへへ……そんなに気に入ってもらえるなんて。照れますな」
食べてる時に美味しかったとは伝えたはずだけど、華猫さんはなぜか今になって照れ始める。よく分からないけど、両頬に手を添えながら横にフラフラ揺れる彼女は可愛かった。
「華猫さん。今日の勝負、どうだった」
「楽しかった!」
洗い物をしながら話しかけると、華猫さんは見なくてもキラキラ笑顔だと分かる声で返事をした。私が必死で勝とうとする中で、彼女は楽しんでいた。私と彼女には、それほどまでの差がある。
「私は悔しかった。あんなにこっぴどく負けたのは初めてよ」
負けることはたくさんあった。でも、それは私が弱かったからだ。一番になって強さに自信を持った私が負けるのは初めてだった。
「でも、次は絶対に勝つから。覚悟してなさい」
負けて悔しかった。恥ずかしいことだけど、才能の力で私を上回った彼女を恨めしく思う自分がいた。でも、私より圧倒的に強い相手との出会いに、負けたくないという闘志が久々に燃えている自分もいた。そう思うと、私も華猫さんと同じ感想になるのかもしれない。
「いちかは一番が良いの?」
「そうに決まってるでしょ。私は一番になるために努力してる。一番じゃなきゃ、私は私を許せないの」
「……じゃあ、一番返すね」
「は?」
何を言っているんだ。一番を返す? 自分から一番を手放すって言うの? 私が人生を賭けて追い求め続けると決めた一番は、彼女にとってその程度の価値だと言うの?
「いちかが一番じゃなくなって嫌な気持ちになるなら、一番なんていらない。だから」
「ふざけないで!」
一番を手放す理由を聞いて、彼女への怒りがさらに燃え上がる。胸ぐらを掴んで彼女の言葉を遮り、ぐいと顔を近づけて睨みつけた。彼女の困惑した表情は、私の反応が意外だとでも言っているようだ。こいつにはちゃんと言ってやらないと、私の怒りは伝わらないらしい。
「いい? 一番っていうのは自分で勝ち取るものなの。誰かから譲られた一番なんて、一番じゃない」
「でも、いちかは一番じゃないと嫌だって……」
「はぁ? もしかして、私が絶対に勝てないとでも言いたいの?」
「……そうだよ。だって、あたしは天才だし」
天才。華猫さんから溢れたその言葉は、自己紹介の時の自信に満ちたものではなく、まるで自分にかけられた呪いを告白しているようだった。
「天才には誰も勝てない。そういうものなの」
彼女が吐き捨てた諦観。それだけで彼女が向けられてきた感情を察するに余りある。
─やっぱりモノが違うよ。
─あんなのズルじゃん。
いくつもの一番を取ってきた私にも、似たような経験があるから。
「ばーか」
「いてっ」
だから、華猫さんの額にデコピンをくらわせてやった。さっきまで俯いていた彼女は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして、痛みを抑えるように額に手を当てている。私の行動が初めてこの子の予想を超えた瞬間だった。
「自惚れも大概にしなさい。あんたが負けなかったのは、周りの奴らが諦めたからよ。私は違う。絶対に一番を諦めない。相手がどんな天才でも勝って見せる。だからあんたは胸張って一番でいなさい」
相手の強さを理由に諦めるのは簡単だ。相手を理不尽な存在に仕立てて、自分の弱さを正当化できるから。そういう道を否定はしない。負けることは辛いし、負けたままの努力は苦しいから。でも、私はそんな道を選びたくない。自分の可能性を否定して、自分の理想を曲げたくない。私は私のまま、一番を目指し続けると決めたんだ。
「いちか……わかった。次の勝負、楽しみにしてるね!」
「ふん、そうやって笑ってられるのも今のうちよ」
華猫さんがしょぼくれた顔から眩しい笑顔に戻る。自信に満ちあふれて、人生を楽しんでいそうな笑顔がこの天才には似合っている。って、出会って数日の相手に何を言ってるんだ私は。訳知り顔で勝手に満足するって、馴れ馴れしすぎるでしょ。
「いちか、明日も一緒にご飯食べよ?」
「……バイト終わりまで待てるならね」
「やったー!」
最初から名前呼び。突然家に上がって料理を作ったかと思えば、明日の約束も取り付ける。うん、コイツに比べれば私の勝手な内心くらい軽いものか。
〇〇〇
「へぇ、それで仲良く一緒に登校してきたんだ」
「別に仲良くってわけじゃ……」
「運命、同盟、繋がる友情」
「そーそー! 運命なの! すずめちゃん分かってるー」
「こっちは変なシナジー生まれてるし……」
朝のランニングから帰ってきたら、ドアの前で出待ちする華猫さんが居た。その流れで一緒に登校することになってしまったが、当然それをトラ子とすずめに見られるわけで。隠すのも面倒なので、二人に昨日のことを軽く説明した。華猫さんはなんかすぐに馴染んでるし、どんどん私の日常が侵略されている気がする。
「あ……」
学校の近くまで来た瞬間、昨日の屈辱の記憶が一気に鮮明になる。私は昨日、大観衆の前で二十連敗を喫したのだ。清楚で完璧な生徒会長として堂々と往来を歩いてきた私だけど、あの大敗北を経てどんな視線を向けられるのかは想像に難くない。
「学校行きたくない……」
「急にどうしたんだよ。一花らしくない」
「急病?」
「え!? 大丈夫? お腹痛いの?」
「……どこかと言えば胃が痛い」
あんな無様な敗北、どうせ馬鹿にされるに決まっている。尊敬のまなざしが、一気に嘲笑に変わるなんて、想像しただけで胃がキリキリした。
「もしかして昨日のこと気にしてんのか? それなら大丈夫だよ」
「え、ちょ、やめて! せめて心の準備をさせて!」
「不要。はじー、連行の補助」
「いえっさー!」
「あー!」
必死に抵抗する私を無視して、三人は私を校門まで引っ張って強制連行する。トラ子が腕を引っ張り、すずめが暴れる私を抑え、華猫さんが私の背中を押す。くそ、出会ってすぐなのに連携完璧かよ。
抵抗虚しく校門の前まで来た瞬間、私を見つけた何人もの生徒が集まってきた。あぁもう、今から私のプライドはボロボロにされるんだ。くそう、トラ子とすずめは味方だと思ってたのに。
「狼谷さん! 昨日の勝負すごくカッコよかったです!」
「あっ、はじめ先輩もいる!」
「次の勝負はいつですか!」
集まってきた生徒たちから浴びた言葉は、私が想像していたものとは全く違っていた。かっこいい? 昨日の私が? あんなに負け続けたのに?
「負けても諦めずに挑み続ける姿に感動しました!」
「私も先輩たちみたいになりたいです!」
次々に浴びせられる言葉から、みんなの考えていることをようやく理解する。昨日の私の無様な敗北は、みんなには諦めずに挑み続ける姿に見えたようだ。完璧な生徒会長としてみんなからの尊敬を集めていたけど、今浴びせられているほどの熱量は感じたことがない。
「いちかすごい! あたし達ゆーめーじんだ!」
「……ほんと、めちゃくちゃな子だわ」
いつの間にか胴上げされていた華猫さんは、この熱をエネルギーにして朝日にも負けない輝きを放っている。私の常識なんて、この天才の前には無意味なんだろうな。
私自身の力も、周囲からの視線も、私が一番だと思って見ていた景色にはまだ先がある。彼女が来てからそう思い知らされるばかりだった。
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