第2話 運命というやつ
私と華猫さん、それとどんどん増えていってるギャラリーは勝負のためにグラウンドに移動した。こんな騒ぎになってしまったのは本意ではないけど、自分の感情を制御できなかった私の責任だ。ただ、こんな大観衆を前にして負けるわけにはいかない。ナンバーワンJKの名に懸けて。
「かっけこかけっこ♪ 楽しみだなー!」
そんな私の緊張とは反対に、体操服姿の華猫さんはスタートラインの前で楽しそうにぴょんぴょん跳ねている。私が今まで積み上げた地位を賭けているというのに、なんてお気楽な。
「ルールは簡単。この100メートルの直線を先に走り抜けた方が勝ち。スターターは私の友達のトラ子にやってもらう」
「はーい、スターターの木虎虎徹でーす」
「りょーかい」
私が示したルールに了解すると、華猫さんが準備運動を始める。私も準備運動を始めるとトラ子が傍まで寄ってきた。
「おい、おおごとになってるけど大丈夫か?」
「平気よ。身体能力なら絶対に鍛えてる方が勝つ。美少女を自称するような奴が鍛えてるわけないわ」
「偏見に満ちた分析だなおい」
「なんとでも言いなさい。私は負けるわけにはいかないの。テストだって、次は絶対勝つ」
私は一番になるために努力してきた。才能じゃなく、努力が結果を決めると信じてきた。単なるプライドの問題じゃない。私が信じてきたものを誰にも否定させないために、私自身が信じ続けるために戦わなくちゃいけないの。
「二人とも準備は良いか?」
「いつでもいけるわ」
「オッケー」
スタートラインに立った私と華猫さんにトラ子が声をかける。私は頷き、華猫さんは指で丸を作ってウインクをした。華猫さんは、仕草も言動も楽しいという気持ちを一切隠さない。負かしてやったらこの笑顔はどうなるのか、なんて。いやいや、目の前のことに集中しろ私。
「それじゃあ、よーい……ドン!」
トラ子の合図でスタートダッシュを決める。隣がどうかなんて気にしない。ただ目の前に集中して全力で走り抜ける。
勉強だけじゃなく、運動にだって妥協したことはない。身体を鍛え上げ、最適な体の動かし方を学んだ。筋力も体力も俊敏性も最初は普通だったけど、努力を続けていく中で記録という目に見えるもので成長が実感できた。私は今日まで積み上げ続けてきたもののため、私自身を信じるために負けるわけにはいかないんだ。
「ゴール!」
ゴールラインを踏んでゆっくり減速する。負けられない緊張のおかげだろうか。今までで最高の走りだった。こんなの圧勝に決まって──
「勝者、華猫はじめ」
そんな私の期待は、ゴールで勝敗判定をしていたすずめの声で打ち砕かれた。
「そんな……頭脳だけじゃなく、身体能力まで……」
「勝敗は僅差。そこまで卑下しなくてよし」
「負けは負けよ……」
華猫はじめに二連敗。すずめの慰めも今の私には効果なし。ナンバーワンJKとしての私の自信は見事に粉砕された。しかも、こんなたくさんのギャラリーの前で敗北という醜態をさらすなんて。明日から私はどんな顔をして歩けばいいの。
「いちかー!」
私の絶望なんて気に留めない、憎たらしいほど明るい声。私を呼ぶ華猫さんの声に反応して顔を上げると、すごい勢いで抱き着いてきた。まさかの抱擁に不意を打たれ、受け止めることができずに押し倒される。私を見下ろす彼女に笑顔は太陽を背に受けて影になっているのに、太陽くらい眩しかった。
「すごかった! いちか強い! 好き!」
「はぁ……?」
耳がキンキンする。自己紹介の時から声は大きかったけど、今は輪をかけてボリュームがすごい。勝利した喜びだろうか。相当興奮している様子だった。友達とすら言えない私に好きだなんて言ってしまうほど。
「次は何するの?」
「次? あー……そうね、そうだわ」
華猫さんの言葉で目が覚めた。そうだ。たった一度の勝負ですべてが決まるわけじゃない。私はまだ完全に負けていない。たった二度負けたくらいで何を絶望しているんだ。負けたなら、勝てるように努力する。勝っても、勝ち続けられるよう努力を重ねる。そうやって積み重ねてきたはずだろ、狼谷一花。私はまだ戦える。戦ってやる!
「次はバスケの1on1よ!」
その後、あらゆる分野で華猫はじめに勝負を挑んだ。私と彼女の勝負の話はどんどん広がり、クイズバトルの頃からは先生たちも見物していたらしい。
二十連敗を喫したころ、下校時間を告げるチャイムが聞こえた。
〇〇〇
「ほれ、これでも食いな」
「ご賞味あれ」
「ありがと……」
トラ子とすずめと一緒の帰り道。二人が奢ってくれたアイスを受け取る。まだカチカチのカップのバニラアイスに貧弱な木のスプーンを突き立てると、ポキリと折れてしまった。
「ふふっ、滑稽ね……」
傍から見たら、挑み続けては負ける私の姿はこう見えたのだろうか。今日、私は全ての一番を失った。勉強も、運動も、私の一番は全て華猫はじめに塗り替えられた。華道部部長として挑んだ生け花すらも。私のアイデンティティはもうボロボロだ。
「ほら、代わりのスプーン」
「いいの……? トラ子が食べられなくなるよ?」
「いいよ。今一番甘いもんが必要なのは一花だろ」
「濃厚ミルクを存分に味わえ」
「トラ子ぉ~、すずめぇ~、ありがどぉ」
久々の敗北の傷に、友達の優しさとアイスの甘味はよく効いた。
「はぁ、やっと帰ってこれた」
途中でトラ子とすずめと別れ、重い足を引きずりながらようやく帰宅する。学校まで約二キロのマンションの一室。東京価格で家賃は結構なお値段だ。私としては負担になるならワンルームのボロアパートでもよかったのだけど、両親が防犯設備だけは譲らなかった。
お父さん、お母さん。あなたたちが頑張れと送り出した娘は、無様にも二十連敗を喫しました。とほほ。
今日は課題だけしてゆっくり寝よう。過度な負荷は体に毒だ。そう思いながらドアにカギを刺した瞬間だった。
「あれ? いちか?」
今日、嫌というほど聞いた声。そっと頬を撫でるそよ風のように心地よい声だけど、それを発する人間を知る私にとっては、カミソリを肌に突き立てられるような不愉快な声に変わる。
「やっぱりいちかだ! いちかもここに住んでるの?」
現実を直視したくない。その一心で振り向かずにいたけれど、声はもう既に至近距離から聞こえてくる。蜂蜜のような甘い匂いまでしてきた。
「……そう、よ」
「すごい! しかもお隣さん! これって絶対に運命だよ!」
しぶしぶ横を向くと、夕日に負けないほど美しく輝く橙色の瞳が私を真っすぐ捉えていた。この子はずっとうるさいし、眩しい。彼女が特別であることは嫌というほど思い知らされた。だからこそ、運命なんて恥ずかしい言葉を面と向かって言えるのだろう。
「これからよろしくね、いちか」
今日一番の彼女の笑顔。ちくしょう。可愛いな。
「あは、あはははははは!」
私が積み上げてきたのもがたった一日で崩されて、私を壊した天才美少女はお隣さん。あり得ない理不尽が畳みかけてきた状況を前に、ただ笑うしかなかった。
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