第18話 わがまま

 くまっちのベッドで傷を癒した後、私達はシルさんの指令室に集められた。普段じゃ考えられない重苦しい空気の中、シルさんが話し始めた。


「魔界域が崩れた三分後、これが指令室にあった」


 シルさんが取り出した紙はシャドウと同じ濁った黒色で、見た事の無い文字が綴られていた。しかし、文字が読めなくてもその紙から感じる不気味なオーラが送り主を教えてくれる。やつらは精霊界にも干渉できるようだ。逃げる場所はどこにもない。


「これには古代精霊文字でこう書かれていた。一週間後、儀式を執り行え。さもなくば世界は崩壊することになる」

「儀式って……」

「それについては私が説明するよ」


 私とシルさんの会話に知らない声が割って入る。声がした方に目を向けると、テーブルの上にクロが座っていた。あの時とは違う流暢な喋りは、シャドウではなく精霊らしさを感じる。突如現れた謎の存在に張り詰める空気とは裏腹に、クロは呑気に顔を搔いていた。


「この世界は精霊界、魔界、人間界で構成される。この三つの世界の均衡を保つため、千年に一度、儀式を執り行う必要があるんだ」

「なにそれ、魔王の企みじゃないの?」

「そういう面もあるね。儀式とはそれぞれの世界の存続のため、遥か昔に世界の神々が交わした契約だ。魔王はその神の一人でもある」


 はじめを奪おうとする力は魔王だけでなく、世界そのものの意思だった。クロの正体も分からないまま話を聞く中で、私の中で怒りの炎が燃え上がっていく。はじめは何も悪いことしてないじゃない。知らないところで契約して、そのツケを勝手にはじめに擦り付けないでよ。世界だろうが神だろうが、理不尽な理由で私の大切な人を奪おうとしているのに変わりはない。この世界に、なによりもこの状況を変えられない自分の弱さに苛立ちが募っていった。


「千年に一度生まれる選ばれし人間に、精霊界が聖女の資格を与え、魔王を鎮めるための贄とする。たった一人の人間の犠牲で三つの世界は千年の安寧を得るっていう寸法さ」

「犠牲って、ふざけるな! 神とか、世界の均衡とか、そんな理不尽ではじめの命が奪われていいわけない!」


 この絶望的な状況の中、すべてを知っているクロは悠々と私の前を横切った。その態度が私の苛立ちを刺激し、この理不尽な状況への行き場のない怒りを、私の一番大切な人を奪おうとする世界への憎しみをクロにぶつけた。


「怒らないでくれよ。私は儀式を執り行うためのシステムでしかないんだ。どこにも属さず、善意も悪意もないメッセンジャー。何を言われてもどうすることもできないんだ」


 私にステッキを向けられてもクロの余裕は崩れない。ここでステッキを振るっても、儀式が止まることはないだろう。無意味な暴力を振るうことはできない。納得は出来ないながらも、ステッキをおろした。


「じゃあ、あたしが生贄になれば世界は救われるんだね。よかった」


 みんなが希望を失う中、場違いなほど明るい声ではじめはそう言った。慈愛か諦観か区別のつかない笑みは、軽くて、空っぽで、はじめらしくない。でも、そんなわけないのに、はじめが死んでいいはずがないのに、その言葉は紛れもない本心だった。


「なにを言ってるの……?」


 自分が死ぬという事実とは裏腹に、安心したように胸を撫で下ろすはじめが理解できない。死ぬなんて誰だって嫌なはずだ。はじめには叶えたい夢も、望む未来も、成就させたい恋もある。それなのにどうして笑って死を受け入れてるの。


「死ぬのよ!? どうしてそんなに冷静なの!」

「お、おい、一花」


 すんなり死を受け入れたはじめが許せなくて、トラ子の声を無視し、感情に任せて掴みかかる。はじめは抵抗しないが、目を合わせようとしなかった。この子はまた我慢しようとしているんだ。本当は死にたくないのに、みんなのために死のうとしてる。許さない。我慢しないでって言ったじゃない。


「なんで簡単に受け入れるの! まだ時間はある! 修行すればあいつらに勝てるかもしれない。精霊のみんなにも協力してもらって、最後まで戦おうよ。死んだらはじめの未来も夢も全部なくなるのよ! 諦めないで、我慢しないで、生きたいって言ってよ!!」


 これは説得なんかじゃない。そうあって欲しかった。生きたいって、一緒に戦って欲しいって、いつもみたいに無茶を言って巻き込んで欲しかった。我儘を言って欲しかった。でも、はじめの胸ぐらをつかむ感覚はあまりにも軽い。私の願いはまるで響いちゃいなかった。


「いちか、ありがとう」


 最後は縋るように声を絞り出していた私を、はじめが抱きしめる。彼女の甘いハチミツの香りは、くすんでいた。


「でも、いいの。あたしは誰にも傷付いて欲しくない。あたしの未来より、いちか達の未来を守りたいの。ごめんね、わがまま言って」


 真っ直ぐ私を見つめる目は嘘なんてついていなかった。ここにいる誰もはじめの死を受け入れるはずがない。トラ子も、すずめも、シルさんも、はじめを守るために戦うに決まってる。だから、はじめはみんなを守るために死を受け入れた。誰も望んでいないはじめだけのわがまま。あまりにも優しくて、虚しくて、悔しくて、けれど、拒絶なんてできない。彼女の笑みの理由を知った私は、はじめから手を離して力なく膝をついた。


「いちか、あたし、行きたいところがあるの」

「……いいわよ。どこにだって連れて行ってあげる」


 はじめに残された時間は少ない。ハワイでも、ジャングルでも、火山でも、深海でも、どこへだって連れて行く。私にできることはもうそれしかないから。


「いちかが生まれた場所に行きたいな」


 こんな時でもはじめは私の予想を超えていく。余命一週間の彼女が希望したのは、キラキラ楽しい観光地でも、ワクワクするアミューズメント施設でもなく、地味で何もない田舎だった。

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