第19話 故郷

 魔王の出現から一夜明けた。今は一分一秒が惜しい。両親に連絡を入れ、準備を整えた私とはじめは、朝から電車に飛び乗った。最初は都会だった車窓の景色も、時間が経つにつれて緑の割合が増えていき、満員だった電車も席で眠れるくらい空いてきた。乗り換えの度に車両が減っていき、実家の最寄り駅に向かう電車では現金のみの切符販売。懐かしい感覚と共に、どうしてこんな事をしているのかと疑問ばかりが浮かんでくる。


「ついたー!」

「はぁ、つかれた」

「ほらいちか! はやくはやく!」


 有り余る元気を見るに、長時間の移動も全く意に介していない。力強く私の手を引くはじめの笑顔は、本当にはじめらしくて、眩しくて、可愛くて……変わらない彼女の笑顔が遠かった。


「いちか?」


 今にも日向の向こうに消えてしまいそうで、思わず手を伸ばしてしまった。はじめは私に掴まれた腕を不思議そうに見つめている。いつもと違うのは私だ。久しぶりの故郷なのに、ずっとはじめのことばかり考えてる。


「なんでもない。行きましょう」

「うん!」


 でも、いつもと変わらないはじめも変だ。来週には死ぬと言われたのに、どうして笑っていられるの。ライバルとして競い合って、はじめのことは何でも分かる気でいたけれど、今のはじめの考えだけはどうしてもわからない。でも、はじめの笑顔が消えるのが怖くて、なんで笑ってるのかなんて聞けなかった。


「そんな大荷物、何日泊まるつもりなのよ」

「私が満足するまで!」

「何度も言ってるけど、本当に何もないのよ。山、田んぼ、古民家、トラクター。ド田舎もド田舎なんだから」


 時刻は午後2時。平日で両親は迎えに来れないから、駅から徒歩で家に向かうことになる。私は実家に色々あるから少ない荷物でいいけど、長く居座るつもりのはじめの荷物は重そうだ。ここから一時間以上歩く予定なのだが、大丈夫だろうか。


「ねぇねぇ、この辺で何か思い出とかないの?」

「ないわよ。ただの通り道だし」


 私は早朝から自転車で駅に向かい、電車に乗って学校に通っていた。あの頃の私はひたすらに時間が惜しくて、何かに追われるように急いでこの道を通っていたような気がする。周囲を見る余裕なんてなくて、面白い思い出話なんて全くない。


「あれ、もしかしていっちゃん?」


 そんなことを話していたら、背後から聞き覚えにある声が、一人しか使っていないあだ名で私を呼んだ。振り返ると予想通り、幼馴染のかえでちゃんが軽トラの助手席から顔を出していた。


「やっぱりいっちゃんだ! 久しぶり!」


 楓ちゃんは軽トラから降りて、勢い良く手を振りながら駆け寄ってきた。麦わら帽子をかぶり、土で汚れた飾り気のない作業着を着ているのを見るに、両親の手伝いの帰りだろう。中学以来の彼女は、少し大人びたように見えるけど、快活な笑顔は変わっていなかった。


「帰って来るなら教えろよー」

「ごめんごめん。急なことだったから」

「相変わらずだねぇ。それで、お隣のかわいこちゃんは?」

「はじめまして! あたしは華猫はじめ! いちかの友達で、ライバルで、お隣さん!」

「ほえー、いっちゃんのライバルかぁ。そりゃすごい」


 はじめが並べた関係の中で楓ちゃんが最も興味を持ったのはやはりライバルだった。昔から私を知る彼女は、それがどれだけ重いものかずっと見てきたから。


「私は犬山いぬやま楓。いっちゃんの幼馴染で、大親友さ」

「おー! ってことは、昔のいちかのことよく知ってるってこと?」

「そりゃもちろん。例えば、幼稚園生の頃に道路に転がってた枝を蛇と勘違いして泣いちゃったこととか」

「ストーップ!!」


 私の昔話を勝手に公開しようとした楓ちゃんの頭を引っ叩く。昔話をするのはいいけど、恥ずかしい話はダメだ。私の沽券に関わる。


「アホアホバカエデ!! 恥ずかしいでしょ!!」

「あっはは、悪い悪い。新しい友達に色々教えてやりたくてな」


 強めに注意しても楓ちゃんはカラッと笑っている。やはり、楓ちゃんには私の威圧が効かない。その理由は明確で、そして、はじめに一番知られたくないことだった。


「なんか、今日のいちか、子どもっぽい」

「そうなん?」

「うん。いつもはもっとクールというか、しっかりしてる」

「ふーん。東京ではお姉さんやってんのか」


 はじめの気付きに楓ちゃんがニヤリと笑う。やっぱりはじめは勘が良い。私を揶揄うような視線を送る楓ちゃんに変なこと言うなと尖った視線を返すけれど、案の定効いている様子はなかった。


「昔のいちかは違ったの?」

「まぁな。私にとっちゃ可愛い妹みたいなもんだよ」

「はぁ!?」

「じゃあ今のいちかはお姉ちゃんに甘えてるんだ」

「はぁ!!??」


 図星である。幼いころから私は一番を目指していて、勉強や運動で一番を取る度に周りのみんなは私に嫉妬し、心無い言葉を投げかけ、直接暴力を振るわれたこともあった。そんな時、いつも楓ちゃんが守ってくれた。


─あんな奴らなんか気にすんな。いっちゃんは凄いんだ。ドンと胸張って頑張れ!


 周囲の雑音に吞まれずに一番を目指せたのは、楓ちゃんの言葉のおかげ。はじめの言う通り、私にとっての楓ちゃんは強くて頼れるお姉ちゃんだ。


「全然違うし。こんな粗野な田舎者に甘えるとか、そんなのありえないわ」


 ただ、それを素直に認めるわけにはいかない。同い年の幼馴染に甘えてるとか恥ずかしすぎるし、こんなこと言ったら絶対に調子に乗る。棘のある言葉で否定するけど、そんな乱暴な言葉を使うのも楓ちゃんへの甘えからくるものだった。


「こういうとこが可愛いんだわ」

「やめろバカエデ!」


 咄嗟の照れ隠しなんて楓ちゃんにはお見通しで、私の頭をワシワシと雑に撫でてきた。そんな幼馴染との交流を、はじめは温かい目で見守っている。こんな情けない姿、好きな人に見られたくないのに、満足そうなはじめを見たら、些細な羞恥心は消えてしまった。我ながらチョロすぎる。


「二人ともそれで帰るの大変だろ。乗ってけよ」

「え! いいの?」

「荷台でもいいならな」

「乗りたい乗りたい!」


 楓ちゃんの提案にはじめが目を輝かせる。私としても楽できるからありがたいけど、多分はじめが食いついてるのはその部分じゃないだろう。


「わぁ、気持ちいいー」

「危ないわよ」

「へーきへーき!」


 楓ちゃんのお父さんが運転する軽トラの荷台ではじめは立ち上がり、軽トラの頭を掴んで風を受けた。綺麗な金髪が風になびき、春の日照りを反射して輝く。ここで育った私は慣れたものだけど、はじめにとって軽トラの荷台に乗るという体験は新鮮みたいで、弾けるような笑顔で楽しんでいた。危ないから止めるべきなんだけど、余命僅かな彼女を叱る気なんて起きない。もしもの時は魔法を使えばいい。そう判断して、楽しそうなはじめの横顔を眺めていた。


「そんじゃあな。また連絡するわ」

「うん、ありがと」


 家に到着して軽トラを降りると、すぐに楓ちゃんは帰ってしまった。せっかくだし一緒にご飯でもと思っていたけど、彼女は思ったよりも忙しいらしい。


「おー、ここはいちかの実家かぁ」

「そんな面白いものじゃないでしょ」

「あたしは楽しいよ」


 はじめが私の家を見上げる。田舎道に沿うように建てられた二階建ての一般家屋。特段広くも狭くもない、ボロいわけでもピカピカなわけでもない、特筆する点の無い家は相変わらずだった。


「ただいま」

「おかえりー」


 相変わらず鍵をかけていない玄関を開け、返事を期待せずただいまと言うと、気怠そうに間延びした声が返ってきた。お父さんでもお母さんでないけれど、この声を私は知っている。まさかと思っていると、声の主が居間から顔を出した。


「うげ、なんで居るの」

「いやいや、そりゃいるでしょ。じぶんちなんだから」


 思った通りの人物が現れ、反射的に毒を吐いてしまう。眠たげな目をした眼鏡の男が、ぼさぼさ髪を搔きながら現れた。せっかく高い身長も腰を曲げて無駄にするだらしないこの男は、恥ずかしいことに私の兄なのだ。


「その子がうちに泊まる子?」

「はい! 華猫はじめです!」

「ご丁寧にどうもー。一花の兄の一颯いっさです」

「お兄ちゃんなんだ! 似てないですね!」

「あははー、よく言われるよー」


 はじめの失礼な物言いもあっさり受け入れて笑い飛ばす。兄さんは昔からそうだ。何でも許してしまう。兄さんにはプライドがないのだ。弱い自分を許せない、誰にも負けたくないという一心で一番を目指す私とは何もかも反対で、とても同じ親に育てられたとは思えない。性格があまりにも違うせいか、どうにも私は兄さんが苦手だった。ただ、兄さんは何でも許すし、意見が食い違ってもすぐに折れるから、喧嘩をしたことはない。


「はじめ、とりあえず私の部屋に荷物置きに行くわよ」

「おやつ用意してるから、落ち着いたら降りてきてな」

「そう」


 兄さんに適当に返事をして、若干軋む階段を上り、私の部屋に入る。ここを出る前と変わらないけど、定期的に掃除をしてくれているのかホコリが積もっている様子はなかった。簡素なベッドに飾り気のない灰色のカーペット。書籍は全部東京に持っていったから、本棚も勉強机もがらんどう。我ながら寂しい部屋だ。


「お兄さんのこと嫌いなの?」

「嫌いってわけなじゃいわよ。ただ、価値観が合わないってだけ」


 兄さんは苦手だけど、嫌いではない。優しいことは美徳だと思うし、誰も傷付けない兄さんの生き方も価値のあることだと思う。あまりにも価値観が違いすぎるせいで仲良くとはいかないけど、近くに居て不愉快に感じることはない。わざわざこんなことを聞くなんて、気遣ってくれているのだろうか。相変わらず、奔放なようで周りをよく見ている。


「降りておやつにしましょ。お父さんもお母さんもそろそろ帰ってくるらしいし」

「やったー。どんなスイーツかなー」

「大したものは出ないわよ。田舎だもの」


 ワクワクしてるはじめには申し訳ないけど、こんな田舎では東京に慣れた私たちのテンションが上がるようなものは出ない。予想通り、出てきたおやつはおすそ分けでもらったらしいひと房のブドウ。ただ、どんなものでもキラキラスイーツになる東京では見られない素朴な姿は、はじめにとっては逆に新鮮だったようで、おいしそうにブドウの粒をつまんでいた。


 ブドウを食べ終えてしばらく経った午後5時、玄関が開く音が聞こえた。出迎えるために玄関に向かうと、先に帰ってきたのはお母さんだった。


「あら一花。おかえり」

「ただいま。あと、おかえり」

「ただいまー」


 ただいまで、おかえり。すこしこそばゆいやり取りをして、お母さんが両手に提げた買い物バッグを受け取った。


「今日はすき焼きよ」


 二年ぶりのお母さんは相変わらずほわほわしてて、私の帰りを喜んでくれているのが、両手の重みから感じられた。


「あなたが一花のお友達?」

「はい。華猫はじめと申します」

「あらあら、いつも娘がお世話になってます」

「いえいえ! あたしもいちかのおかげで毎日楽しいです!」


 はじめの元気がいい自己紹介に、お母さんは朗らかに笑う。はじめのキラキラ笑顔はやはり好感触のようだ。


「一花が友達連れてくるなんて珍しいわね。しかも、東京からこんな田舎になんて」


 キッチンで夕食の準備をしている時、野菜を切りながらお母さんがそんなことを言った。確かに楓ちゃん以外はこの家の敷居を跨いだことはない。みんなが私から一線引いていたのもあるけど、私もみんなを敵だと思っていたから友達がいなかったのだ。高校で一気に環境が変わって、そんな棘はすっかり抜け落ちたけれど、今思うと自分を追い込み過ぎてたな。


「はじめが来たいって言ったの」

「ふふっ、本当に仲良しなのね」


 お母さんは私に良い友達ができたことを素直に喜んでいた。心なしか包丁のリズムが軽妙になる。仲良し、か。はじめのお願いなら何でも叶えたい。私の一番を奪っていった憎きライバルに、そんな事を思うようになったのはいつからだっけ。


「いただきます」


 すき焼きができたころにお父さんも帰ってきて、みんなで卓につく。二年ぶりの家族団欒にはじめが混じっている光景は、不思議だけれど違和感はなかった。


「はじめちゃん、東京での一花はどんな感じなんだ?」

「なんでも一番になってやるってストイックに頑張ってますよ」

「がははっ! 向こうでも一花は一花か」


 お母さんと反対で陽気なお父さんは、相変わらず豪快な笑い声で食卓を明るくする。子どもに譲ることなく容赦なく肉を取っていくのも変わらない。元気そうで何よりだ。


「でも、それ以上にみんなのことを思ってて、たくさんの人に慕われてて、あたしもそんないちかが大好きなんです」

「へぇ、あの一花が」

「あのって、どの私よ」


 誰かを気にかけるのが意外とでも言うようなお父さんの物言いに突っかかる。バカにする意図はないけれど、できないと思われていたことが気に食わなかった。


「そりゃあ、昔の一花は私の敵は全部ぶっ潰すって、いっつも殺気立ってたからな」

「そうなんですか?」

「おうよ。家に帰っても勉強かトレーニングばっかしてて、誕生日プレゼントも参考書とかばっかり欲しがってた。まぁ、頑張るのは良い事だから応援してたけど、心配でもあったんだよ」


 昔の私を知らないはじめがお父さんの話に興味を示す。それに答えるようにお父さんは親から見た昔の私について語った。私は親に頑張るなと言われたことはない。だから、一番を目指す私を誇ってくれていると思っていた。心配させていたなんて露程も思わず、かつての自分の未熟さが恥ずかしくなる。


「それがみんなから慕われるようになって、こんないい友達もできて、親としてこんな嬉しいことはねぇよ」


 お父さんはビールをあおりながら、いつもとは違うしみじみとした笑みを浮かべる。親の心子知らずとは言うけど、まさか自分がそうだとは思っていなかった。親が一番を目指す私に向けていたのは期待なんかじゃない。幸せになって欲しい、笑っていて欲しいという愛情だった。


 ライバルから、好きな人に。私もはじめに対して、いつの間にかライバルとして強くあって欲しいという思いより、幸せになって欲しいという思いが強くなっていた。お父さんを通して、自分の愛のカタチが言葉になる。でも、その想いが報われることはないという現実に胸が締め付けられた。


「そうそう。一花が立派になって、お兄ちゃんも鼻が高いよ」

「お前はもうちょっと頑張れ。一花とは逆方向に心配だぞ」

「だ、大丈夫だって。ちゃんとやりたいこと見つけたから」

「ほんとかー?」

「まぁまぁ、一颯には一颯のペースがあるのよ」


 横から入ってきた兄さんに話題が逸れる。頑張りすぎる私と、頑張らなさすぎる兄さん。極端すぎる私たちに手を焼いたろうなと苦労を察した。


「まぁ、なんだ。これからも一花と仲良くしてやってくれ」

「あっ……」


 はじめに向き直ったお父さんが残酷なことを口にする。叶う事のない、私たちのこれから。途切れることが決まった未来の話は、はじめにとってどれだけ辛いのだろうか。


「はい!」


 それなのに、はじめは弾けるように笑って見せた。叶えられない願いに頷いて、それはどれだけ虚しいのだろう。誰よりも未来を望んでいるだろうに、どれだけ悔しいだろうか。大好きなはずのはじめの笑顔が、私の心を押し潰す。胸の中がぐしゃぐしゃになって、せっかくお母さんが作ってくれたご飯も喉を通らなくなった。

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