第17話 魔王
はじめが好き。そう自覚してからの日々は、まるで流れ星のようにあっという間に過ぎ去っていった。負け続けた日々を取り返すには、はじめに勝ち越す必要がある。弱かった私がはじめを不安にさせた過去は消えない。その清算のためにも、私が強いってところを見せないと。
「バスケの1on1よ!」
「よっしゃこい!」
周りのみんなが部活の手を止めて観戦するほど白熱するバスケ勝負。細かいステップと身体さばきが得意なはじめにはいつも手を焼くけど、身長の高い私の方が有利だった。
「今日はクイズで勝負よ!」
「早押しなら負けないよ!」
一瞬の判断が命取りな早押しクイズ。知識量なら負けないけど、大胆な判断で早押しができるはじめの方が勝ち星が多かった。
「華道部部長の私に勝てるかしら?」
「芸術は天才の土俵だよ」
生け花勝負はさすがに私が有利だったけど、はじめの調子がいい時にできる作品は私に作れない傑作ばかりだった。
何度も勝負をしていくうちに、だんだんと互いの僅かな得手不得手が勝敗を分けるようになってきた。身体能力や経験が重要な勝負は私が、センスと大胆な判断が重要な勝負ははじめが有利。そんな中でいろんな勝負を何度もやって、3学期の期末テスト前には600回の勝負を重ねていた。
「300勝300敗。この期末テストで一年の勝者が決まるわね」
「ふふん、テストはあたしの全戦全勝だもんね。これであたしが上だって分からせてあげる」
夏休みを終えてからはじめに勝ち越して、なんとか追いつくことができた。戦績が並んだ状況で迎えた期末テスト。これで一年の勝者を決めるという約束だ。はじめの言うようにテストは負け続きだけど、回を重ねるごとに点差は縮まっている。努力を重ねて追いつくのは私の専売特許。この重要な勝負で勝ってこそ、努力は天才に勝る証明になるのだ。
「見るわよ」
「うん!」
意を決して張り出された結果を見る。どっちが上なのか、祈るようにゆっくりと下から名前を確認していった。
華猫はじめ
狼谷一花
順位表で名前が上にあったのは、はじめだった。この一年の総決算である最も大事な勝負。そこで勝てない自分の弱さに肩を落としたその時、周囲の反応がおかしいことに気がつく。妙な静寂が場を支配し、隣のはじめも勝ったはずなのに反応が薄い。何か変なことがあったのだろうかと、もう一度顔を上げると、すぐに原因に気が付いた。
1位 華猫はじめ 900点
1位 狼谷一花 900点
二人とも全教科満点の同率一位。はじめの名前が上にあったのは、ただ単純に五十音順ではじめの方が先だったから。引き分け。私たちの勝負に今までなかった概念を前にして、はじめと顔を見合わせる。
「ぷっ、ふふふ……」
「くっ、ははっ」
『あっははははははっ!』
はじめと笑い声が重なる。ここで全部決めるつもりでいたせいか、今日の緊張感が一気にほどけて、もう全部が可笑しくなってしまった。勝負がつく前提でいた600回の積み重ねの分だけ引き分けという結末が面白くて、全く想定してなかったのに、どうしてか私達らしいなと納得してしまう。
300勝300敗1分け。それが私たちの一年の結末だった。
「もう一戦してみる?」
「もういいかな。これがあたしたちの運命なんだよ」
一応の提案はすぐに却下された。一年の戦績ではじめを上回る以外に、もう一つここで勝ちたかった理由がある。私はあの温泉旅行ではじめに一番を奪われた。はじめに伝えていない170敗目。それを入れると300勝301敗1分けになる。私の中ではまだはじめに負け越しているのだ。もしテストで勝てていれば、私の中では対等に、表面上は勝ち越して、完璧な一年の締めとすることができたのに。まぁ、どっちも満点なら仕方ないけど。
「次の一年はあたしが勝つから」
「どうかしら。後半は私の方が勝率高かったわよ」
「それを超えていくのが天才なのだよ」
「生意気すぎー」
天才アピールをするはじめの頬をつつく。もちもちほっぺに癒されて気が抜けそうになるのを耐えながら、軽口を叩いて次の勝負を見据える。対等に戦えるようになってから、一番を争うライバルらしくなれた気がした。
「今日は奮発して、手巻き寿司でーす」
「おー、刺身が輝いてる」
その日の夜、私の部屋で一緒に夕食を食べることにした。中トロやサーモンといったオールスター勢揃いのキラキラ輝く刺身たち、寿司桶に盛られた酢飯、黒光りする高級そうな海苔がテーブルに並んでいる。食卓を彩る食材たちに手を合わせ、オールスターを選抜するために箸を延ばした。
「中トロ、サーモン、ブリ、いくら、ふふふ、これぞ手作りの醍醐味」
はじめは欲望のままに海鮮を巻き、ごちゃごちゃ派手な手巻き寿司を作り上げる。食べる前から勝ちが確定した海苔巻きをほお張り、案の定大勝利といった笑顔を見せた。
「欲張りさんね」
「だって、好きなもの食べたいじゃん」
「こういうのはバランスが大事なの」
私が作ったのはサーモン、マグロの赤身、大葉、卵焼き、キュウリの手巻き寿司。大葉の香りときゅうりの食感、卵の甘味が海鮮のポテンシャルを引き出す。このハーモニーこそが料理の肝だ。
「もうすぐ三年生かぁ」
「受験が始まるねー」
春休みが明ければ私たちは三年生。受験を見据えて将来を考えなければならない。文化祭が終わってから徐々に周囲が騒がしくなってきて、トラ子とすずめも勉強をしている姿をよく見るようになった。
「いちかは進路決めてるの?」
「もちろん、目指すは東大よ」
何があっても一番を目指すという事は変わらない。目指すなら日本一の大学だ。
「じゃあ、あたしもそうしよっかな」
「そんな軽いノリで進路決めていいの?」
「だって、いちかが居ないとつまんないんだもん」
二個目の派手盛り手巻き寿司を作りながら、はじめは私を理由に進路を決めると言い切った。どんな大学に行くかは自分の将来に直結する。友達が行くからという理由で選んでいいものじゃない。でも、はじめは私のことが一番で、それは他の何よりも優先される。学部で選ぶよりもある意味で将来を見据えているのかもしれない。
「じゃあ、私が政治家になったら秘書にでもなるの」
「うーん、それはちょっと違うかも」
大学のその先、大人になって何をやりたいか聞くと、それは私を追いかけるわけではないらしい。私が一番とか、好きとか、一緒がいいとか、そんなことばかり言われてきたから、はじめのその答えは意外だった。
「あたしね、カフェを開きたいの」
「カフェ? それまたどうして」
不動産王とか、石油王とか、どんなトンデモ回答が来るかと身構えていたら、意外と普通の夢も持っていた。カフェのマスター。あまりのも牧歌的な夢は、才能あふれる今のはじめとは結び付かない。理由を聞くと、手巻き寿司をいったん皿に置いて真剣な面持ちで話し始めた。
「あたし、いちかと出会ってはじめて自分の居場所ができたの。トラちゃんもすずめちゃんも、クラスのみんなも、あたしのことを受け入れてくれて、本当に幸せだった。だから、あたしもそういう場所を作れたらいいなって」
自分がされて嬉しかったことを分け与えたい。誰かの居場所を作りたい。私だけじゃない他の誰かに愛を向けるはじめに成長を感じる。慈愛に満ちた彼女の笑顔は、きっと素敵なカフェを作るだろうと思わせた。
「いいじゃん。はじめならできるよ。料理得意だし、元気だし、可愛いし」
「可愛いって、それ関係あるかな」
「はじめ目当てで通う人とか絶対いるよ」
贔屓目なしにはじめは可愛い。さらに料理もおいしいとなれば、大人の憩いの場にも、学生の癒しの場所にもなるはずだ。今すぐ始めたとしても繁盛間違いなしだろう。
「そういうのは嫌かなぁ」
「アイドル売りは嫌?」
「いちかが妬いちゃうもん」
はじめに言われて、たくさんの人がはじめ目当てに集まるカフェを想像する。それに応えるようにはじめも笑顔を向けて……それは少し、愉快な光景ではなかった。
「……ばーか」
「いてっ」
ただ、それを認めてしまうのは302敗目を献上するという事。弱めのデコピンで牽制して、黒星を重ねるのを回避した。
「はじめなら何やってもうまくいくよ。天才だし」
「とーぜん! あたしは天才マジカル美少女ですから」
はじめは目元でピースを作り、ウインクで星を飛ばした。すっかり板についた天才マジカル美少女。そういえば、魔法少女っていつまで続けられるんだろう。
「それに、いちかと二人なら無敵だよ♪」
「大人になっても一緒に居るつもり?」
「いちかと一緒がいいんだもん」
「まったく、このわがまま姫は。でも、アンタと一緒なら退屈しないかもね」
仕方ないという態度を装っているけど、本当ははじめが私と共にいる未来を思い描いてくれている事が嬉しくてたまらない。でも、まだ飛び跳ねて喜ぶわけにはいかない。正式に共に歩む未来を語り合うのは、想いを告げてからだ。
「じゃあ、大人になっても一生一緒! 約束!」
「まぁ、そういうのもいいかもね」
はじめが差し出した小指を迷わず結び、指切りをする。次の勝負で勝って、私の中で対等になれたら想いを伝える。改めて決意を固め、彼女の温度が残る小指を見下ろした。
「そろそろデザートにしようか。あれ、どうしたのクロ」
デザートを食べようとした時、カーペットで丸まっていた黒猫の使い魔が起き上がり、窓のほうに歩いて行った。はじめが魔法少女になる前から居る不思議な使い魔。それは今も変わらず、呼び出さなくても勝手に出てきたり、いつの間にか部屋で寝ていることもある。
「タノシイジカンハ、モウオシマイ」
「え?」
二つの衝撃が同時に走る。一つ目はクロがしゃべったこと。はじめには白猫と黒猫の使い魔がいるけど、どちらも私のヴォルのようには話さない。その理由は、私が魔法少女の説明をしたせいだと勝手に結論付けていた。もう一つは目の前の光景。カーテンが勢いよく勝手に開かれ、窓の向こうの光景が露わになる。虹色の空と黒に染まった建物。そこは紛れもなく魔界域だった。
「マオウガクルヨ」
「ま、魔王?」
魔王が来るよ。クロは間違いなくそう言った。その意味を問いただすより先に私の部屋の景色がガラスのように砕け、次の瞬間には黒に染まったビル街の中に立っていた。
「い、いちか。あれ……」
状況が理解できない。でも、時間は待ってくれない。初めて魔界域に入った時のような恐怖に染まったはじめの表情。確かな異常事態を前に、言われた通りに空を見上げた。
「は……?」
ここは魔界域。頭上には虹色が広がるはずだ。しかし、私が見たのは星の見えない夜空のように黒く染まった天井。それはシャドウの群体だった。雑魚の塊なら私達で一掃できただろう。しかし現実は、非現実的な絶望を突き付けてきた。
「ミツケタ」
「ミツケタ」
「ミツケタ」
「「「「「「ミツケタ」」」」」」
空を覆いつくす人型シャドウの集団が、地の底から響くような歓喜の声を上げ、敵意と悪意に満ちた笑みを浮かべていた。たった一体でもあんなに苦戦したのに、数えることを諦めたくなるほどの群体が迫ってきている。絶望なんて言葉も生ぬるい状況を前に足がすくんだ。でも、どんな状況でも負けるわけにはいかない。この世界の、そして私とはじめの未来のためにも。
「大丈夫。私達なら勝てる」
「いちか……」
「二人なら無敵、でしょ?」
「……そうだね。勝って、一緒にデザート食べよう!」
怖がるはじめの手を取って鼓舞する。私の目を見たはじめは徐々にいつもの強気な目に戻り、戦う決意を固めた。さっきまでの絶望も、はじめと一緒なら大丈夫な予感がした。
『フェアリーチェンジ!』
ステッキを呼び出して、声を重ねて変身する。負ける気なんて毛頭ない。私達が負ければ全部が終わるんだ。未来を守るため、全力でシャドウに向かって必殺技を放った。
〇〇〇
「うぐっ……くっ」
全身が痛む。視界がはっきりしない。あれからどれだけ戦っただろうか。襲い掛かる人型シャドウを斬って、斬って、ただひたすら斬って、何と戦っているのか分からなくなったころ、腹に鈍い痛みが走った。そこで記憶は途切れ、もやのかかった頭の中で、限界まで戦っていた感覚だけが残っている。
「はじめ……トラ子……すずめ……」
周囲を見れば、黒い瓦礫の上に意識を失ったみんなが倒れていた。トラ子とすずめも来てたんだ。あとから応援に来たのか、最初からいたのか。人型シャドウに手も足も出ない二人は私とはじめ以上に絶望的だったろうに、逃げずに戦ってくれたんだ。
「ツヨキモノヨ」
声が頭に響き、反射的に空を見上げると、そこには巨大な黒い腕があった。魔界域の虹色の空が割れて、禍々しい黒い裂け目から腕が伸びている。空から地面まで届く長い腕を守るように、羽が生えた人型シャドウが飛び回っていた。こいつが人型シャドウの親玉か。力を振り絞ってスターライトブレードを構えるが、もはや敵とすら認識していないのか、人型シャドウも巨大な腕も攻撃してこなかった。
「ニエヲササゲヨ」
また頭に声が響く。聞き慣れない言葉に一瞬理解が遅れた。ニエ、ヲ、ササゲヨ。境界を破壊せずに私が起きるのを待っていたということは、こいつらの目的は世界の崩壊じゃない。こいつらは生贄を欲している。
「贄……見つけた……まさか!」
こいつらの探し物。私も、トラ子も、すずめも、人型シャドウに違うと言われた。だとすれば、こいつらが見つけた生贄は……
「そんなこと許さない!!」
感情のままスターライトブレードを握り込む。身体に残ったすべての魔力を込め、天まで伸びる光の剣を魔王に振り下ろした。人型シャドウであっても一撃で屠り去るソウルバーストの必殺技。はじめを守るという意思が限界以上の力を引き出した。
ガキン
しかし、私の全身全霊の最大火力は、いとも簡単に魔王の指先で弾き返された。
「うそ……」
私の心を表すようにスターライトブレードがへし折れる。魔力を使い切ったことで変身が解除され、心身ともに限界を迎えた私は地に膝をつき、ただ空を見上げることしかできない。空には魔王の腕と無数の人型シャドウ。もはや勝ちの目は残されていない。絶望に打ちひしがれる私に向かって、魔王の腕が振り下ろされた。
「いちか!!」
諦めて目を閉じた瞬間、はじめが私を守るようにして抱きしめた。だめだ。逃げて。一秒でも長く生きて。そう言って跳ね退けたいのに、私には声を出す力すら残されていなかった。
「……あれ」
死を覚悟していたはじめが、いつまでたってもやってこない衝撃と痛みに違和感を覚え、気の抜けた声を出す。振り下ろされた腕がすんでのところで止まったのだ。その動作が私の推測に確信を与える。
「マッテイルゾ。ワガニエヨ」
威厳がありながらどこか上機嫌な声が頭に響く。それと同時に魔界域が崩れ、私とはじめはもと居た場所に戻っていた。窓際に居たクロはどこかに消えていて、窓の外には黒い夜空が広がっている。どう足掻いても勝てない敵の出現。しかもやつらは、はじめを生贄にしようとしている。私が感じていた予感が最悪の形で現実となった。
「はじめ……?」
それなのに、どうして笑ってるの。はじめ。
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