第22話 才能

 あたしは生まれた時から一人だった。物心ついた時には孤児院に居て、両親の顔も声も思い出せない。華猫はじめという名前だけが、あたしに親が居たという唯一の証拠。でも、それを不幸だとは思わなかった。親が居なくたってきっと幸せになれる。だって、こんなにもたくさんの人がいるんだから。


「もう私と関わらないで」


 あたしに絵を教えてくれた女の子は、あたしの絵を見て冷たくそう吐き捨てた。その日以来、彼女が絵を描いてる姿も見なくなって、言葉を交わすこともなくなった。一緒にバスケを習った男の子も、同じチームでサッカーをした女の子も、ピアノ教室に誘ってくれた女の子も、みんな同じようにあたしから離れていった。


「あなたが傍にいると、私は自分を嫌いになるの。自分はちっぽけな存在で、弱くて、醜くて、生きる価値なんてないって。あなたの才能は、悪意なく人を否定するのよ」


 絵を教えてくれた女の子は、最後にそう言い残して施設を出て行った。あたしは覚えていないけれど、六歳年上の彼女は、言葉もおぼつかないころのあたしの面倒をよく見てくれていたらしい。そんな彼女ですら、あたしを受け入れてくれなかった。親のいないこの施設の子どもたちにとって、得意なことは自分のアイデンティティと深く結びついている。だから、あの子は何も悪くない。悪いのは、才能を振りかざしてみんなを否定してしまったあたしだ。


 誰かに愛して欲しかった。心の底から笑い合える友達が欲しかった。でも、あたしの才能はいたずらに人を傷付けるだけのもの。天から与えられた才能は、贈り物ではなく、呪いになってしまった。それでも、幸せを諦めたくなかった。人を不幸にしてきたこの才能も、何よりあたし自身も、生まれてきたなら何か意味があるはず。その何かを探すため、中学生の年齢になったあたしは施設を出ることにした。


 もともとあたしは施設の中では輪を乱す腫れもの扱い。孤児院を支援してる人たちも扱いに困っていたことを利用して、引き取り手のいないまま施設を出るための金銭を含めた様々なサポートをしてもらった。必要最低限の支援の中で始まった中学生活は、施設暮らしの今までとは何もかも違って、新鮮で、怖かった。


「はじめちゃん、今日も助っ人お願いできる?」

「赤点で補習は嫌なの! 勉強教えて!」


 中学校ではみんなに頼られることが増えた。あたしの才能でみんなが笑顔になる。大変だけれど、皆があたしを必要としてくれている。これがあたしの才能の意味なんだ。ようやくあたしが愛される場所を見つけたんだと思った。でも、それが間違いだと気が付くのに時間はかからなかった。


「あの子、親いないんだって」

「へー、かわいそー」


 課題の答えを写させてあげるため、ノートを持って教室に来た時、そんな話し声が聞こえてきた。授業参観や他の学校行事で親が来なかったせいでバレたのだろう。やっぱり、誤魔化して生きていくには限界があるみたいだ。


「でも私らにとっては得だよね。どんなにこき使っても文句言う親がいないんだから」

「たしかに! いじめだーとか言われたら、進路に影響するもんね」


 自分たちにとって得。親が居ないあたしに対してそんな結論を出した彼女たちの話を聞いて、ようやく自分が道具扱いされていることに気が付いた。あの子たちが求めていたのはあたしではなく、使い勝手のいいあたしの才能だった。あの子たちが分かりやすいようにまとめたノートを廊下から投げ捨てて、逃げるように駆け出す。誰も私を愛してくれない。あたしをあたしの才能が蝕んでいくのが分かった。


 みんなの頼みを断るようになると、利用価値のない才能は目障りだとみなされるようになった。親がいないあたしはどれだけいじめても問題になりにくい。みんなのいじめはどんどんエスカレートしていって、才能に関係なく友達でいてくれていた子も、いじめの対象になりたくなくてあたしから離れていった。


 あたしは何のために生まれてきたんだろう。この才能には何の意味があるんだろう。こんなにも孤独で、こんなにも不幸な人生に意味なんてあるのだろうか。揺らぎ続ける存在意義と、少しずつ削られていく未来への希望を誤魔化すため、あたしは自分の才能を振るうようになった。


 卓球部と剣道部と柔道部の個人戦で全国優勝。美術部と書道部で金賞受賞。テストではいつも満点一位。どれも何の苦労もなく達成できてしまった。そうなると学校では嫌でも目立つようになって、いじめをしていた生徒たちはあたしを避けるようになった。全国優勝で新聞にも取り上げられるようになったあたしをいじめるのはリスクが大きすぎるのだろう。陰口は消えないけれど、直接暴力を振るわれることはなくなった。


 たくさんの賞状とトロフィーを手に入れて、何者かになれた気がした。今のあたしなら誰かが愛してくれるかもしれない。そんな希望を抱いて振り返ったけれど、そこには誰もいなかった。一番の証はあたしを敵意から守ってくれたけれど、同時にみんなが追い付けないほど遠く離れた場所まで突き飛ばした。あたしの存在意義にも、才能の意味にもならない、ひどく空虚な一番の証。それが憎くてたまらなくて、額縁に入れていた賞状を引き裂いた。こんなことで気持ちが晴れるわけないのに。


 みんなを傷付けたとしても、天才として才能を振るい続ける。16年の人生で辿り着いた答えは不本意なものだけれど、これが一番傷付かずにいられる道だった。


「私と勝負しろ!」


 そんな時、いちかと出会った。テストで負かしたはずの彼女の瞳はメラメラと燃えていて、才能を自覚していなかった頃のあたしが、どうしてあんなにもいろんなスポーツや芸術に手を出していたかを思い出させた。あたしは誰かと勝負するのが楽しかったんだ。あの瞬間だけは相手があたしのことでいっぱいになって、愛されているような気分になれた。全力をぶつけ合うあの感覚が、あたしの孤独を癒してくれた。心を曝け出す全力の勝負が大好きだったんだ。


「次はバスケの1on1よ!」


 100メートル走で負かしても、いちかは次の勝負を挑んできた。何度負かしても諦めない姿は眩しいくらいキラキラしてて、全力の勝負が本当に楽しくて、すぐ好きになったんだよ。でも、好きになると同時に怖くなってしまった。負け続けたらいちかもあたしから離れていくんじゃないかって。いちかを否定して傷付けてしまうんじゃないかって。


「……じゃあ、一番返すね」


 だから、いちかにとって一番が特別なものだと知った時、勝負の楽しさを捨てようとした。


「天才には誰も勝てない。そういうものなの」


 一番を競うことは楽しい。でも、ようやく出会えた運命の人を傷付けるくらいなら、楽しみの一つくらい捨ててしまった方が良い。あたしを友達だと思ってくれるだけで十分に恵まれている。これ以上欲張ったら罰が当たってしまうって。


「ばーか」


 そうやって諦めようとした私を、いちかは否定してくれた。中学の頃に憎しみから受けていた痛みとは全く違う、いちかのデコピンの痛み。傷付けるためじゃなく、あたしを想っての痛みだとすぐに分かった。


「自惚れも大概にしなさい。あんたが負けなかったのは、周りの奴らが諦めたからよ。私は違う。絶対に一番を諦めない。相手がどんな天才でも勝って見せる。だからあんたは胸張って一番でいなさい」


 絶対に諦めない。あたしの不安を見透かしたような言葉。愛してもらうにはどうすれば良いんだろうとずっと考えていたのに、そんな必要はないんだって、ありのままのあたしでいいんだって、初めて自分を肯定してもらえた。あたしはあたしのままでいい。それがどれだけ救いになったか。いちかとずっと一緒に居たい。熱を帯びた恋が、そんな想いとして形になるまで時間はかからなかった。


「どうよ、初めての敗北の味は」

「いちかのこと、もっと好きになっちゃった」


 全力で戦って初めて負けた時、悔しさを約束を果たしてくれた喜びが押し流した。いちかはちょっと困ったような顔をしてたっけ。


「もう我慢しないで。わがまま言って。はじめのこと絶対に嫌いになんかならないから」


 孤独と敵意にさらされ続けてきたあたしは我慢することばかり覚えていた。そうすれば誰も傷付けずに済むし、自分の傷も最小限で収まるから。そんな幸せに蓋をするような行為をいちかは許さなかった。


「どうして、そこまでしてくれるの」

「大切な友達だからよ」


 見返りを求めない愛情。親もいない、本当の友達もいない。そんなあたしが初めて向けられた愛は、心の温かみを教えてくれた。いちかには本当に敵わない。あたしが欲しい言葉を、あたしが欲しいものをなんでもくれるんだから。


 いちかと一緒に過ごしていく中で、あたしはありのままの自分でいられるようになった。いちかと一緒に居られるのが幸せで、これがあたしの生きている意味なんだと思えた。いちかとの本気の勝負は本当に楽しくて、これがあたしの才能の意味なんだと思えた。いちかとの出会いがあたしの人生に意味をくれたんだ。


「あたしね、カフェを開きたいの」


 そしていつしか、自分の夢を持つようになった。自分の居場所は、自分の生きる意味になってくれる。あたしはそれで苦しんで、いちかと出会うまで誰も助けてくれなかった。そんな人たちに手を差し伸べたい。あたしみたいに苦しむ人を少しでも救いたい。そんな想いが芽生えた。これも全部、いちかのおかげなんだよ。


 いちかのおかげで幸せになれた。そして、これから先の未来も幸せであふれている。……そう、思っていたのに。


「ミツケタ」


 あたしの幸せは一瞬で崩れ去った。

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