第10話 約束と責任
華猫さんと出会って一ヶ月が経った。今に至るまで何度も勝負を挑んだけど、未だに一勝もできていない。でも、少しずつ勝利に近付いてきている感覚があった。
「……視線を感じる」
放課後。教室で勉強していたら、背後からじっとりとした視線を感じた。最初に気が付いてから三十分くらいだろうか。そろそろ本腰を入れて視線の主を探そう。これじゃ勉強に集中できないし。
「誰かいるの?」
席を立って声をかけてみる。下校時間も近付いてきたから、教室には私以外誰もいない。しんと静まり返った教室に私の声だけが寂しく響いた。なんかだかホラー映画の導入みたい。
「なんか怖いわね」
「怖くないよ!」
「うわぁ!」
ぼそりとひとり言をこぼすと、掃除用具入れから華猫さんが勢いよく飛び出してきた。教室のドアの後ろにいると予測していたから、警戒していなかった方向からの大声にビビってしまう。
「なんでそんなとこに隠れてるのよ。かくれんぼでもしてたの?」
「えっーと、いちかの顔がかっこよくて、あそこでずっと見てたの」
飛び退いてぶつかってしまった机を直しながら、華猫さんに事情を聞く。ずっとって、一体いつからだろう。視線を感じ始めたのは三十分前だけど、それより前は他のクラスメイトが居たから気付かなかっただけかもしれない。
「見えないでしょ」
「隙間から見えるもん!」
とりあえず真っ当な指摘をしてみると、華猫さんは掃除用具入れを指さしながらそう言い返してきた。確かに外が見えそうな隙間があるけど、私の机から距離があるし、顔なんてまともに見えないだろう。
「何か言いたい事でもあるの?」
「えっ、いや、だから、いちかの顔を」
「嘘つかないで」
咄嗟の嘘を突き通そうとする華猫さんの言葉を遮る。さっきから返答がおぼつかないし、私の顔が見たいなら真正面に居座るのが普段の彼女だ。なにより、私の顔がかっこいいと言った時、私の目を見ていなかった。
「ほら、私のご尊顔が目の前よ」
「う、うぅ」
華猫さんに迫って壁まで追い詰めたけど、まだこっちを見てくれない。逃げ場を無くしても彼女は黙り込んだままで、今すぐ彼女の口を割らせる方法も思いつかなかった。
「それじゃあ、明日の勝負、勝った方のお願いを一つ聞くっていうのはどう?」
「え? いいの?」
いいのって、私まだ負けてないんですけど。私がお願いを聞く側だと確信しているようなキョトンとした顔の両頬を引っ張って、ささやかな抗議をしてやると、ようやく華猫さんと目が合った。
「今度こそ私が勝つから」
「ふふん、望むところだよ。勝っていちかに言う事聞かせてやるんだから!」
華猫さんがいつもの賑やか雰囲気にもどる。何を隠しているか知らないけど、この子にあんならしくない顔をさせる何かがあるなら取り除きたい。コンディションの悪い相手に勝ったところで、私は満足できないから。
「一花、そろそろ帰る……ぞ」
私を迎えに来たトラ子がの表情と身体が固まる。その瞬間、今の自分たちが誤解を与える恰好をしていることに気が付いた。二人きりの教室で華猫さんを壁際まで追い詰めて、腕で逃げ道を塞ぐことで逃げられないようにしている私。まるで私が華猫さんを襲っているみたいじゃないか。
「し、失礼しましたー」
「違うから!!」
「いやん、いちかってば大胆」
「あんたも乗っかるな!」
トラ子が控えめな声でゆっくりドアを閉める。この状況を招いた天才にチョップをくらわせ、誤解を解くためにトラ子を追いかけた。
〇〇〇
頬から汗がしたたり落ちる。ギラギラと照り付ける太陽に下で、私と華猫さんは向き合っていた。心臓が痛いくらい激しく鼓動する。それは単純な疲労によるものだけじゃなく、この状況の緊張感によるものでもあった。
「らぁ!」
トスしたテニスボールをラケットの中心でとらえる。今日最高の当たり。凄まじいスピードのサーブに、さすがの天才も反応できず、ワンバウンドしたボールはコートを囲むネットに突き刺さった。
「ゲームアンドマッチ、ウォンバイ狼谷!」
「よっしゃ!」
審判の宣言と同時に腕を天に向かって振り上げる。私のガッツポーズと共に試合を観戦していた生徒たちから歓声が上がった。すっかりお決まりとなっていた不定期開催の私と華猫さんの勝負。初めての勝負から32日、計88敗してようやく手に入れた初勝利の味は格別だった。
スポーツは選手本人の能力も必要だが、それ以上にデータが重要だ。どんな強い相手でも、分析されれば勝利は難しくなる。これまでの試合でトラ子に撮ってもらっていた映像を分析し、今日に備えたことで勝つことができた。
歓声を浴びる私とは対照的に、向かい側にいる華猫さんはコートにへたり込んで、両手をじっと見つめている。今まで負けてこなかった彼女は、まだ状況が呑み込めていないみたいだ。
「あたしの、まけ……」
傍まで寄って耳を澄ませると、彼女はようやく言葉を落とした。何の感情もない、ただ事実を噛み締めている言葉。勝ち続けてきた彼女の初めての敗北。この天才の心はいったい何を感じるのだろうか。
「すごいなぁ、いちかは」
なにかに安堵したかのような、いい映画を見終わった余韻のような、棘の無い丸くて柔らかい感情。私を見ないまま下を向いて呟いたその言葉に込められたものは、私の想像の斜め上を突き抜けて行った。
「どうよ、初めての敗北の味は」
負けたら悔しいと思うものだと思っていた。だって、私はいつも悔しかったから。それなのに、この子は弱い自分への棘を持っていない。弱い自分を許容するような精神なら、私のライバルとして認められない。真意を確認するため、彼女の心の言語化を求めた。
「いちかのこと、もっと好きになっちゃった」
「……なにそれ」
また、斜め上の解答。この子はまだまだ私の理解の外にいるらしい。負けたのに笑ってるなんて許せないはずなのに、華猫さんの笑顔があまりにも綺麗で、水晶のように純粋だったから、すっかり毒気が抜かれてしまった。この天才を見定めようなんて到底無理な話だ。次の話題に移ることにしよう。
「それで、昨日の約束は覚えてる?」
「うん。あーあ、こういう時に負けちゃうなんてついてないなぁ」
華猫さんはコートの上で足をのばし、リラックスした状態で私の命令を待つ。さっきまでの真意が読めない雰囲気とは打って変わって、いつもの呑気な天才に戻っていた。私は心を乱されてばっかりだというのに、彼女は一切ペースを崩さない。なんかムカついてきたな。
「今度の日曜日、デートしましょう」
「へ、えぇ!?」
沸き出した反骨心が、私の命令を狂わせた。
〇〇〇
あの時、何を隠していたの。素直にそう聞いておけばよかったものを、どうしてもあの子の余裕を崩したくて遠回りを選んでしまった。
「……なに着ていこう」
色んな服を合わせながら鏡に映る自分と睨み合う。シンプルな青いワンピース、ストリート系のパーカー、普段よく使うブラウスなどなど、トラ子とすずめに勧められて買った服を順番に合わせていくけれど、どれもピンとこない。
「どんな感じで行くのが正解なのかしら」
トラ子とすずめと遊ぶ時と同じでいいのか、それとも気合を入れてみるか。仮にも東京に生きる女子高生なので、その時のための最強装備は持っている。一年生のときに買ってタンスの肥やしになってるやつが。でも、それを着ていくのは、なんか恥ずかしい。ガチのデートみたいじゃん。いや、デートなんて口走ったのは私なんだけど、これじゃ本当にあの子に惚れてるみたいじゃない。
たった一か月だ。たったそれだけの時間で惚れるなんて、私がめちゃくちゃチョロいみたいじゃん。私がこんなことをするのは、あの子がたまにらしくない態度を取るのが気になるからであって、決してあの子が好きになったわけじゃない。いや、誰に何の言い訳をしてるの私は。
「普通に遊びに行く感じで良いか」
迷うのも私らしくない。ためらう理由があるなら、その選択肢は外れという事。いつも通りの格好で行くことを決め、後回しにしていた夕食にしようと冷蔵庫を開ける。冷蔵庫には自分で買ったジュース類や調味料の他に、タッパーに詰められた作り置きが一段分を埋めていた。
「今日はどれにしようかしら」
一番手前にある魚の煮つけを出してみると、案の定あの子のメッセージが書かれた付箋が張り付けられていた。付箋には、作った時のこだわりとか、いつまでに食べてとか、こういう栄養が取れるとか、そう言ったことが細かに書かれている。それを見ると、ここにいないはずのあの子の声が聞こえるような気がした。
─胃袋を掴む作戦なのです!
毎日私のためにご飯を作ろうとやってくるあの子は、申し訳ないと遠慮する私にそう言った。ただ、毎日時間を合わせて一緒に食べるのは負担が大きいから、いくらか作り置きをしてもらっている。
「だいぶ掴まれちゃってるなー」
こんなにおいしい料理が温めるだけで食べられる。しかも栄養満点。正直、元の生活に戻れる気がしない。一度生活水準を上げたら戻すのは難しいと実感する。あの子の作戦は大成功と言って良いだろう。
「……私、あの子に何か返せてるかしら」
私はあの子との勝負で新しい刺激をもらって、ご飯まで作ってもらってる。華猫さんと勝負するようになってから毎日が楽しい。彼女との勝負は知らなかった自分の可能性を引き出してくれる。思い返せば、私はもらってばかりだ。あの子の好意に甘えて、何も返せていない現状を正当化したくない。
友達として、なによりライバルとして、華猫さんと対等でいたい。
「自分の言葉の責任は果たすべきよね」
華猫さんの事を知りたい。それなら、あの子の気持ちから逃げちゃだめだ。新たな決意を固めた私は、明日の英気を養うためにあの子の愛情が込められた料理を堪能した。
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