第41話 夜を越えた先で

 パチ、パチと火の焚かれる音が宵闇に響き、周囲をぼうっと照らす。

 爪弾かれる洋琵琶リュートの音や、笛の音が庭園に波のように響く。

 音楽に合わせて踊る者、音楽に聞き入っている者。様々な過ごし方で祭りの夜は過ぎていく。


 私は、音楽に合わせるように揺れる炎を、黙って見ていた。

 宵闇に灯る橙色が、やわらかく夜に溶けていくようで、ここが現実とは思えない。


 そんな時、背後からアウレリオ様の声がした。


 「アリーチェ、これ、飲まないか?」


 差し出されたのは、葡萄酒――ではなく子供向けの飲料水。

 私は少しむくれて口を開く。


 「――私、もう子供じゃありません!」

 「……冗談だって。はい」


 ふふっと笑って、彼は私に別のカップを手渡す。


 彼は、一瞬黙って、静かに口を開く。


 「――今度、女王陛下がアリーチェに会いたいと仰っている。……無理にとは言わない。来てくれるか? 王都に」


 翡翠の瞳、王家の血――。

 私の心の奥に残る物を終わらせるため――あの灰色の町へ少しだけなら戻ってみてもいい。不思議とそう思えた。


「行きます、――私の中で、きちんと終わらせたいから」

「……わかった」


 私たちはお互いパチパチと揺れる炎を見つめる。

 立ちのぼる火の粉が天へ昇り、私の中の迷いも、ひとつずつ消えていく。

 

 火の周りで、人々が飲み交わし、踊り、歌う。

 洋琵琶リュートの音が、どこか懐かしい旋律を奏でる。

 

 私は、彼の肩へそっと寄り添う。

 そして、そっと目を閉じる。


 爪弾かれる洋琵琶リュートの旋律が、庭園に満ちていく。

 彼に初めて会った日、この町へ来た日――そして、私たちの間に起こったすべてのこと。

 それらが、旋律に乗って波のように寄せては返る。


 身体が、炎の熱と溶け合うようにぼうっと熱くなってくる。少し足もとがよろけて、彼がさっと手を取り、ふっと噴き出すように笑う。


 「アリーチェには、まだ早かったか?」

 「ち……違います! ただ……少し浸ってただけです!」


 頭が少しふらっとする私を見て、彼は呟く。


「アリーチェ、部屋で休もう」


 彼の手を取り直し、屋敷の中へ戻る。屋敷の中でも、食堂から賑やかな声がする。

 廊下には、私と彼の影がふたつ伸びていた。


 (初めてこの部屋に入った時――ふっとあたたかくなった)


 改めて翡翠のあしらわれた調度品で揃えられた、私の部屋をぐるりと見渡す。


 (――あの頃は、私は何も知らなかった)


 王都にいるよりマシ、どうなってもいい――そう思っていた。しかし、今は違う。

 彼は、私を連れ出して――教えてくれた。


 「……やっぱり、不安か?」


 アウレリオ様が、小首を傾げながら私に尋ねる。

 私は、少し躊躇いつつ頷く。


 「少し……。でも、いつまでもアウレリオ様の後ろに隠れている私じゃないんです」


 彼は、眉を寄せ、うっすら微笑む。


 「大丈夫。謁見の時は、俺も、義父上ちちうえもいる。――何かあったら、必ず守る」


 彼にぎゅっと抱き寄せられる。彼から伝わる脈の音が一拍ずつ、「大丈夫」と私に伝えてくれる。

 私は、彼の鼓動の音を聞き、少しづつこわばっていたものがほどけていく。


 視線を上げると、彼が微笑んでいる。

 ゆっくりと、口づけが落とされる。だんだん深く。

 彼の胸の中で、少しずつ力が抜け、ゆっくりと熱に満たされていく。


 不安など、どこかに流れていくように。


 「俺を照らしてくれたのは……アリーチェ、君だ。その翡翠の瞳で」

 「では、この瞳に感謝をしないといけませんね」


 彼の腕の中でくすくすと笑う。

 この姿で生まれてきたからこそ、彼に出会い、生きることを知った。

 灰色以外の世界があると、そう教えてくれた。


 燭台の灯りが揺れる。それに照らされる私たちの影が見える。

 ゆらりとふたつの影が重なっていく。

 重なり合うように、ひとつになっていく。

 そして、温もりで満たされていく。


 夜は更けていき、宵闇が東雲色に変わる頃、私はふと目を覚ます。

 彼の腕の中を息を潜めるように出て、窓辺に立ち、外を見つめる。

 水平線から光が少しずつ漏れ出そうとしている。

 その光は、最後の道を示すように水面にきらめきながら、吸い込まれるように目が離せない。


(――大丈夫。私は……もう、ひとりじゃないから)


 胸の前でぎゅっと手を握りしめる。

 それは祈りや誓いに近く、私の心の奥を灯す。


 突然、後ろからそっと抱きしめられる。


 「起きていらしたのですか!?」


 びくっと肩が跳ね、後ろを見ると、彼がふふっと笑みをこぼしていた。


 「……目を覚ました時、アリーチェが窓の外を不安そうに見ていたから……気になった」

 「――アウレリオ様は全て、お見通しですね」

 「何度も言う。絶対に守る。傷つけさせたりなんてしない……傍にいる」


 彼の言葉に、私はゆっくりと頷く。


 「大丈夫です……あなたがいれば、どこへでも行けます」


 後ろから彼の手の温もりが伝わり、私たちは揃って朝の光が広がっていくのを見ていた。

 もう大丈夫。そうふたりで誓い合うように。

 広がる光は、これからの未来まで照らしているように、ただ確かにきらめく。


 終わらせるために、王都へ向かう――私自身のために。

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