リリーナとシエル
杙あり
第1話
ダンジョンの中に、どこか奇妙な人間の施設が生成される——そういう世界がある。そういったダンジョンは、"メイキュウ"と呼ばれていた。
あるメイキュウの中のカフェ、そのテラス席に、二人の女が向かい合って座っていた。
リリーナと、シエル。
リリーナはシエルにべた惚れで、絶賛片思い中だ。シエルはといえば——警戒している。相手に対してではなく、場所に対して。危険なダンジョンでのデートなど、考えたこともなかった。でも、誘ってきたのがリリーナだったから、断れなかった。
シエルがこの町に来てから、まだ日が浅い。名前も聞いたことのない街から来たという彼女は、素性も実力も知れていない。リリーナが彼女と出会ったのは一週間前のことで、一目見た瞬間に「この子かわいい」と思って話しかけたのが、シエル沼にはまった始まりだった。それからというもの、町のことを教えたり、軽く食事に行ったりした。
そして今日が、いよいよ初デートである。
「いい?このカフェにはルールがあるの」
リリーナは身を乗り出し、声をひそめた。
「ここに来たら、"ふり"をしなければならない。本物の食べ物は出てこないんだけど、食器だけは出てくるから、ちゃんと客のふりをし続けなきゃいけないの。コーヒーを飲んだり、パンケーキをナイフで切ってフォークで刺して口に運んだり、おいしいって思ったり、声に出したり——それを崩したら、強敵が現れて、お客さんの命はパーになるの」
「……え、パーに」
「でもそのリスクとスリルがたまらないって、攻略者の間じゃちょっと有名なのよ。私も前に友達と来て、楽しかったから——シエルにも体験させてあげたくて!」
シエルは青ざめた顔でテラスの外のメイキュウを見回し、それからリリーナを見た。
「……リリーナ、ここ、ダンジョンなんだよ?」
「わかってる~」
「デートって……もっとこう、普通の場所で……」
その声が少し震えているのを聞いて、リリーナの中で何かが弾けそうになった。やばい、かわいすぎる。このまま吊り橋効果で距離が縮まって、もしも告白なんてされた日には——と思考を飛ばしかけたところで、ちょうど店員の格好をした何かがテーブルに近づいてきた。
人の形をしている。背丈も、服も、動きも。でもどこか、ひどくぎこちない。これが"模形(モケイ)"——メイキュウが生み出す、敵だ。
「ご注文の、ブラックコーヒーとカフェラテ、レモンバターのダッチベイビー風パンケーキと、バニラアイスを乗せたぷるふわスフレパンケーキです」
何もない皿と、空のカップが並んだ。
「名前だけはいっちょ前においしそうだね……」
「もー。そういうこと言っちゃダメなのよ?今の状況に浸らなきゃ!」
リリーナはナイフを手に取り、何もない皿の上で切るような動作をした。フォークで何かを刺し、目を細める。
「んー♡このダッチベイビーおいしいわー♡シエルも食べてみてよ」
そのままフォークをシエルに向けた。
「ちょっと!ただの口付けたフォークはさすがに恥ずかしいよ!」
「え~?ただのフォークじゃなくて、レモンバターのダッチベイビーよ?ほら、あ~んして」
「……んぁ」
シエルは顔が赤らんだままあきらめたように口を開けた。フォークの先が唇に触れるのを感じながら、リリーナは満足げにそれを引き抜いた。
「……どう?おいしい?」
「うん。おいしいよ」
本当にシエルかわいいわ——胸の中でそっとつぶやきながら、初デートの時間は過ぎていった。
食事を済ませ、二人は会計カウンターにやってきた。
「お会計は、3800モルドになります」
「会計!?お金なんてもってきてるの!?」
「だーいじょうぶ。ここも"ふり"でいいのよ」
「あ、そうなんだ……」
「はい、これと、これで……丁度ぴったりよ」
リリーナは財布を取り出し、モルドを数えて、カウンターに乗せた。ような動作をした。
「お会計は、3800モルドになります」
「……あ、あれ?ほら!これでぴったりちょうど!3800モルド!」
「お会計は、3800モルドになります」
「どういうことよ!?前来たときはふりで良かったじゃない!!」
「あ……」と声を漏らしたのはシエルだった。その声を聞いてリリーナも完全にやってしまったと理解した。腰が抜ける。
「お会計は、3800モルドになります」
「オかいケイは、3800モルドにナリまス」
「縺贋シ夊ィ医�縲�3800繝「繝ォ繝峨↓縺ェ繧翫∪縺吶�」
「お̶̧̱̙̰͎̝̘͎̟̟̯̖͎̠̩̬会̸͉̞̙͔̯̩̰̥͕͜計̴̧̮̖͓͔̪̩̗̞は҈̨̟͚̦̭̰̯̫ͅ、̵̘͓̤̟͓̟̳̙͜ͅ3҉̣͔͇̜̪̤̘̫̰̜͜8̵̧̥̫̙̩͉͚̭͕0̴̢̘̩̞̮̠̤̟̯̖̪͚̖̟̦̯0̶̧̠̟̫̤̗̪̗̭̳̮͙͎̱̟̦ͅモ҈̢͕̫͚̖̬̳͔̞̟̥͓̣͖ル҉̨͓͉̲̲̲̟͉̰̳̠͈ド҈̗̦̤̞̦̗̞̟̪̥͜に҉̠̦͕̗͉̭̥͓̰̩̤͜な҈̲̪͖͕̖͉͎̬͇̲̩͎̦̲̖͜り̴̩͎̥͕̥͓͕̫̦̱̥̩͜ま̴̨̝͓̰̣̭̟̳̞͍̖͚͔͓̗す҈̡̟͙̬͓̙͓̲̱̬̳͕̩͕。̶̧̪͉̦̰͎̦͇̝̰̯」
人の服装をしていたモケイが、姿を変えた。かつてそこにあった輪郭が溶け、形が増え、天井に届かんばかりの何かへと膨れ上がる。言語では表現しきれない存在感が、カフェを満たした。扉が軋み、カップが振動し、空気そのものが重くなる——かつて人の形をしていたそれは、もはや人ではなかった。
リリーナは震えた。膝が笑っている。
「……ごめんね、ごめんね」
涙が出てきた。止まらなかった。私がここに連れてきたから。私が誘ったから。ごめんね、ごめんね——同じ言葉を繰り返すことしかできない。
「やるしかないよ」
シエルの声が、すとんと落ちてきた。
「生きて帰るには、倒すしかない」
そう言って、シエルはリリーナに手を差し出した。
リリーナはその手を取り、ぐずぐずと泣きながら、杖を取り出し、構えた。その時だった。
シエルが一歩踏み出し——それだけだった。
轟音。閃光。次の瞬間にはモケイが跡形もなく粉砕されていた。
「あれ?意外と弱かった」
シエルが首をかしげた。
リリーナは声にならなかった。口は開いている。でも何も出てこない。
「エ」
「怖かったぁ……どうなるかと思った……」
リリーナはシエルに抱きついた。
「……よしよし」
シエルはリリーナをふわりと抱きしめ返し、頭を撫でた。
「リリーナが無事で、本当に良かった」
その言葉を聞いた瞬間、リリーナの体がさらに熱くなった。心臓の鼓動が、シエルにも伝わってしまうくらいに鳴っている。今にでも何かがあふれてしまいそうだ。
「……好き」
「え……っ」
抱擁を外したシエルと目が合う。
「私は!シエルのことが大好き!だから、えと、ソノ……!私とつき合ってほしいの!」
シエルは少しだけ目を丸くして、それからゆっくりと、柔らかく笑った。
「……うん。私も」
こうして、リリーナとシエルは、お付き合いを始めた。
リリーナとシエル 杙あり @kuikawa_ari
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