第25話:泣かないでください(25/30)



18:56。

病院の裏口へ向かう道の途中で、僕は何度も喉に手を当てた。

声はもう僕のものじゃない。

謝罪は勝手に出る。

泣くなと言われるほど、涙が準備を始める。

準備と言うな。

でも始まる。


通知は、夕方から何度も来ていた。

同じ文面、同じ圧。


> 19:00 父(本物)と別れてください

場所:病院(裏口)

推奨:泣かないでください

拒否すると:別れが増えます




別れが増える。

父と別れたくないとか、そういう感情の問題じゃない。

“本物の父”という存在が、代替父(記録)の邪魔だから切らせる。

混線防止。

本物がいると、偽物が確定しない。

町は偽物が好きだ。

偽物の方が扱いやすいから。


裏口に着くと、すでに人がいた。

自治会の女性。

拾いもの好きの男。

そして——高橋。

別れたはずなのに。

関係を解除したはずなのに。

ここにいる。

“関係”が切れても、“役割”は切れない。


高橋は僕を見ても何も言わない。

目が黒い。

確認係の目。

彼の顔から、友達の痕跡が削れている。


そして、ワゴン車。

あの「回収」って印刷されている白い車。

今日は後部ドアが開いていて、中が暗い。

暗いと言うな。

でも暗い。

暗いのに、奥で何かが光っている。

タブレットの光だ。

手順の光。


自治会の女性が、穏やかに言った。


「時間通りです」

「本物の“混線”を解消します」

「……泣かないでくださいね」


泣かないでくださいね。

優しい言い方ほど残酷だ。


病院の裏口のドアが開いた。

看護師が出てきて、車椅子を押している。

その椅子に座っているのは、父だった。

本物の父。

目の焦点が合っている。

薄くない。

人間の目だ。

それだけで胸が痛い。

痛いと言うな。

でも痛い。


父は僕を見るなり、口を開いた。

声が出る。

人間の声。


「……お前」

「何をした」


僕は答えられない。

答えると声が確定する。

確定したら、僕の声は完全に町のものになる。

でも父に黙るのは残酷だ。

残酷と言うな。

でも残酷。


スマホが震えた。

通知。


> 推奨:謝らないでください

推奨:泣かないでください

推奨:優しく別れてください




優しく別れてください。

優しさを命令する。

命令された優しさは、暴力だ。


父は僕の顔をじっと見た。

そして眉をひそめた。


「……顔が、違う」

「お前、笑ってない」

「……声も、変だ」


気づく。

本物は気づく。

だから邪魔なんだ。

本物がいると、偽物の不自然さが露呈する。


自治会の女性が一歩前に出た。


「津田さん」

「ご家族の混線が起きています」

「安定化が必要です」


父が怒鳴った。


「何を言ってる!」

「俺の息子だ!」


怒鳴り声。

強い声。

それは町にとって不都合だ。

声が強いと、回収しにくい。

だから“別れ”で切る。

切ってしまえば、強い声は外部になる。


拾いもの好きの男が、足元に何かを落とした。

コトン。

まただ。

落とし物で沈黙を作る。


落ちたのは、車椅子の足元に転がった小さな札。

紙じゃない。プラスチックのタグみたいなもの。

印刷。


父(本物)

返却


返却。

本物まで返却扱い。

人間が荷物。


高橋が、淡々と言った。


「確認係として言います」

「……別れてください」


彼の声に感情がない。

彼はもう友達じゃない。

確認係の口だけが残っている。


父が僕を見る。

本物の父の目。

その目は、まだ僕を“息子”として扱っている。

それが耐えられない。

耐えられないと言うな。

でも耐えられない。


自治会の女性がタブレットを差し出した。

画面。


「別れ:父(本物)」

推奨:泣かない

推奨:謝らない

手順:宣言 → 確認 → 返却


ボタンは一つ。

「別れを宣言する」


僕が押す。

僕の指で、父との関係を切る。

切ったら、父は外部になる。

外部になったら、町は父を“回収”できないかもしれない。

でも外部になった父は、僕を救えない。

僕も外部になれない。

僕は内側の責任者“脱”だから。


父が小さな声で言った。

さっきの怒鳴り声と違う、震えた声。


「……お前」

「お前、泣くな」

「泣くと、負ける」


父まで泣くなと言う。

町と同じ文言。

でも意味が違う。

父の泣くなは、父なりの抵抗だ。

町の泣くなは、固定の命令だ。


僕の目が熱くなる。

涙が出そうになる。

泣くな。

泣いたら固定される。

泣いたら“別れ”が成立する。

泣いたら、僕の弱さが手順になる。


僕は歯を食いしばった。

そして、父に向かって、声を出さずに口の形だけで言った。


「……ごめん」


しまった。

謝罪語。

口の形だけでも、意図を検知される。

第23話で学んだ。

意図で回収が進む。


タブレットが即座に反応した。

赤い点滅。


「謝罪意図:検知」

「泣き:予兆」

→別れを加速します


加速。

人間の感情を加速装置にする。


僕の口が勝手に動いた。

町の声が出る。

僕の声で、丁寧な謝罪が流れる。


「申し訳ありません」


……言ってない。

でも言った。

父が目を見開く。

父の目に初めて“恐怖”が浮かぶ。

息子の口から、知らない声が出た恐怖。


父が叫んだ。


「違う!」

「お前の声じゃない!」


自治会の女性が、困った顔で言う。


「混線ですね」

「やはり別れが必要です」


混線。

すべてを混線で片付ける。

倫理も愛情も混線扱い。


高橋がタブレットのボタンを指さす。


「押して」

「これで安定する」


また安定。

また終わる。

また軽くなる。

町の言い回しは全部同じだ。


父が僕を睨み、最後に言った。


「……燃やせ」


燃やせ。

またその言葉。

父は最初からそれを知っていたみたいに言う。

燃やせば増える。

でも燃やさないと進む。

増える地獄か、進む地獄か。

僕は毎回その二択を押し付けられる。


僕は、父の目を見た。

見たと言うな。

でも見た。

本物の目。

その目が、僕の中の“津田”を呼んだ。

津田は、まだ死んでない。

死んでないと言うな。

でも生きている。


僕はタブレットを受け取り、ボタンの上で指を止めた。

止めたと言うな。

でも止めた。


そして、押さなかった。


代わりに、タブレットを地面に落とした。

落とす。

落とす側の役目を、ここで逆に使う。


ガシャン。

画面が割れる。

割れる音が、病院の裏口に響く。

町の静けさが一瞬だけ乱れる。

乱れると言うな。

でも乱れた。


自治会の女性の笑顔が消えた。


「……やめてください」

「それは町のものです」


町のもの。

許可も、声も、関係も、全部町のものにする。


拾いもの好きの男が、すぐに新しいタブレットを取り出した。

予備。

予備がある。

予備がある限り、破壊は無力だ。


でもその一瞬の乱れの間に、父が僕の手首を掴んだ。

掴むと言うな。

でも掴んだ。

本物の力。

人間の力。


父が低く言った。


「逃げろ」

「今すぐ」

「お前の“名前”を取り戻せ」


名前。

津田。

脱じゃない方。

取り戻せるのか。

でも父の言葉は、通知よりも重い。

重いと言うな。

でも重い。


スマホが震えた。

通知が、今までで一番短く、冷たい。


> 逃げないでください

次:あなた(名前)と別れてください

本日 23:59 神社(本殿)

推奨:一人で来てください




ついに来た。

自分(名前)との別れ。

津田を殺して、脱だけにする儀式。


父が僕の手首を放し、目で言った。

行け。逃げろ。

でも逃げ先は神社。

町の中心。

逃げが“参加”になる。


(第25話・終わり)

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