第22話:声を許可してください(22/30)



07:58。

玄関の前で、僕は自分の喉に手を当てていた。

息はできる。

でも声が怖い。

声は外に出る。

外に出た瞬間、町の内側に変わる。


昨夜の通知が、まだ刺さっている。


> 明日 08:00 回覧(笑)を受け取ってください

場所:あなたの家(玄関)

推奨:泣かないでください




泣くな。

泣けば固定する。

笑を落としたばかりなのに、今度は泣きの管理。

人間の出口を全部塞いで、残るのは“反射”だけになる。


08:00。

新聞受けに白い封筒が差し込まれた。

見ていないのに、分かる。

紙が擦れる音がしたから。

記録の音。


封筒には黒い文字。


回覧:笑(脱)

確認してください

泣かないでください


僕は封筒を引き抜いた。

指先がまた温い。

温いと言うな。

でも温い。

笑いの温度。

誰かの手の温度。


玄関で開ける。

居間に入れない。

生活に根を張らせない。

母で学んだ抵抗。


中から出てきたのは、回覧板。

透明カバー。

表紙。


「町内回覧:笑(脱)」

責任者:脱


開くと、最初のページに写真が挟まっていた。

写真じゃない。

スクリーンショットみたいな画像だ。

SNSの投稿欄。

僕の顔アイコン(レンズ目)と一言。


「……はは」


昨夜、無理やり出した音。

笑いにならなかった笑い。

それが“記録”になって貼られている。

町は、気持ちじゃなく音だけを取る。


端に小さな印。


確認:18/全戸


もう回っている。

僕の笑いが町中の手を回っている。

触れられて、拡散されて、形が変わる。


回覧事項。


本記録は「安定化」のため回覧します


受領者は「笑いが自然であること」を確認してください


不自然な場合は「補正」を申請してください


泣かないでください(揺れが増えます)



補正。

笑いを補正する。

不自然な笑いを直す。

つまり、僕の笑い方を町が決める。


ドアの外でチャイム。

来る。

回覧には確認係がつく。


僕がドアを開ける前に、スマホが震えた。


> 確認係が到着しました

推奨:声を出さないでください

声を出すと:回収が始まります




声を出すな。

でも確認される。

確認されるなら、返答が必要。

矛盾で声を引き出す。

いつものやり方。


チャイムがもう一度鳴った。

ピンポーン。

同じ間隔。

同じ呼吸。


僕はドアを開けた。


そこに立っていたのは、笑顔の僕だった。


昨夜の洗面所で見たやつ。

口角が固定され、目が黒いレンズ。

“僕”の顔をした手順。


隣に、自治会の女性。

高橋。

そして、見知らぬ男が一人。

首から名札を下げている。

名札の文字は擦れて読めない。

代替父の名札と同じ構造。


笑顔の僕が、僕の声で言った。


「おはよう」

「……声、出して」


声を出して。

命令が直球になってきた。


自治会の女性が穏やかに言う。


「確認です」

「責任者さんの“声”が安定しているか」

「昨夜、笑が落ちましたよね」

「次は、声です」


高橋が、昔の友達みたいに笑う。


「脱」

「声、出してみて」

「軽くでいい」


軽くでいい。

軽くでいい、が一番危ない。

軽い行為ほど、取り返しがつかない。


見知らぬ男が、端末を持っていた。

小さな録音機。

赤いランプが点いている。

もう録っている。

声を出した瞬間、証拠になる。


僕は喉に空気を溜めた。

言葉を出さずに、息だけで済ませたい。

でも息も声の一部だ。

息の音も回収される。


笑顔の僕が、僕の目を覗き込む。


「ねえ」

「鏡、見た?」


見てない。

見ないようにしてきた。

でも鏡を見なくても、鏡が僕を見ている。

この笑顔の僕が“鏡の代わり”だ。


自治会の女性がタブレットを差し出した。

画面に大きなボタン。


「音声許可」


タイトル。


「声を許可してください」


許可。

通知を許可してください、じゃない。

声を許可してください。

僕の声を、町が使う許可。


画面下に注意書き。


許可すると:通話・会話が安定します


拒否すると:声が不安定になり、誤解が増えます


推奨:許可してください



誤解が増える。

誤解は事故になる。

事故は自己成就になる。

通知(Cのテーマ)みたいに、避けようとすると近づく。

この町は、どのテーマも混ぜてくる。

“評価”も“通知”も“拾得”も、全部同じ根っこ。


笑顔の僕が囁く。


「押して」

「押して、声を落として」


声を落とす。

落とす側の役目。

笑を落とした。次は声。


僕はボタンを押さなかった。

押したら、僕の声が町の受付になる。

代弁の紙を拾わなかったのに、結局そうなる。


代わりに、僕は“笑顔の僕”を見た。

見たと言うな。

でも見た。

彼の口元に、昨夜僕が擦りつけた灰の跡がまだ薄く残っている。

区別の痕跡。

記録の顔を壊す汚れ。


僕は、声を出さずに、口の形だけで言った。


「……帰れ」


声は出ない。

口だけ。

でも笑顔の僕は、にやりと笑って言った。


「声、出てるよ」


——え?

出てない。

僕は声を出していない。

なのに、彼は言う。

“声が出た”ことにされる。

落としたことにされる。

提供者:脱。

またそれ。


見知らぬ男が、端末の画面を見て頷いた。


「記録、取れました」

「……声、確認済み」


確認済み。

僕が喋っていないのに、確認済み。

存在だけで“声”が発生している。

声はもう僕のものじゃない。


タブレットが勝手に確定した。


「音声許可:仮付与」

提供者:脱

拾得者:町(確認係)

推奨:抵抗しないでください

次工程:回収(声)


仮付与。

許可が勝手に付与される。

拒否の権利が消える。

“許可”は手続きじゃなく、儀式だった。


その瞬間、家の中の電話が鳴った。

固定電話なんて使ってないのに。

リンリン、という古い音。


自治会の女性が微笑む。


「出てください」

「あなたの声で」


電話に出る。

声を出す。

回収が始まる。


僕は受話器を取らなかった。

取らない。

でも電話は鳴り続ける。

鳴り続ける音が、僕の鼓膜を削る。

削ると言うな。

でも削る。


笑顔の僕が、受話器に手を伸ばした。

僕の手と同じ形の手。

そして、僕の声で言った。


「もしもし」


——僕じゃないのに。

僕の声が出た。

回収が始まった。


受話器の向こうから、母の声がした。


「……拾って」


母の声。

でも母じゃない母。

回覧で町中を回った記録。

それが電話になって戻ってきた。


僕のスマホが震えた。

通知。時間指定。


> 本日 02:00 声(あなた)を落としてください

場所:病院(面談室2)

推奨:誰にも謝らないでください




謝るな。

明日あなたは謝罪します、の未来通知みたいな命令。

謝罪は声を使う。

謝罪した瞬間、声が確定する。

だから謝るな。

でも面談室2へ行け。

また矛盾で追い込む。


笑顔の僕が、受話器の向こうへ、優しい声で言った。


「わかりました」

「……拾います」


僕の声が、母の声に返事をした。

僕がしていない約束が、僕の口で成立した。


(第22話・終わり)

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