第18話:帰宅してください(18/30)



帰り道の空は、病院の蛍光灯みたいに白かった。

夜なのに白い。

月が明るいんじゃない。

雲が薄いんじゃない。

ただ、白い。

町が“見えるようにしている”白さ。


スマホの通知が、何度も震える。


> 警告:代替が発生します

対象:父(代替記録)

発生場所:あなたの家

推奨:帰宅してください

拒否すると:代替が増えます




増える。

燃やすなと言われた理由が、今さらはっきりする。

燃やすと、代替が生まれる。

記録は死なない。形を変えて増殖する。


神社の裏で紙を燃やしたあと、町の人間たちは一瞬だけ黙った。

自治会の女性が本当に困った顔をした。

それが痛快だった。

でも痛快さは長続きしない。

反動が来る。


僕は車を飛ばした。

飛ばすと言うな。

でも飛ばした。

帰宅しろ、という命令に従っている時点で負けている。

それでも、代替父が“家”にいると思うと、足が勝手に家を選ぶ。


家の前に着くと、玄関の灯りが点いていた。

出かける時、消したはずなのに。

点いている。

それだけで、誰かが入ったと分かる。


ドアノブに手をかけると、鍵は開いていた。

鍵の回る音がない。

開いている家は、もう家じゃない。

回覧板が入った時点で、家は町の箱になっている。


玄関に入ると、靴が揃っていた。

僕の靴じゃない。

男物の革靴。

病院で見たやつに似ている。

父は革靴を履く人だった。

でも父は病院にいる。

いるはずだ。


居間の方から、テレビの音がした。

音量は小さい。

ニュースでもバラエティでもない。

ただ、低い環境音。

“家に誰かがいる”と知らせるための音。


僕は居間のドアを開けた。


そこに、父が座っていた。


いや、座っている“父”がいた。


背中が丸い。

肩の幅。

髪の薄さ。

全部、父に見える。

でも、顔が違う。

違うと言うな。

でも違う。


父の顔の輪郭は父なのに、表情が“貼り付いている”。

笑顔が固定されている。

口角が少し上がったまま動かない。

目が、カメラのレンズみたいに真ん中だけ黒い。


テーブルの上には、透明の袋が置かれていた。

袋のラベル。


父(代替記録)

提供者:脱

拾得礼:10


10。

節目。

やっぱり何かが変わる数字だ。

拾得礼が二桁になった瞬間、世界が別の段階に入る。


代替父が、僕を見た。

見たと言うな。

でも見た。

視線がまっすぐすぎる。

父はこんな見方をしない。

父の目はいつも少し疲れていて、少し逃げる。

これは逃げない目だ。

逃げない目は、手順の目。


代替父が、父の声で言った。


「……帰ったか」


声は父だ。

でも声の“間”が違う。

言葉の前後に余白がない。

機械が音声を再生しているみたいな、無駄のない間。


僕は喉が詰まった。

詰まると言うな。

でも詰まる。


スマホが震えた。

画面には、いつもの白地に黒文字じゃない。

今日は、黒地に白文字。

警告の色。


> 代替父が発生しました

処理してください

推奨:本物と区別しないでください




区別するな。

区別した瞬間、代替が“代替”だと確定する。

確定したら、町は堂々と扱える。

曖昧なままなら、まだ抵抗できる余地がある。

そういう構造。


僕は、あえて普通に言った。


「……父さん?」


代替父の笑顔が、ほんの少しだけ広がった。

広がると言うな。

でも広がった。

餌をもらったみたいに。


「そうだ」

「父だ」

「……返してもらった」


返してもらった。

父を返す。

燃やした結果、返ってきた。

でも返ってきたのは“父の形”だ。


テレビの音が、ふっと消えた。

静かになる。

静かすぎて、時計の秒針がうるさい。

秒針が“カチ、カチ”と、回覧板の角を叩くみたいな音を立てる。


代替父が、テーブルの透明袋を指さした。


「……処理しろ」


父の声で、町の言葉。

父の口が、町の受付になっている。

僕が拾わなかった代弁を、代替父がやっている。


僕は袋を見た。

中身は何だ。

袋の中には、紙が一枚。

病院の検査結果用紙に似た紙。

でも病院名は印刷されていない。

代わりに、神社の印がある。

朱印のような丸い印。


紙には、太字でこう書いてある。


「同意書(継承)」


継承。

ついに表に出た。

父を先代にし、僕が後継になる。

燃やしても避けられなかった。

燃やしたことで、段階が一つ進んだだけ。


代替父が、僕にペンを差し出した。

昨日の新品のペンと同じ。

袋入り。

開封音が、居間に響く。


「署名しろ」

「脱」


“脱”と呼ぶ。

父が僕を脱と呼ぶ。

それだけで頭の中が崩れる。

崩れると言うな。

でも崩れる。


僕は叫びたかった。

これは父じゃない。

でも区別するなと言われている。

区別した瞬間、代替が確定する。

確定すると、もっと強くなる。

だからこそ町は言う。区別するな、と。


僕は静かに言った。


「……本物の父は、病院にいる」


代替父は、笑ったまま首を傾げた。

首を傾げると言うな。

でも傾げた。

父がそんな動きをするはずがない。

動きの癖まで再現されていない。


「病院?」

「……外だろ」

「外は関係ない」


外は関係ない。

病院が外じゃなくなった。

家も外じゃなくなった。

町の内側しかない。


その時、玄関のチャイムが鳴った。

ピンポーン。

今度はちゃんと鳴る。

外部のふりをした訪問。


代替父が、笑顔のまま言った。


「……立会だ」


立会。

また増える。


僕が玄関へ行くと、ドアの向こうに自治会の女性が立っていた。

いつもの穏やかな顔。

でも今夜は、少し疲れている。

燃やされた分だけ、疲れるんだろうか。

人間みたいに。


彼女の後ろに、高橋と、拾いもの好きの男。

そして——担当医。


担当医は白衣を着ている。

でも目が死んでいる。

沈黙は解けても、魂が解けた。


自治会の女性が、にこりと笑った。


「帰宅、ありがとうございます」

「代替が発生しましたね」

「処理しましょう」

「……燃やさないでください」


燃やすな。

また言う。

燃やせば増える。

増えた代替を見せて、燃やすなと言う。

反省させる仕組み。


僕は玄関で、担当医を見た。

彼は僕を見ない。

目を合わせない。

目を合わせないことで、まだ自分の意思を守っているみたいに。


自治会の女性が僕に封筒を渡す。

スタンプ。


拾得礼:10(代替発生)

次工程:継承


封筒の中身を見なくても分かる。

鍵か、写真か、同意書か。

“必要なもの”が入っている。

必要なものほど、餌になる。


僕は居間へ戻った。

代替父がテーブルの前に座っている。

笑顔が固定されたまま。

ペンを差し出したまま。


タブレットが点灯する。

いつの間にか、テーブルの上に置かれている。


「継承:開始」

署名者:脱

先代:父(記録)/父(代替)

推奨:区別しないでください

推奨:ためらわないでください

拒否:代替が増えます


区別しない。

ためらわない。

拒否すると増える。

いつもの三点セット。


僕は、ふと気づいた。

燃やした紙の灰が、まだ指先に残っている。

黒い粉。

それが、唯一“手順じゃない痕跡”だ。

証拠じゃない痕跡。


僕はその灰を、代替父の笑顔の頬にそっと擦りつけた。

擦りつけると言うな。

でも擦りつけた。


黒い線が、笑顔の上に残る。

それだけで、代替父の表情が少しだけ歪んだ。

歪んだと言うな。

でも歪んだ。


自治会の女性が、息を呑んだ。

呑んだと言うな。

でも呑んだ。


「……やめてください」

「それは、区別です」


区別。

灰は区別になる。

人間の汚れは、記録の顔を壊す。


代替父の笑顔が、ひくひくと震えた。

震えたと言うな。

でも震えた。

そして、父の声じゃない声が漏れた。

低い、紙が擦れるような声。


「……脱」

「……落とせ」


落とせ。

落とす側の命令。

次は何を落とす。

母か。父か。僕自身か。


スマホが震えた。

新しい通知。

時間指定。


> 明日 07:00 落としてください

場所:町の掲示板(神社前)

落とし物:あなたの“顔”

推奨:鏡を見ないでください




顔。

落とし物が顔になる。

拾得物が名前から家族へ、そして顔へ。

人間が、部品になっていく。


(第18話・終わり)

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