第15話:燃やさないでください(15/30)
第15話:燃やさないでください(15/30)
20:00。
玄関のチャイムは鳴らなかった。
鳴らない方が怖い。
来客は“外”から来るけど、手順は“内”に入り込むから。
僕は玄関の靴を揃えながら、ドアの隙間を見た。
新聞受け。
そこに、白い封筒が差し込まれていた。
封筒の表に、黒い文字。
母(記録)
回覧開始
そして、小さく。
拾ってください
息が止まりかけた。
止まると言うな。
でも止まりかけた。
——回覧板は、受け取りを拒否できない。
回覧板は“届く”じゃない。“置かれる”。
置かれた時点で、拾得が成立する。
スマホが震える。
> 回覧板を受け取ってください
推奨:燃やさないでください
燃やすと:代替記録が増えます
代替記録。
母の代わり。
そんなものが増えたら、母はもう戻らない。
“戻る”という言葉すら、別の意味になる。
僕は封筒を引き抜き、玄関で開けた。
居間に入れたくなかった。
家の中に入れた瞬間、生活に根が張る気がしたから。
中から出てきたのは——回覧板だった。
透明のカバー。
表紙が新しく貼り替えられている。
「町内回覧:母(記録)」
責任者:脱(だつ)
脱。
僕の役割名。
津田じゃない。
でも家の表札は津田だ。
二つの名前が同じ家にいる。
それだけで、家がきしむ。
回覧板を開くと、いちばん上に写真が挟まっていた。
母がこちらを見ている写真。
あの目。
そして、その下に“回覧事項”の紙。
この記録は町の安定のために回覧します
受領した方は「確認済」に印をつけてください
受領のお礼は同封の封筒で返してください
口外しないでください(町が困ります)
燃やさないでください(代替が増えます)
燃やすな、とわざわざ書く。
書くのは、“燃やしたくなる”からだ。
書くのは、燃やす人が過去にいたからだ。
燃やした結果、何かが増えたからだ。
そのページの端に、見慣れたスタンプ。
拾得礼:8
8。
数字が育っている。
僕の深さが増えている。
回覧板の一番下に、受領者一覧があった。
町内の家の名字がずらっと並ぶ。
その最初に、赤丸がついている。
佐伯 確認済
自治会 確認済
高橋 確認済
もう回っている。
僕の家が“最初”じゃない。
最初は神社。
そこから町の内側を一周して、最後に“責任者の家”へ戻ってくる。
返却の構造。
回覧は、輪の儀式だ。
その時、玄関の外で足音がした。
一人じゃない。二人、三人。
静かな足音。揃った歩幅。
ドアスコープを覗くと、廊下に人が立っていた。
隣の奥さん。
その向こうに、自治会の男。
さらに、見知らぬ人が一人。
全員、手に封筒を持っている。
僕はドアを開けたくなかった。
でも開けないと、回覧板は“停滞”する。
停滞は増える。
増えたら、母が代替に変わる。
ドアを開けると、隣の奥さんがにこりと笑った。
笑顔は優しい。
でも目が揃っている。
手順の目。
「こんばんは」
「回覧、届きました?」
自治会の男が、僕の後ろをちらりと見た。
回覧板があるのを確認して、小さく頷く。
確認だけで済ませるあたり、慣れている。
慣れているのが怖い。
見知らぬ人が、静かに言った。
「初めまして」
「“確認係”です」
確認係。
そんな役割がある。
人を回覧板のために配置する町。
隣の奥さんが、封筒を差し出した。
「お礼、です」
「確認したので」
「……燃やさないでくださいね」
燃やすな、が挨拶になってる。
この町の挨拶は腐っている。
僕は封筒を受け取った。
受け取った瞬間、回覧板の中の紙が勝手に一枚めくれた気がした。
気のせいじゃない。
透明カバーの中で、何かが“進む”。
封筒の表にはスタンプ。
拾得礼:8(受領)
返礼:確認済
返礼。
礼が礼を呼ぶ。
礼の循環が、縄になる。
僕は隣の奥さんに聞いた。
聞いてはいけない気がしたけど、言葉を持っていたかった。
「……この回覧、いつまで続くんですか」
奥さんは、少し困った顔をして、それでも笑った。
「終わるまでですよ」
「終わるっていうのは」
「町が“足りた”って言うまで」
足りた。
母の記録が“足りる”って何だ。
母の何が足りない。
足りないのは町の安定だ。
町が安定するために、家族が回る。
確認係が、僕の回覧板を指さした。
「次、回してください」
「この家の次は、病院です」
病院。
外部が内側にされる場所。
母の記録が、病院へ行く。
父の目に触れる。
父が壊れる。
その想像だけで、喉がきしむ。
僕は回覧板を抱えた。
重い。
紙の重さじゃない。
“触れられる”重さ。
隣の奥さんが、最後に小声で言った。
「燃やした人、昔いたんですよ」
「燃やしたらね」
「母じゃない“母”が増えました」
母じゃない母。
代替記録。
通知の言葉が、現実の形になる。
自治会の男が、僕の耳元に低い声で囁いた。
「責任者さん」
「回覧が一周すると」
「次は“父”が来ます」
「……準備、してください」
準備。
準備という言葉で、逃げ道が消える。
ドアを閉めた瞬間、家の中が静かになった。
静かになったはずなのに、回覧板の中から“紙が擦れる音”がした。
カサ。
誰も触っていないのに。
僕は居間に回覧板を置けず、玄関に立ったまま開いた。
母の写真の端に、昨日なかった小さな文字が増えている。
「確認:4/全戸」
全戸。
母は全戸を回る。
回りきったら、次は父。
その次は——僕自身。
スマホが震えた。
短い通知。冷たい文。
> 回覧を回してください
次:病院(面談室2)
推奨:父に見せないでください
見せるな、が増えた。
見せるな、が増えるほど、見せる瞬間が近づく。
玄関の鏡に、自分の顔が映った。
津田の顔。
でも、胸元の拾得者証の名前は——脱。
僕は、どっちなんだ。
回覧板の透明カバーの中で、母がこちらを見ていた。
写真の目が、少しだけ濃くなった気がした。
町中の手に触れられて、目が育っている。
(第15話・終わり)
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